ボクはなぜ、アイドルの茶髪が許せないのか4(イメージ) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


過去記事その1その2その3

 僕は実生活の中では黒髪か茶髪かは問題にしないのに、なぜアイドルに対しては茶髪が許せないのか・・・という話の続きです。

 「イメージ」の問題として考えてみましょう。黒髪=清純という「イメージ」はかなりの程度、浸透していると思います。清純というのは「世の中のけがれにそまっていないこと」(デジタル大辞泉)ですから、外見的に染まっていないということが、内面が染まっていないということの徴標になっているわけです。

 これはまた、日本人が生まれつき持っている髪の色が黒だという意味において、自然主義的な思想に基づいているとも言えるでしょう。ただ、グローバル時代においては、なにが自然かは揺らいでいきますから、ある限定された範囲での自然主義なのかも知れません。

 いずれにせよ、黒髪=清純という「イメージ」が現代日本文化の中にはある。これはしかし、イメージの問題ですから、利用することが可能です。

 たとえば、ある子は「自分が黒髪だ」ということに意識的な子でした。つまり、その方が「清純に見える」ということです。その子が本当に清純かどうか・・・はさておき、「清純に見える」というイメージを意識しているという点において、すでに世の中に染まっているとも言えるかも知れません。

 アイドルでもそれは同じですよね。意識してやっている限り、そこにはすでに「自分がいかに見えるか」という自分のイメージに対するメタレベル(ひとつ上)の判断が加わっています。

 したがって、黒髪=清純というイメージからのみでは、「アイドルが黒髪であるべき」という結論は生まれて来ないことになります。

 ここにはさらに、ポーズの問題が関わってきます。さきほど、イメージは利用できると言いましたが、これはまた同時に、「どの価値観に自分は属するか」の表明であるとも捉えることができるのです。

 つづきます。