「アイドルと演技」
1.
ボクは呆れています。
みんな言うんですよ。「脱アイドルに失敗したから女優として大成しなかった」と。アイドル評論家でさえ平気でそう言いますからね。
たとえ女優であっても、アイドルはアイドルとして勝負しろ…ってのは、これまでにも何度も書いてきたように、ボクの持論です。アイドルの最大の武器はアイドルであることなんですから、その武器を使わなくてどうするんですか。どう勝つんですか。
現状、アイドルだと演じられない役が多いというなら、アイドル映画やアイドルドラマというジャンルを大成させてしまえば良いじゃないですか。アニヲタに出来たことが、なんでドルヲタに出来ないんですか。それは変ですよ。
(たとえば、『幕が上がる』みたいなものを作ってくれれば、ももクロの作品だろうが、グループの垣根を越えてボクは応援するんです)
ボクは呆れているのです。何にって、ドラマの主役を演じるに当たって「脱アイドル宣言」をしてみせた麻友の戦略眼のなさにです。ボクには、これは3重にも4重にも間違っていると思えます。
ただ、それはあくまでもボクがそう思っているというだけの話であって、別にそれを強制しようとは思いません。好きにやったら良い。ただボクは応援しないよってだけの話です。ですから、この記事は本当は書くつもりはなかったのですが、結果があまりにもあまりにも(6.2%)だったので、やっぱり書いておきます。
よしりん先生は数字で評価すべきではないと言います。しかしながら、はっきり申し上げて、AKBは質より量で勝ってきたのです。いまさら質の問題を持ち出すのはおかしいでしょう(大体、あのドラマのどこに質を見出せば良いんですか)。
2.
第一に、これははっきりと言わなければならないのですが、いまAKBであるということは、ファン以外に対してはマイナスに働くことの方が多いということです。AKBであるってだけで、多くの人は「じゃあいいや」と思う。
「嫌われる勇気を持て」とか、「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」とか言っているうちにこうなって来ちゃったわけです。それでも、あっちゃんが「わたしのことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」とか言っていた頃は、まだ畏敬の念のようなものはあったかも知れません。しかし、いまやそれもなくなってしまいました。
創設ブームが過ぎ去った頃のJリーグのように(ボクは忘れもしないですが)、いまやAKBってのは嘲りの対象なんですよ。悲しいけれど、そうなってしまった。
そういう状況で、AKBのトップである麻友が、自身の支持基盤であるアイドル・ファンにそっぽを向いたらどうなるんですか。そんなドラマ、いったい誰が見てくれるんですか。そんな状況判断も出来ないってのは、いったい全体、これまで何を見て来たんですかと。
もうひとつは、その状況そのもののことです。いまだに、当のアイドル自身からも、アイドルという職業を軽んじるような発言が見られることがあります。自分の仕事に誇りを持てないヤツが、いったいどうして他の人から敬意を払われることができるんですか。
AKB総選挙で1位になった麻友には、「AKBは私が守る」と言った麻友には、少なくとも今年の総選挙が終わるまでは、AKBというグループを尊敬されるグループにする責任が、アイドルって職業にもっと敬意を払ってもらうようにする責任がある筈でしょう。
それがアイドルに背を向けてどうするんだってことですよ。
3.
さらにもうひとつの理由は、これは逆説的な話なのですが…。いまのAKBはあまり「アイドル」という風には捉えられていないでしょう。なんでもありのサプライズに寄り掛かる姿勢は、いつしか見るものを不感症にしてしまいます。ボクらはもはやスキャンダルにさえも飽いてしまった。「ああ、またか…」とね。
麻友は、AKB内じゃその棲み分け構造の中で、いまだに「Theアイドル」で通っているわけですが、一般的には、AKB自体がすでに(言葉の真の意味での)アイドルとは思われていないのが現実だとボクには思えます(ほとんど色物扱いでしょ?)。
だから、これはつまりどうなるか…と言えば、麻友の「脱アイドル」ってのは、AKB内ではそれなりのインパクトを持っているものの、外に対してはさしてインパクトのあるものじゃないってことですよ。
あ~…これは名前を出すべきかどうか。SKE内ではあれだけ強力なプレゼンスのあるかおたんが、一歩外に出ると大して有効に機能しないでしょ? あれと同じですよ。アイドル⇔非アイドルという構図はSKE内ではそれなりに機能するものの、48自体がすでにアイドル性を削がれてしまっているということです。
「脱アイドル」とか「非アイドル」ってのは、「アイドルなのに~」ってのが生命線なわけですが、48の場合はもはや「48だから(まあそうだよね)」ってところに回収されてしまう。ちゃんと作り込むから、それを壊す面白さがあるんで、端から壊れているものをもういちど壊したって大してインパクトなんてないんですよ。
(だから、まとめると、外部に対してはさほどインパクトがない割りに、身内であるアイドルファンからもそっぽを向かれてしまうという、二重に愚かな戦略だってことですよ。そもそも、『ブー子』が大コケした時点で、そんなの分かっていたことでしょうに)
4.
そして最後のものは、演技についてです。よしりんは「爽快」って言ったんですかね。それに対して、さっしーは「腹黒」と言ったそうで…やっぱりさっしーはそういうところの勘は良いと思いますよ。「腹黒」って別に麻友自身が腹黒だって言いたいわけじゃなくてね。
ボクにはね…麻友の演技はエンジンとブレーキ両方かけているように見えたんですよ。そういう意味で、ボクにもあの演技は裏のある演技(腹黒)に思えたんです。
もう少し具体的に言いましょうか。たとえばあるセリフを言おうとする。それ別にすっと言やあ良いのに、頭の上の方にこう…「演技」という概念があって、それが、すっと出ていこうとする言葉に介入してくる。そんな感じです。
だからエンジン(自然な発話)とブレーキ(演技という概念)を同時にかけているような印象になる。「演技」ってのはたしかに大事ですけれど、それが自然な発話にムリなく結びつくためには、きちんとした鍛錬が必要なんです。車を運転するのと同じでね。
あれが「自然」だとはボクは思わないです。あんな鼻にかけた気取った演技が自然であるわけがない。たとえば、SPECの時の優子もそうでした。あれはひどかった(ああいうのが「演技」だと思っている連中のなんて多いことか)。
でも、優子は『紙の月』では一転してナチュラルな良い演技をしていました。のちにその演技が評価されていくつかの助演女優賞を獲得しましたが、ボクはいちおう、その演技はきちんと評価していたんですよ。「たまには褒める」って書いてたくらいですからね。なんでかって、あれ、実際の優子のキャラクターに近い役だったんですよ。
人には、「はまり役」ってのがあるんです。
世間では、色んな役を演じられる人が偉いと思われていますけれど…まあたしかにそうなんですが…実際には「こういう役だったらこの人」みたいなスペシャリストだって多いわけですよ。そして、どんな役でも演じられるオールラウンダーも、ことその役に限っては、そういうスペシャリストには敵わない。
まして演技経験が足りないなら、なおさらです。だからボクは、とくにアイドルは役を自分の方に引き付けろって良く言うわけなんですが。なんか、(ロクに演技経験もないくせに)自分とかけ離れた役でも演じ切れると思い込んでいる子が多い…気がするんですよな。
ちなみに、ボクが2010年に女優の資質がありそうな人に挙げたのは優子/玲奈/こじはる/さっしーの4人で、逆になさそうな人に挙げたのは麻友/ゆきりん/みぃでした。だからまあ…もともと麻友が演技できるとは思っていないんですが…。
ただ、麻友には表現力があるとは思っているんです。劇場での表情なんてゾクッとするものがある。だったら、その表現力を使えと。劇場で磨いた武器を活かせと。下手に(できもしない)「演技」なんてことを意識するから、その部分の魅力が削がれてしまっているんですよ。
たとえば、本職がバレリーナの草刈民代さんなんて、演技はからっきしですけれど、でもダンスシーンになったら、もうゾクッとさせるでしょ。あれで良いんですよ別に…とボクは思っているんですがね。
な~んで、アイドルは、いざ!って時に、わざわざ自分の武器を放棄するか…それがボクにはさっぱり分からんのですよ。