2016年、10月27日。SKE48ゼロポジ公演。
ぼくは、くまが出てたTIFも批判していたわけで、批判するかどうかは、くまが出ていたかどうかとは関係ない…つもりだけれど、「生で見ていたら/くまが出ていたら楽しめたんだろう」って、それはたぶんそうで。結局、「推し」が出てないと楽しさは半減してしまう。
くまが出ていたら/生で見ていたら…ってのは、たぶん本質的で。実際、ぼくは劇場でくましか見ていなかった。そして、それで充分幸せだった。生だと「推しカメラ」が出来るわけで、しかも(DMM定点とは異なり)解像度が高いから、それだけで情報量も足りてしまう。いくら見ていても見飽きることがない。ずっと見ていられる。
ただ、新規獲得したいなら、映像でどう見えるかってのは大事なはずで。いきなり劇場やコンサートに来てくれる人なんて、どれだけ居るんだって話。
1.
今回のゼロポジ公演。いつもの感じで始まる、と思いきや、バラエティ番組でいかにもありそうな新規さんを引っ張ってらっしゃい企画に長〜い自己紹介MC。なんだかぬるいな…(ちゅりが企画段階から参加していたらしいから批判しづらい…)
それを見ていて思ったのは「なんだか幕の内弁当みてえだな」ってこと。いろんなキャラの子がいて、それを「こんな食材がありますよ、あんな食材がありますよ」って訴えている。
でも、幕の内弁当である=いろんな子がいるなんてことは、大人数グループである限り当たり前のこと。それは結局、「幕の内弁当です」ってのを繰り返しているのと同じ。それじゃあきっと、(物理的な意味でも精神的な意味でも)遠くから人を集めるのは難しい。幕の内弁当は、別にどこでも食べられるものだから。
どの層に刺さりたいんですか、というグループ全体のターゲッティング/ブランディングもなしで、ただ「色んな食材(キャラ)があります」って放り投げるだけじゃ、あまりに無防備だとぼくは思う。
(追記:「広さ」で言えば、大人数グループよりも芸能界それ自体の方が遥かに広いわけで、その分、多様性もずっとある。じゃあ、その中でなんでSKEの子をわざわざ選ばなきゃいけないって、そのわざわざの部分がターゲッティングとかブランディングの問題になる)
幕の内弁当であること自体は否定しない。でも、大事なのはきっと、「こんな食材(キャラ)もあります」ってことじゃない。それで勝負したら、それだけを専門に扱っている専門店には敵わない。それは食材の良し悪しに差があるからじゃなくて、それだけを食べ続けられるって魔力に敵わないから。
いろんな子がいるから、必ず誰か一人は引っかかる子がいるだろうってのが、大人数グループである48の戦略。でもそれはまた同時に、「たとえ苦手な食材があっても、それも一緒に食べてくださいね」って言われているようなもん。たとえばPerfumeとかベビメタのような毛色が一貫したグループ(専門店)とは、そこが違う。
48のヲタであるためには、好き嫌いをしない大人のヲタであることを要請される。それは良いことかも知れないけれど、でも大人の態度と熱狂とは真逆のもの。
2.
思い起こすと、くまがはじめて「SKEフェスティバル」公演のセンターを務めた日、さきぽんがShowroomをやっていた。そこにいたのは、さきぽん、れなひゅー、おーちゃん、ゆなな(のちにあいあい)の「若手かわいい」メンバーだった。なんだこの天国は…。このユニット売り出したら売れる…。ぼくがそう感じたのはつまり、そこが純粋な「若手かわいい」専門店になっていたから。
こういうこと書くと、「やっぱり若い子が好きなんだろう」って話になりそうだけれど、(たしかにそうだけれど←)それよりはむしろ区分けの話ね。たとえば、だーすーつーまーにーたーの3人はそれはそれで3人の統一感があるとぼくは思う。でも、仮にさきぽんSRに入ったら、やっぱり「混ざっちゃった…」感が出てしまうわけで、その時点で「あの天国感」は失われてしまう。
区分けがしっかりしてないと、よその食材に味や温度が移ってしまう。それでかえって美味しくなる場合もあるだろうけれど、混ぜない方が良い場合も多い。欅がドーンと行ったのも、やっぱり混ざってないからだろうし、チーム8に良くも悪くも熱狂的なファンがついているのは、あれが区切られているからだと、ぼくは思う。
3.
48は、元オアシスのノエル・ギャラガーから「Manufactured girls group」と呼ばれたり、アニメ『Wake Up, Girls!』では軍隊のようなアイドル(のモデル)として描かれたりしてきた。それってじつは本質的なことなんじゃないかと。大人数グループでのそうした統一感こそが、彼らにとってはなにより印象的だったということだから。
「我が名はレギオン我々は大勢であるが故に」(マルコによる福音書5章9節)
Perfumeやベビメタのような少人数グループは、その分、統一感も出しやすい。でも、だからこそ、大人数グループであるにも関わらず統一されていれば、それは強いインパクトになる。なんだこれ…っていうね。でも、内を見れば、ちゃんとそれぞれ個性があって、それぞれのファンがついている。
大人数グループの統一感という点ではK-popがあったから、48は個性の方へと進んだ。けれど、作り物感のあるK-popとの本質的な違いは、むしろ汗とかガチとかライブ感とか全力感だったのかな…と、今では思う。前者が横並びの統一感だとすれば、後者はみなが同じ方向へと進む一体感と言えば良いのかな。最近は「個性」って言いすぎのような気がする。
近頃のSKEも、以前より統一感がない…と、ぼくは思う。特にひょんさんが抜けてからはそうで(彼女が抜けたことは、個人としてはもちろん、それ以上に大きな意味があったってのを最近よく痛感する)。幕の内弁当であることは構造上仕方ないとしても、それが全体として「どういう幕の内弁当なんだ」ってこと(ブランディング)が分からない。
今だと、個々の主張が強すぎて、温めなきゃいけない具材と温めちゃいけない具材さえも一緒くたになってしまっているようで、正直(少なくとも、ぼくの好みからすると)カチャカチャし過ぎの印象がある。これが「どこに向けた弁当なんだ」ってこと(ターゲッティング)が分からない。
いろんなタイプがいるからこそ強いんだ…と思う人もいるかも知れないけれど、でも現実にはそうはなっていない(各種指標はどんどん落ちてる)。むしろ大事なのは、いろんなタイプが居ても、それでもきちんと統一感が保たれているってこと。ひとつの色で統一するのは難しいとしても、全体としてのバランスとか、調和、彩りの美しさはどうしても必要で。
個性が大事だってのは認めるとしても、そういうことがもっと意識されても良いし、それが出来ないならせめて、ユニットの時くらいは透徹した純粋なもの、統一したカラーが意識されても良い。
今回のゼロポジ公演でも、ぼくはりょうはの『枯葉』とフルマリオンの『淋しい熱帯魚』がとりわけ良かったと思える。それは、そこが彼女/彼女たちだけの混ざりけのない透徹した世界になっていたから(りおんにWink歌ってもらうのは僕の念願でもあるし)
追記(11/1)
秋元康は、あるインタビューで
これは乃木坂46によく言うことなんですが、みんなバラバラでいいんだと。それぞれの色がパレットで混ざったときに、それが「乃木坂46らしさ」になるんだ。
と、まるで「16色の夢クレヨン」みたいなことを言っているけれど、これは半分ウソだとぼくは思う。
たとえば、SMAPだとか、でんぱ組だとか、ももクロくらいの人数でメンバーも固定されていたら、それぞれのカラーが混ざって「そのグループらしさ」が出るというのは分かるけれど、48/46みたいにメンバーが何十人もいて、加入と卒業を繰り返すようなグループにおいて、それは難しい。
すべてのカラーが見えている人がどれだけいる? それが全部混ざったときの「らしさ」ってなに? すぐ辞めたり入ったりするのに? その「らしさ」ってその都度変わるの? それってもう「らしさ」じゃなくない? 結局、パッと頭に浮かぶのは、フロント5人~7人くらいのイメージなわけで、そのフロントが卒業してしまったら「そのグループらしさ」も失われてしまう。AKB48がまさにそうだった。
だいたい、9人くらいまでのグループだったら、それぞれのカラーがあっても、全体での統一感や、あるいはバランスや調和を保つことは出来るだろう。けれど、それ以上になると、単に個々が独自のカラーをもつだけじゃ全体の絵を描くことはできない。
だからこそ、ある程度は外からフレーム付けしてやる必要があって。それがまさにグループの「コンセプト」になる。たとえ何十人いても、そのコンセプトがあれば、ひとつの方向性にまとめることができる。
どれだけメンバーが入れ替わっても、そのコンセプトがある限り、「そのグループらしさ」も残っていく。もちろん、メンバーが入れ替わることで変わる部分はあるのだけれど、方向性としては変わらない。
乃木坂のコンセプトである「リセエンヌ」(フランスの女学生)だって、要はそういうことでしょう? (だから半分ウソってこと)