「戦争と平和——伝えたかった日本」 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「戦争と平和——伝えたかった日本」
IZU PHOTO MUSEUM

 なんとなく捉えどころのない展覧会って印象だった。戦前ー戦中ー戦後の「報道写真」というテーマで、その連続性や国策との結びつきを見ている。それは分かるのだけれど…。

 「報道写真」という抽象的な概念を取り扱うことの難しさ。たしかに資料は豊富だし、貴重な写真も多いのだろうけれど、IZU PHOTOという(あまり大きくはない)会場柄、戦前-戦中-戦後の「報道写真」を帰納的に量で分からせるという訳にはいかない。

 そこで、ストーリーを構築することになる。それがこれ↓

日本の〈報道写真〉は、モダニズムの先鋭として発展し、日本文化を海外に紹介するために用いられましたが、戦争の激化にともないプロパガンダに変容し、占領期・冷戦期の情報戦にも一定の役割を果たしてきました。

 これ自体に取り立てて異論はない。ただ…

 この見方は、本来「透明である」とされる報道写真を、ひとつ上(メタレベル)の観点から、「色の付いたもの」として見ているわけで、実はそれ自体、自ら(この展覧会)が「透明である」という主張を内包している。

 けれど、難しいのは、ストーリーを構築するには、取り捨ての選択をしなければならないということ。そして、「報道写真」という大きな構えを取ってしまっていることで、その中での取り捨て選択が、時に恣意的なものに見えてしまうということだ。

 つまり、キュレーターの影が見えるということね。通常の写真展ならば、それ自体は必ずしも悪いことではないのだけれど、「報道写真」という透明性が問題になるテーマ(そしてそれをメタレベルで扱うという自らの主張する透明性)とは噛み合わせが悪いように感じた。

 ボクはむしろ、人で区切っても良かったと思う。たとえば、「土門拳と木村伊兵衛の戦前ー戦中ー戦後」とかね。そうすれば、範囲も狭まるし、ストーリー(人生)を構築したのは写真家自体なんだから、展覧会そのものの恣意性は薄まっていく。

 もうひとつは、あの最後の特大パネル展示(「ザ・ファミリー・オブ・マン展」の日本会場で展示され、のちに撤去された山端庸介の被爆写真)。あれを最後に持ってくるのは理解できる。戦後の情報戦と報道写真の関連を示す象徴的な例だと思うしね↓

人種や階級を超えた融和を謳うこの20世紀最大の写真展が、形式においても内容においても戦中のプロパガンダを踏襲しており、冷戦体制下で経済的繁栄を謳歌するアメリカ型民主主義とヒューマニズムをアピールする文化戦略であったという指摘もある。

 それに対して日本側の実行委員は、「唯一の被爆国としてのイメージ」を押し出そうとして、もともとNY会場で展示されていた山端の被爆写真とは別の、より衝撃的な写真を展示した。しかしそれは、昭和天皇とアメリカ大使の訪問に際してカーテンがかけられ、のちには展覧会の企画者であるスタイケンの指示で撤去されたわけだ。

 ここにはすごく、プロパガンダとしての写真使用(あるいは非使用)という側面が表れていて。だから、あのパネル展示を最後に持ってくるのは理解できるんだ。

 ただ、あれはきわめて「強い」写真だから、特に最後に置いたことで、そうした文脈を超えて、なにかそれ自体の強いメッセージ性を持ってしまっているように、ボクは感じた。この展覧会全体のストーリーをそっちに引っ張ってしまうようなね(今は8月だからなおさらそう感じるのかも知れない)。

 ボクはメッセージ性の強い展覧会というのを否定しない。それは全然あっても良いと思う。ただ、この展覧会において主張された「透明性」と、その強い「メッセージ性」の折り合いが悪いようには感じた。

 ボクが、この展覧会に対して、「なんとなく捉えどころのない」感じを受けたのも、そうしたいくつかのことが重なってのことだったかも知れない。



戦争と平和——伝えたかった日本
IZU PHOTO MUSEUM
2015年7月18日(土)―2016年1月31日(日)