れなひょんのこと | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


TIF2015その3

1.れなひょんのこと

  いま、れなひょんについて何が言えるだろう。じつは卒業発表後、そのことについてなにも触れていない。まるで、卒業発表なんてなかったかのように。聞かなかったフリをしているみたいにね。そう…ボクはそうなんだ。アニメや映画などに良くいるような、別れが辛くてお見送りに来ないタイプ。まさにあれだ。

  もちろん、卒業したって玲奈は芸能界に残るし、ボクはそれを応援する。とっくに覚悟は出来ていた筈なのに。女優としての資質を高く評価している筈なのに、「れなひょんは別」だって言ってきた筈なのに。いざ卒業するってなったら、なにを言えば良いか分からなくなってしまうんだ。

  「王様の耳はロバの耳」。卒業発表するまでの玲奈は、言いたいことがあるけれど、でも言えないって葛藤を抱えているようだった(メッセージは発していたけれどね)。その葛藤はきっと、個人とグループ、あるいは夢と愛とに結び付いていた。

  あの頃の玲奈は、そうして2つに引き裂かれる葛藤を無理やり抑え込むような、そんな鬼気迫るパフォーマンスを見せていた。でも、卒業発表してからは、まるで憑き物が落ちたみたいに、迷いの吹っ切れた100%笑顔のパフォーマンスを見せている。

  TIFでも、その笑顔は輝きを放っていた。

 いまここに、明らかに光を放っている星があって、でもその星はこの世界から消えてしまうことが分かっている星で、その光はそのことによって増幅されていて…。そういうものを前にしてボクに何か言えるだろうか。

  ボクらはもうすぐその輝きを失ってしまう。

  ここで、「ボクら」と言う時、ボクはSKEを取り巻くものの内に自らを捉え、そしてその外に玲奈を捉えている。それがたまらなく不思議で実感がわかないんだ。

  それだけじゃない。それだけだったら話は単純なんだ。ボクはむしろ、自分自身が2つに分裂してしまうような、そんな感じがしているんだ。いつだか、「桜SKE」という記事で書いたようなこと。ボクにとってのSKEそれ自体が分裂してしまうような。

  いま、SKEの中でボクにとって大事な存在は、なにより熊崎晴香と、そして松井玲奈なんだと思う。ボクは玲奈推しだったわけじゃないのに、いつの間にだかそうなってしまった。同じSKEで、同じチームEで、同じ二次元同好会で、でも水と油みたいに対照的な2人。

  くまの単純さと玲奈の複雑さ。良い子感全開のくまと、どこか影のある玲奈、ボクとはまるで似ていないくまと、どこかボクと似ている玲奈…。SKEというところにひとつにまとまっていたその2つが引き裂かれてしまうような、そんな気がしている。

 それでもボクはSKEを応援し続けられるのだろうか。


2.
  本来、卒業のあるグループアイドルを応援し続けるには、グループのフレーム自体にくっついてないといけない。中の人たちはどんどん入れ替わっていくわけだからね。人にくっついていたら、自分もいつかは出て行っちゃうわけだ(ヲタ卒)。

(もちろん、話はそう単純じゃなくて、人と人のつながりの中で、また新たに応援する子を見つけていくこともあるわけだけれどね)

  でも、正直…いまの48は…

  なんだろうな…緊張感を失っていくメンバー、相次ぐスキャンダル。いまじゃネ申TVも見なくなってしまったし、有吉AKBもほとんど見ていない。毎週あれほど楽しみにしていたAKBINGOも早送りするようになった。劇場公演だってSKE以外は見なくなってしまった。

(ちなみに、なぜだか「おでかけ」だけは良く見ている。この前のTIFでも感じたことだけれど、指原莉乃はやっぱり凄いと思うし、それにやっぱり、本質的にはこっち側の人なんだって気がする。運営とヲタの乖離をあの子が繋ぎ止めている。そんな感じ)

(SKEでは、松井玲奈がそうした役割を担っていた…のかも知れない。でも、居なくなってしまう。プレイングマネージャー的な役割はたぶん、真木子だってこなせるだろう。TIFでさっしーが見せたようなあの動きもね。でも、ヲタ心理みたいなものに対する感覚は、なかなかそうはいかない)

  閑話休題

  運営やプロデューサーには期待できないし信用もできない。あの総支配人やプロデューサーの言葉はもう聞きたくもない(だからもう歌詞も聞きたくない)。ウンザリすることなんて山ほどあって、口を開けば悪口ばかりが出てくる。「だったら応援しなきゃ良い」って、ボク自身もそう思う。

  なにか大事なもの…理念・理想を共有できないんだ。

 SKE運営は48運営の指揮下にあるわけだから、48がダメでSKEだけが無事ってわけにはいかない。メンバーが入れ替わっても運営なんかは残るわけで、SKEというフレームを構成しているものの大きな部分は彼らが担っている。その彼らをボクは信用できない。同じ理念を共有できている気がしない。

  絶対にフラットには書けないから、これは書くまいと思っていたのだけれど、選抜の話。ららは良い子だと思う。彼女自身がどうこうってことはひとつもない。でも、ボクは心底ガックリきた。ほとほと愛想がつきたと言っても良いかも知れない。

  こういう抜擢は今に始まったことじゃない。そうかも知れない。でも、グループを作り上げていく段階でのそれと、成熟期に入った今のそれとでは意味が違うと思うし、何よりタイミングが悪すぎた。

  7期生が入ってきて、ドラフト2期生も獲得して、研究生公演も決まって。さあこれから…って時だった。研究生公演でどんな姿を見せてくれるだろう。どんな良い子がいるんだろうってワクワクしてた。玲奈は辞めちゃうけれど、そうしてこれからまた新しい歴史を作っていくんだと思っていた。

  でも、あの選抜で、ボクらが公演を見て声援を送ったり、拍手したり、「あ…この子良いな」って思ったり、そうして呟いたりブログに書いたり、あるいは投票したり、なにかそうした些細なすべてのこと[未来]が全部無意味なんだと言われたように感じた。「もうすべて決まってしまっているんだね」…そう感じた。この道はどこにも通じていないんだと。

  ああいうことをすれば、ヲタは反発するに「決まってる」。そうしてもちろん、メンバーはららをかばうに「決まってる」んだ。そうして、なんだかそのままなんとなく、なあなあで済まされてしまう。胸の奥にしこりを残しながらもね。そうして飼い慣らされていくファンにもボクはウンザリだし、Yesman以外を「アンチ」と見なす風潮にもウンザリだ。

 その違和感が耐えがたくなったら、ボクはもう去ってしまうしかない。

  いま、ボクを繋ぎ止めているのは、このグループに対する共感じゃない。いまやそれは、ただひとりの熊崎晴香なんだ。たった一本の細い糸がボクをここに留めている。