ちびまる子ちゃん徒然 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「ちびまる子ちゃん徒然」

 なにをどう思ったか、世間がポケモンに染まるなか、「ちびまる子ちゃん」を第1シーズンから見ていました(いや、いまだガラケーなんでやりたくても出来ない…っていう)

 なんか良いなあと。基本、日常系コメディですが、時々、ホロっとさせる回があったりしてね。「クレヨンしんちゃん」とか、「ドラえもん」…あるいは(漫画だけど)「よつばと」もそうかな、ボクはこういう系統がいちばん好きなのかもです。

1.「原作者」
 「ちびまる子ちゃん」は原作者さくらももこさんの自伝・私小説の要素が半分くらいある作品ですが、アニメ版もさくらさんが第1シーズンの途中から脚本を手掛けています。もちろん、面白いんですよね。で、1992年に第一期が終了したあと、1995年から第二期が始まります。ここでも引き続き、さくらさんの脚本なんですが…う〜ん、なんだろう…。

 劇中のまるちゃんって、じつはあまり性格良くないじゃないですか(笑)。すぐだだこねるし、聞かん気だし、グ~タラだし、見た目で人を判断するし、微妙に周囲を斜めに見てるし。まわりのキャラクターの扱いも結構ひどい…(^_^;)
(花輪くんの初登場回なんて、「キザで厭味なヤローなんだよな…」とか言われてるし)

 もちろん、そここそが面白いところで。そうした毒気が「ちびまる子ちゃん」の真髄です。

 ただ、アニメ版が上手かったと思うのは、原作では作者(=成長後のまるちゃん)のモノローグという形で入ってるナレーションを、第三者(天の声)のツッコミという形にしていること。そうやって、客観的な視点を確保しています。そのことで、毒気もオブラートに包まれているんですよね。心地の良い毒気になっています。

 かわいさと、オブラートに包まれた毒気と、子供世界であることで許されることと。アニメ版第一期は、そんな絶妙のバランスの上に成り立っています。ところが、第二期では、そのバランスが崩れている…気がするんです。まるちゃん=作者=脚本家の意地の悪さが前面に出ちゃっているというか…。

 原作を「改変」してボロボロになる作品ってのは枚挙に暇がありませんが(「くまみこ」のアレは…)、原作/者が常に素晴らしいかと言うと、必ずしもそうではなくて。

(たとえば「クレヨンしんちゃん」も、文庫版で言うと14巻の辺りから急激に詰まらなくなっているんですよね。全部のコマにボケやギャグを入れるんじゃないかって感じで、明らかに作品のリズムが失われていました)

 とは言え、原作/者が上手くいかなくなった時にアニメ制作者が勝手にやって上手くいくかと言えば…そう考えると、なかなか難しい問題です( ..)φ

2.「線」
 まあ、それはともかく、「ちびまる子ちゃん」第一期は、僕的「神アニメ」認定です…いや、いまさら過ぎですが(-_-;)>

 歌の力も強いし(子供のころ歌ってたわ…)、まるちゃん演じるTARAKOさんの声も良いし…清水市が舞台ってのも良いよね(←静岡が絡むと自動的にポイントアップする人)…そして何よりあの「線」ね。

 今のアニメ(って、「ちびまる子ちゃん」自体いまも続いてますが)に比べると、キャラも背景も記号的で情報量も明らかに少ないです。でもなんか、そういう素朴さシンプルさ…たった一本スーッと線を引いているだけなのに目の表情がね…「ああ、かわいいなあ」って素直に思えるような線で。

 原作の線とも少し違っていて。なんとなく、旧劇場版ドラえもんの線を思い出しました。「ちびまる子ちゃん」の監督の芝山努さんはまた「旧ドラえもん」の監督でもあります。どこか狙ったような「可愛さ」とは違う、素朴なかわいさ。「ちびまる子ちゃん」の、あの線は(もちろん直接的にはキャクターデザイン、作画監督、アニメーターの線なわけですけど)監督を務めた芝山さんの方向性なのかもしれません。

 芝山さんの仕事って、もっと評価されて良いのかな…と。

3.「幻の77話」
 でね~…第一期の中でも、とくに77話が良いんですよ~…と言いつつ、権利関係の問題があるらしくてdTVなどでは欠番になって…(-_-;)

 「まる子 百恵ちゃんのコンサートに行く」って話で、山口百恵さんのコンサートにまるちゃんが行くっていう、たぶん実話がもとになっているんですが…何度見ても「百恵ちゃん…本当に居るんだ…百恵ちゃん」ってシーンで涙がこぼれそうに…(*_*;←

アイドル好きな人は、あの感覚、絶対分かるな~って。あの回はアイドルに(どんな形にせよ)関わっている人にはぜひ見て欲しい…ので、権利関係をどうにかしてくだせえ~…←