「3つのもの:人間的」(整理のために4)
ファンを惹きつける力の最後は、人間的な力になる。
「人間的な力」と言うと、その人の持っている人間性を意味しているように聞こえるかも知れない。しかし、ここで言いたいことはむしろ、人間関係そのものが持つ力ということだ(もちろん、そこにおいて人間性が重要なのは言うまでもない)。
理想のような何かに仕える「忠実さ」が問題になる宗教的な峻厳さ、あるいは「売り」が問題になる市場的なドライさに比して、これはある種の寛容さに支配された力だ。たとえば、(典型的な人間関係である)友人ならば、「どんな私でも」、ある程度は受け入れてくれるだろう。
ただし、職業アイドルという場は本来、そうした力が発揮され得る場ではなかった。人間関係というものは、それなりの接点がなければ成立しない。かつての職業アイドルとファンとの関係においては、そうした接点は確保され得ないものだった。
しかし、2000年代に入ると、ひとつにはコミュニケーションツールの発達、またひとつには握手会などのイベントのシステム化によって、そうした接点が確保されるようになっていく。ここにおいて、アイドルは人間的な力を発揮し得るようになった。
もちろんこれは、たとえば友人関係などとまったくイコールのものではあり得ないだろう。ひとつは、アイドルとファンの関係は店員と客の関係のような側面があること、またひとつは、アイドルはやがて辞めていくからだ(そして、さよならになる)。
友人の場合、(実際に会うかどうかはともかくとして)辞めたらもう会えないということはないわけで、その点は異なるだろう。言ってみればこれは、あらかじめ制限が設けられている人間関係なんだ。
とは言え、この制限された人間関係による力は、現在の48でかなりの影響力を持っている。そうでないなら説明できないことが多すぎるんだ(それがもっとも分かりやすく表れるのは、スキャンダルメンバーの耐久性だろう)。
48は、握手会やSNSによって、この制限された人間関係を作り出していく。元オアシスのノエル・ギャラガーはAKBのことを「manufactured girl group」と言って波紋を呼んだけれど、実際に「manufacture」(製造)されているのは、むしろ人間関係の方なんだ。
こうしてシステマチックに作り出された、制限された人間関係は、48躍進とその存続の鍵を握ってきた。落ち目だと言われ続け、スキャンダルも相次ぎ、それでもまだ48が保っているのは、この力の影響が大きい。また、アイドルであり続けることが難しく、さりとてタレント的な力も持たない子にとって、この人間関係による力は最後の頼みの綱ともなるだろう。
ただ、(とりわけ宗教的人間であるボクから見れば)これは必ずしも良い側面ばかりではない。寛容さは時に甘さにつながる。人間関係の中ならば許せてしまうことってたくさんあって。でもそうしている内に、やがてその外にいる人達の意識とズレていってしまう。身内にしか受けなくなってしまう。そうなったら、新たなファンを獲得していくのは困難になる。
このシリーズでボクは、ファンを惹きつける3つの力というものを想定して書いてきたわけだけれど、この3つをお互いに排他的なものとしては考えていない。現代のアイドルはそのそれぞれの要素を多かれ少なかれ兼ね備えている…あるいは(アイドルと呼び得る存在である限り)そうあるべきだと思う。軸足をどれに置くかという違いはあるにせよね。