ブリッジ・オブ・スパイ
BRIDGE OF SPIES
2015年アメリカ、142分
監督:スティーヴン・スピルバーグ
主演:トム・ハンクス
概要
『ターミナル』以来のタッグとなる、スティーヴン・スピルバーグ監督と名優トム・ハンクスによるサスペンス大作。東西冷戦下の1960年に実際に起きた、ソ連によるアメリカ偵察機撃墜事件“U-2撃墜事件”の舞台裏に迫る。『ノーカントリー』で第80回アカデミー賞監督賞を受賞したジョエル&イーサン・コーエンが脚本を担当。一介の弁護士が挑む実現不可能と思われた作戦で、思いがけないアプローチを試みる姿に意表を突かれる。(シネマトゥデイより)
感想
スピルバーグはこの映画に「橋を架ける」という思いを込めたと言う*。こちら側と向こう側の間に橋を架けること。
「赤狩り」の時代に、ソ連のスパイを弁護した主人公。圧倒的世論のなかで、いかに「善きこと」は成り立つかという『善き人のためのソナタ』にも通じるテーマ・・・かと思いきや、そこはスピルバーグ、そう単純じゃない。
スピルバーグ作品を特徴付けるもの、それは向こう側から差し込む白い光だ。『未知との遭遇』に典型的に見られた光だけれど、彼の作品の中で様々に姿を変えて現れてきた。それらは、何より理解の及ばないものを表していただろう。「未知との遭遇」とはまさに、そのことを典型的に言い表わした言葉だ。彼の作品はつねに「未知との遭遇」だった。
そして、それらはつねに、「向こう側」から訪れる。『激突!』のトラックから始まり、『続、激突』の警察車両やヘリ。ジョーズ。『未知との遭遇』や『E.T.』のUFO(後者では大人たちもかな)、それらは直接的にせよ間接的にせよ、白い光とともに訪れる「向こう側」のものだった。
理解のできないもの、それはまた、スピルバーグ作品のテーマでもある。たとえば、『プライベートライアン』や『シンドラーのリスト』では戦時下での不理解そのものがテーマとして描かれていた。そして、彼の作品は、中立的な描き方にならないことが特徴だ。必ずと言って良いほど、彼の背景となっているアメリカ/ユダヤの観点から描かれる。そのため、多くの場合ドイツは「向こう側」として描かれる。それはジョーズと同じように理解できないもの、圧倒的な暴力そのものだ。
そして、この映画でも、例のごとくドイツはあまり良く描かれていない。そこは、スピルバーグにとっては外せないところなのかもね。これまでの彼の作品の多くは、彼のプライベートフィルムのような側面がある(圧倒的エンターテイメントに仕立てちゃうからそう見えないけれど)。この作品も、まさにこの当時、ソ連に出張中だった彼の父親が、墜落したU-2を見学したこと(そして「お前らのしたことを見ろ!」と言われたこと)が着想源となっているわけで、やはりそうした側面はあるんだろう。
今作では、こちら側と向こう側という構図が少し複雑に捻れている。この映画で、白い光が印象的な場面は2つある。ひとつはクライマックスのシーン。橋の向こうから当てられる白い光だ。それはやはり、未知の存在としてのソ連を表しているんだろう。大前提として、冷戦中の相手であるソ連が未知の存在であることは間違いない。
もうひとつは、主人公の弁護士とソ連スパイが接見室で会話をするシーン。窓の外から白い印象的な光が入ってきている。ただ、この光はおそらく、ソ連スパイを表しているわけじゃない。物語の鍵を握るアベルはソ連スパイでありながら、むしろ理解できる存在として描かれている。彼はどこか、E.T.のようだ(E.T.の背後にある宇宙文明はまったくどういうものか分からない。それは最後、光として訪れるだけだ。だけれど、E.T.自身はもちろん、主人公たちの友達として訪れる)。
接見室シーンの白い光は、むしろ接見室の外にある世間そのものを表しているだろう。接見室の中で邂逅する主人公とアベルのプライベート空間の外に、広がっている空間。そこは、当時「赤狩り」の真っ最中だったアメリカの世間だ。今作ではアメリカ市民も、どこか未知の存在のように描かれている。彼らの前半と後半の表情の違いは、いっそ寒気がするほどだ。
物語的には、ややヒーロー的な要素が含まれているし、最終的にもすごく(ハリウッド的に)綺麗にまとめてある。けれど、ただそれだけじゃなくて棘を残しているところが、さすがスピルバーグってところ。車窓から眺めるドイツとアメリカの景色の対比が印象的。
☆☆☆☆★(4.5)
物語4.0
配役4.5
演出4.5
映像4.5
音楽4.0