傷物語〈I 鉄血篇〉(4.0) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
『傷物語〈I 鉄血篇〉』
 
2016年日本、64分
 
監督:尾石達也
 
主演:神谷浩史
 
概要
 人気作家・西尾維新の小説でテレビアニメ化もされている「物語」シリーズから、「化物語」の前日譚(たん)にあたる作品を3部作で描く劇場版第1弾。主人公の高校生・阿良々木暦と、伝説の吸血鬼であり「怪異の王」と呼ばれるキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードとの出会いを活写する。総監督に新房昭之、監督に尾石達也、アニメーション制作にシャフトなど、テレビアニメシリーズのスタッフが集結。キャラクターの声は神谷浩史、坂本真綾などが担当する。ファン待望のシリーズ原点のアニメ化に期待が高まる。(シネマトゥデイより)
 
感想
1.新房昭之:『化物語』
 
『化物語』の魅力のひとつは「会話」の部分なんです。でも、話し言葉ではない小説独特のやりとりの言葉なのでどうしようかと。(『新房語』p.62)
 
 新房さんがこう指摘するように、「物語シリーズ」の特徴として「会話」がある。それも、たとえば平田オリザさんが自らの劇作に用いるような日常語ではなく、きわめて文語的で、その作中には、同音異字のような、話し言葉では伝わらない言葉遊びが頻出する。これをどう映像化するか。新房さんは、こう続ける。
 
自分のテーマは、アニメの映像文法をどこまで踏襲して、どこまで崩すか、というバランスです。(中略)「現在の時代にあったアニメ文法」を作りたいという夢はあります。その文法に、西尾さんの文法をうまく取り入れて、ちょっとズラしてみたいなっていう欲はあるんです。あとは「小説が原作なんだよ」というのがわかるように作りたいです。(『新房語』p.63)
 
 通常、小説を映像化する時は、それをいかに映像に落とし込むかということを考える。言い換えれば、小説を映像に翻訳しようとする。それに対して、新房さんの場合は、むしろ映像(アニメ)の方を崩して、小説に近づけようとする発想があると思う。「物語シリーズ」の場合は、とくにそれが顕著だ。雑誌『アニメスタイル』の小黒さんは、新房さんのスタイルをこう分析する。
 
「新房昭之のアニメスタイル」を、端的に言葉にするならば「平面構成を基本とし、奇抜な色遣いや、カット割りのリズムで見せていく」というものである。いや、それだけではない。より記号性を高め、抽象絵画のようになってしまったビジュアル。映像のポイントとして使われるテロップ。あるいは劇中に実写の写真を挿入してしまうような奇抜さ。
「新房昭之のアニメスタイル」『月刊アニメスタイル4』p.90
 
 これは、彼が(シャフトのスタッフと築き上げながら)もともと持っているスタイルでもあるわけだけれど、彼がいかに「アニメの文法」を崩し、小説的なアニメを作ったかという問題に対しても、ひとつの回答を与えるものだ。
 
 まず、平面的な空間を構成し、そこにテロップや実写素材をコラージュのように用いることで、首尾一貫したアニメ空間というものを崩していく。アニメ空間が崩れることによって、別の媒体=小説的なものが入り込んでくる余地が生じることになる。
 
 記号的(象徴的)な表現になった背景は、その記号性において、類似性や隣接性(cf写真トレス)に基づく一般的なアニメの背景よりも、むしろ文字(象徴記号)に近い表現になっている。そこにさらに、実際の文字(テロップ)が挿入されるわけで、なおさら小説的な印象は強くなる。
 
 そして、カット割りのリズム。たとえば宮崎(駿)さん的な、なめらかな動きで見せるアニメではなく、むしろ出崎(統)さん的な、格好のいいポーズポーズで見せていくのが新房さんのスタイルだ。前者が連続的だとすれば、後者は断続的ということになる。この断続的なリズムが、小説的なものと通じている。なんとなれば文字と文字は一文字ごとに区切れているし、文章というのもセンテンスごとに区切りが入る=断続的なものだからだ。
 
 こうして、新房的なものを推し進めていくことで、「小説的なアニメ」が生じることになる。こう考えていくと、『化物語』と新房さんの相性が良かったこと、その出会いが幸福なものであったということが分かる。
 
2.尾石達也:『傷物語』
 『化物語』の前日譚『傷物語』。物語シリーズ初の劇場映画。今作の監督を務めるのは『化物語』でもシリーズディレクターを務めた尾石さんだ。尾石さんの持ち味は、新房さんのそれとはまた少し違う。今作は尾石さんの色が強く出ているように思う。
 
 もちろん、もともと「実写を使うのは、尾石さんのセンス」(『アニメスタイル003』「新房昭之3万文字インタビュー」p.68)と新房さんが言うように、コラージュ的な手法は尾石さんが得意とするところでもあって、今作でも実写素材が用いられている。その点では、『化物語』と共通している。
 
 また、意図的に2D素材(セル)と3D素材(3DCG)の間の違和感が残されているようなところがあって、アニメ空間が首尾一貫していない。そうしたところもまた、これまでの「物語シリーズ」と通じているところだろう。
 
 その一方で、用いられた実写素材が単に違和感を生じさせるだけでなく、時に背景に融け込み、映画的な画面を作り出している。意図的にキャラクターとの縮尺がずらされるような場面もあって、背景の広大さ(奥行きの深さ)を感じさせる。平面的な空間構成が舞台の書き割りを連想させるTVシリーズとは対照的に、映画という媒体の特性を活かしているのだ。
 
 それから、連続性と断続性という点においても、TVシリーズとは違いが見られる。阿良々木役の神谷さんは、インタビューで次のように答えている。
 
―― 初の劇場作品となる『傷物語』ですが、テレビシリーズとの違いはありましたか?
 
神谷 一番特徴的なのは、ナレーションやモノローグが極力排除されているという点ですね。(中略)
 
―― テレビシリーズでは、動きの少ない一枚絵と膨大に繰り出される暦少年のモノローグの対比がとても印象的でした。
 
神谷 それはテレビという媒体の特性に合った形なんだと思います。テレビでやるのであれば、あれ以上の形はなかなか思いつきませんが、劇場となるとまた違った特性があるので、それに合わせて作り方も変えないといけない。今作ではテレビシリーズの手法とはあえて変えて、劇場作としてのクオリティをすごく意識して作られていると思います。
 
 神谷さんが言うように、今作では語りの部分が少なくなっている。作画にも梅津(泰臣)さんや吉成(曜)さんと言ったスーパアニメーターが加わっていて、むしろ動きで見せるような場面も多い。そのため、断続性よりは連続性の印象が強くなっている。
 
 さらに、守岡(英行)さんが加わっていることによって、キャラデザにも若干の変更が見られる。渡辺(明夫)さん的なエッジの効いたデザインというよりは、『さよなら絶望先生』のようにキュートで、『コゼットの肖像』のように肉感的なデザインだ。
 
 そして、キャラデザの守岡さんが作監を兼任していることによって、デザインとしても、ポーズポーズではなく、動いて見せることのできるデザインになっているように思う(それはどっちが良いという話じゃなくて)。そうした動きの部分が、この映画の「贅沢さ」を生んでいる。
 
3.白と赤
 このキャラデザの「肉感的」ということはまた、「血」という問題に通じている。肉感的で血色のよい造形は、ちゃんとそこに血が通っているように見えるんだ。そして、この映画『傷物語』では、副題(鉄血編/熱血編/冷血編)が表しているように、「血」が大きなテーマになっている。つまり、件のキャラデザはテーマとも結び付いている。
 
 この映画、血の色・・・赤が非常に印象的だ。地下鉄のシーンに関して、ある人が、無機質な駅と肉体性+血、それから真っ白な背景と、血の赤+真っ赤なドレスという対比を指摘していたけれど、たしかにそうだと思える。赤をいかに活かすかということが考えられている(『化物語』第一話の冒頭にも描かれているように、あれはもともと街灯の下という設定だったらしい)。
 
 この白と赤という対比は、もうひとつ、劇中で再三にわたって映し出される日の丸にも響いているだろう。日の丸の赤を、血の赤に類比させる・・・というと、あまりにPoliticalな香りがするようだけれど、そこまで政治的なものをここに読み込むべきかどうかは分からない。
 
 尾石さんはとかく「前衛芸術好き」という文脈で語られることが多い人だけれど、ある対談では「他のアニメが西洋絵画であるのならば日本画で平面というのもありではないかと思いますね」と語っている。
 
 この日の丸も(政治的なものよりは)むしろ、そんな方向から出てきたものなのかも知れない。血の赤は日の丸の赤と響いていて、それはさらに、和趣味へと反映している。つまり、血→赤→日の丸→和と結び付いていっている。まるで加山又造のような桜、横山大観のような富士は、この映画に和風の趣味を与えているし、印象的な夕焼けの金色も、そう考えるならば、金地のようにも思える。
 
4.影響関係
 最後に、影響関係について。冒頭の飛び降りる人とカラスというシーンは、どこか押井監督の『機動警察パトレイバー the Movie』の冒頭を連想させるし、地下鉄や工場地帯という舞台立ても、見ようによっちゃ『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を連想させる。
 
 シャフト作品では、『まどマギ』の劇場版(新編)でも、押井監督の『ビューティフル・ドリーマー』へのオマージュが(たぶん)あったから、ここでも同じなのかも知れない。ただ、これはたとえば先述の「血の赤」のようにテーマと結び付いているわけじゃ(たぶん)ないから、どこまで確かなのかは分からない。
 
 ゴダールからの影響を指摘する記事も見かけたけれど、そういう影響関係をどこまで読み込むべきなのかってのは常に難しい・・・(『ふしぎの海のナディア』のヤマト発艦シーンくらい明確にやってくれたら分かるんだけれどね(^_^;))
 
 いずれにせよ、このように、この映画では(「小説的」なTVシリーズと対比するかのように)小説には回収しきれない要素が入っていて、それによって「映画的」な印象が与えられている。その点では賛否が分かれるかも知れないけれど、映像の強度としてはあるように思う。
 
 ただ、3部作に分けられていて、一本の映画としては短く感じる・・・ので、星はこれくらい。
 
☆☆☆☆(4.0)
物語4.5
配役4.0
演出4.0
映像4.5
音楽4.0