構造についてのメモ書き
1.俺ガイルと3月のライオン
『俺ガイル』が「あちらとこちら」の話だとすれば、『3月のライオン』は「こちら」の話ということになる。
これはつまり、カメラの置き場所が違うということ。星々で喩えれば、前者が地球と月とを共に収められる位置にカメラが置かれているのに対し、後者は地球上にカメラが置かれている。
ゆえに、後者ではすべてが「内」と「外」の関係にならざるを得ず、「外」の人間が描かれる時はすべてが来訪者(あるいはエイリアン)となる。それは、高橋くんであっても、高城さんであっても、川本父であっても変わらない。
ゆえにこそ、彼らの(背後の)世界が描かれることはない。と言うより、そもそも構造的にそれは描けんのだと思う。
2.海街diary
原作は、ひとりひとりの視点を描いていって、そのことでジオラマ的な俯瞰の視点を手に入れている。ひとりひとりを描いていくことで街が立ち上がっていく。そして、そこに海風が吹いている…。つまり、人(液体)+街(固体)+風(気体)という構造になっている。
映画版は、単に変則的な「4姉妹物語」。単に人間同士のウェット(液体的)な関係になってしまっている。