(にししのラスト生誕祭を見ながら…)
SKEとNMBの同時発売。
前回までは、48がどう進むべきかという、いわば戦略論の話でした。
今回はそれとは違って、音楽としてどうか、という話になります。ひょんさんの「皆さんに聴いてもらうためだから」という言葉に対する…アンサーというか何というか、そんな感じです。
少し昔の話をしましょうか。90年代、「ブリットポップ」というものが流行りました。言葉的には、「J-POP」みたいなもんで、イギリスのポップという程度の意味なんですが、実際にはもう少し限定された範囲を指す言葉です。『トレインスポッティング』(1996)という映画を見れば、だいたいどういうものか分かるでしょう。
なかでも、ブラー(blur)とオアシス(oasis)がブリットポップの代表格だとされています。「機知と皮肉に溢れた歌詞に、捻くれたポップサウンドが特徴の中流階級出身のブラーと、荒々しくも壮大なメロディーを奏でる労働者階級出身のオアシス」(wiki)。お互いライバル意識も強かった。
ボクは…どちらも好きでしたが、断然ブラー派でした。あの当時、ボクのアイドルはユベントスのアレッサンドロ・デルピエロとブラーのデーモン・アルバーンだったというのは、このブログでも何度か書いています。
この両グループが1995年、同時発売をしたのです。くわしい経緯はWikiに載ってたので、ちと長いですが、それを載せちゃいます←手抜き
ブリットポップブームの中で最も注目を浴びたのが、オアシスとブラーのシングル同日発売である。以前から仲が悪く、階級、音楽性の違い、出身地など全てにおいて対照的で、ライバル関係にあり、人気を二分していた両者。特にオアシスはメディアが自分達よりもブラーのアルバムに賞賛を送っていたことが気に入らずに日頃からブラーを罵っていた。そして1995年、そういった緊迫したムードの中、対決の日が訪れる。オアシスはニューシングル「ロール・ウィズ・イット」を8月14日に発売すると発表。それに対し、ブラー側が発売日を合わせニューシングル「カントリー・ハウス」を同じ8月14日に発売すると発表した。どちらがチャート1位を獲得するかメディアはこの騒ぎを煽り立て、イギリス中がこのシングル対決に大注目した。さらにはBBCニュースでもこの模様が「ビートルズ対ローリング・ストーンズの再現」と報道されるなど普通では考えられない出来事が起こった。大方の予想はブラーやや有利と見ていたが、その予想通り結果はブラーは27万枚、オアシスは22万枚とブラーの勝利に終わった(ちなみに、ブラーのシングルには2バージョンが用意されており、加えてオアシスの「ロール・ウィズ・イット」には何万枚かの集計ミスがあったことも後発覚した)。これに怒ったノエルが「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」 とコメントし、当時社会的に大きく非難を浴びた(ノエルは、後に「デーモンとアレックスには長生きしてもらいたい」と謝罪した)。
…ね?
ちなみに、ここに出てくるノエル(お兄ちゃん)ってのは、のちに来日してエムステに出演した際、共演した(超かわいい)アイドルグループを「Manufactured girl group」呼ばわりして、物議をかもしたとかなんとか…(^_^;)
もともと口が悪い人なんで勘弁してやってください<(__)>
ただ…そんな狂騒的な雰囲気の中で出来た曲でも…それでも「カントリー・ハウス」という曲自体は…マジでSh〇tだったんですが…←理論が成立しない(笑)
え~と…そうじゃなくて。そういやさ…「カントリー・ハウス」のMVって、あのダミアン・ハーストが撮ってんだね。ここに絡んでくるのが、あの人らしいっつうか何というか。
そうじゃなくて。
この後、戦いの舞台はアメリカに移っていきます。そこでオアシスは圧勝するわけです↓
オアシスの2nd『モーニング・グローリー』はイギリスのみならず、アメリカでも最高位4位を記録するなど、全世界で2200万枚を売り上げるヒットとなり、ブラーの『ザ・グレート・エスケープ』 から大勝利を収める。
一方のブラーはアメリカ進出に失敗。1997年のアルバム『ブラー』に収録された「ルック・インサイド・アメリカ」ではそれを冷笑的に歌っています。これで勝負ありかと思いきや、そのアルバムから「Song2」が出るわけですよ。これは(アメリカ含めて)世界的な大ヒットとなったので、たぶん耳にされた方も多いんじゃないかと思いますが。
そんな感じで、ずっと争っていたわけです。いまはお互いわりと仲良くなったんですけどね(逆にギャラガー兄弟が仲悪くなったりしてますけど(^_^;))。ファンとしちゃ、ちと物足りなく感じたりもして(* ̄艸 ̄)
そういう中で新たな方向性を模索したり、「バンドが進化していく」というのかな。そういうことはあって(その観点からすると、SKEとNMBもお互い別のクリエイター使った方が良いんですが)。ただ、それだと前回までと言っていたこと(競争原理の話)と同じわけで。ここで言いたいのは少し違うことで。
いま目を瞑っても、そういう当時の感覚というかな…それが思い起こされて、それはなんというか…必ずしも悪い感覚じゃないんです。懐かしさの中ではすべてが美しく思えるわけですが、それとも少し違って。(music書庫の過去記事を見てみると分かりますが)今でもボクはデーモンやノエルの曲を普通に載せてますしね。
なんか…そういう争いみたいなことは、それはそれとしてあって。ボクらもそれで熱くなったりね。ロックって括りでは同志だから、そこだけ団結して「ヒップホップとかダ〇い」(失敬)って言ってみたりさ。それも音楽という文化の一部だとは思うんですよね。
ただ、そういう中でも…たとえば、いきなり方向転換を図ってきた「Beetlebum」の驚きや、なんだろうな…あのアルバムが待ち遠しくて堪らなかった気持ちや、「end of a century」のライブ映像を見たときの…あの何て言ったら良いか分かんないけれど…あの感覚。
そういうものはあったし、いま「Beetlebum」のMVを見ても、あそこでデーモンやグレアムが何を感じていたか…ってのは、なんか分かる気がするのです。「ブリットポップは死んだ」って言ったデーモンの気持ちがね。
なにが言いたいか。
それって、48がずっとやってきたことじゃないかと。
たとえばいま、48が「歌」って言うとバカにされるような現状ってあるわけです。「握手会商法で売れているくせに」ってね。そう言われるわけですよ。でも、それぞれの曲をすごく大切にしている子もいて、ちゃんと思いを込めて歌っている子もいる。
(「ブラーと48を一緒にするな」って言われるかも知らんですが、ブラーだって例の同時発売ではシングル2ver出して売り上げを確保…って、今の日本のアイドルみたいなことやっているわけです。実際、ブラーは当時アイドル扱いされていましたしね)
そういう状況でも、そういう「思い」って伝わってきたんじゃないの…って。
たとえば、よしりんはAKBは歌が良いから好きになったと明言しているわけで(あの人はたしか「beginner」が好きだったのかな)。たとえば、紅白では、SKEはそれこそNMBとメドレーだったわけだけれど、それでもやっぱり「思い」は伝わったわけで。
なんというか…音楽って(いや芸術全般そうなのかも知らんけれど)そういう強靭さというかな…どういう状況にあっても、そこに何かを残していく力というか…それがあるんじゃないかって気がするのです。