シン・ゴジラ徒然2(読み)
(注:ネタばれします)
1.
今年の夏を(少なくとも一部の人の間では)席巻した感がある「シン・ゴジラ」。ここ数週間、僕も方々の「シン・ゴジラ」評を見て歩いています。色んな読みがあります。
もっとも典型的なのは、3.11のメタファーだとする読み方。これはもう明らかですよね。初代ゴジラが水爆実験における「第五福竜丸」の事件を下敷きにしていることを考えても、これはゴジラ映画の正当な読み方だと考えられるでしょう。
まあ、それは基本中の基本であって(僕自身、以前書いた「自分の撮りたいゴジラ」に原発要素を取り込んでいるくらいですし↓)
「基本的には、山の上の主人公が見ているだけ…というのがやりたいのです。「ただ見ているだけ」の主人公が、ボク自身の比喩だってのはもちろんなんですが…だからこそかな、その方がボクにとってはリアルなのですよ(それはつまり原発事故に対するボクのスタンスとも重なるわけで、それがゴジラの主題と…ってのは後付けの理由かな)」
2.
ただ、その読みだけで全てが通るわけではないだろうな…とも思うのです。
庵野監督好きからすると、あれはもちろん「エヴァ・ゴジラ」です。岡田斗司夫さんなどは、「エヴァ第0話」として見ることが出来ると言っています。その説にどの程度の説得力があるかどうかは別として、多くの人がこのようにエヴァ要素を見て取るでしょう。随所にエヴァらしさがあります。音楽なんて、まんま使ってたりしますし。
何より僕が「エヴァっぽい」と思ったのは、あの編集のリズムです。当初、僕は「樋口印」の作品だと思って見に行きました。「総監督」が庵野さんだってことは知っていましたが、それって名前だけの場合も多いじゃないですか(笑)
でも、蓋を開けたら、紛れもなく「庵野印」の作品だったのです。編集であれだけ作家性を見せつけられるってことが、正直、驚きでしたね。庵野さんはある対談で「編集だけは手放さない(中略)編集だけは…変わっちゃいますからね。映画がもし変わるとしたら編集だと思います」*と言っていますが、さすがそう言うだけのことはありました。
*庵野秀明/岩井俊二『マジックランチャー』
この編集のリズム、もとは庵野監督の尊敬する故岡本喜八監督由来らしいんですよね。会議を主に描くこの映画は、岡本監督の『日本のいちばん長い日』に似ているという話もあります。実際、マキ教授には岡本監督の写真が使われています。映画好きは、この岡本要素を指摘する人が多いように思います。
3.
これらは劇中で直接に示唆されている結び付きですが、また別の読みをする人もいます。
評論家の宇野常寛さんは、『パトレイバー』や「平成ガメラ」の名を挙げていました。彼は「シン・ゴジラ」が『劇場版パトレイバー2』(P2)のいわば「前日譚」として読めるとしています。P2は、PKOで部下を失った柘植がテロを起こす話ですが、「シン・ゴジラ」で撃てなかった自衛隊員(第一次上陸時)がそのまま柘植になりえると言うんですね。
ただまあ…もっともシンプルな読みとしては、P2よりもP3…もっと言えば、ゆうきまさみさんの漫画版に出てくる「廃棄物13号」に似ているでしょうね。あれはまさしく、海から上陸する「怪獣」なわけで。「単為生殖で増えるかも…」という設定や、最後の処理の仕方にも通じるところがあります。
マキ教授がP1の帆場っぽいとかいう話もありますが、その意味ではむしろ、西脇冴子っぽいのかなと。彼女は、人のがん細胞を「13号」の培養基として使うことを主張したんですよね。で、実際、そうして13号が生まれた…。P3では、それが亡き娘のがん細胞という設定になっていて、彼女は13号に自分の娘を投影している…。
(岡田さんも言っていましたが)「シン・ゴジラ」におけるマキ教授の失踪とゴジラ出現のタイミング、そして最後のしっぽのあれ。今回のゴジラの目は「人間の眼でいこう」*って話…。どういう形なのかは解釈の余地があるでしょうが、ほぼ間違いなく「シン・ゴジラ」には人間の細胞が取り込まれているでしょう。
だって、『エヴァ』の庵野さんですよ。エヴァ初号機ってのは巨人であってロボであって、そしてまた同時に碇ユイでもあるわけですよ。庵野さんがもともと「ウルトラマンヲタ」だってのも有名な話です。ウルトラマンってのも、宇宙人と人間が融合した存在であってですね。まあ、そういうことですよ。
「シン・ゴジラ」には人間のドラマが描かれてないって言われますけど、だから描かれてるんですよ…だって、ゴジラ自体が人間なんで…という話は次々回します。
つづく