「純粋であること、魔法が解けること」
Glastonbury(イギリスのロックフェス)の季節らしく、BBCのYouTubeチャンネルに次から次へとに新着ビデオが到着してくる。と言うわけで、ボクも次から次へと載せてしまうのだけれど。
なんか良いな…と思う。なんだろうな…懐かしさと純粋さと…。夕焼けと芝生と…音楽と。ボクが居たい場所って、本当はこっちなのかも知れないなって。10代の頃は洋楽ばかり聴いていたし、Glastonburyの映像もよく見ていた。だから懐かしいんだ。
最近、時々、その頃の自分が…ドルヲタになる前の自分が戻ってくる感がある。
誰かあるいはグループを応援するってのは、きっと、その人やグループの問題を自分の問題として捉えること。本当に赤の他人と思っている人を、本気で応援するヤツなんて居ないだろう。実際は赤の他人なのに、あたかもそうでないように思わせる。それはある種、魔法のようなものなのかも知れない。
最近、時々、その魔法が解けるような感覚になる時がある。これはボク自身の問題じゃないんだと。魔法が解けてしまえば、ボクはただのロック好き少年に戻ってしまう。少年?
近頃、純粋という言葉の意味をよく考える。ロックの方がずっと純粋じゃないのかと。密室で決められる政治的なあれこれとか、本当にやりたいことはなんだとか、男受けがどうとか、序列がどうとか、そうしたものとは無縁の純粋さ。
(その純粋さはきっと、去年のまさにゃのトトロにも現れていたものだけれど)
ボクがこのブログで、ロックの動画を連投する時は、そうした純粋さで、心を浄化したくなった時なのかも知れない。もちろん、ロックだって実際にはそう単純じゃないだろうけれど、音楽を奏でている時は、そこにはただ音楽しかないんだ。その純粋さ。
今年のGlastonbury、Sharon Van Ettenが客席の小さな女の子に声をかける場面があった。お父さんに肩車され、パンダのシャツを着た女の子。Sharonはその子に「あなたのスタイル好きよ。この歌を気に入ってくれると良いな」と声をかけ、次の曲はその子のために歌った。
"I Don't Want To Let You Down" (あなたをがっかりさせたくない)
ボクは、その場面をとても美しいと感じたし、ボクの求めている純粋さって、きっとこういうことなんだと思った。
最近、時々、魔法が解けたように感じることがある。握手会商法だの口パクだの揃わないダンスだの、そうした批判はすべて的外れだと思っている。思っているけれど、だけれど最近、時々、これはいったい何なのだ…と、分からなくなる。
ただ、くまのことを考える時だけ、ほんの少しだけ心が暖かくなる。