チョコレートドーナツ(4.0) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
『チョコレートドーナツ』
ANY DAY NOW
 
2012年アメリカ、97分
 
監督:トラヴィス・ファイン
 
主演:アラン・カミング
 
概要
 1970年代アメリカの実話を基に、母親に見捨てられたダウン症の少年と一緒に暮らすため、司法や周囲の偏見と闘うゲイカップルの姿を描いた人間ドラマ。ゲイであるがゆえに法の壁に阻まれる苦悩を、テレビドラマ「グッド・ワイフ」シリーズなどアラン・カミングと、『LOOPER/ルーパー』などのギャレット・ディラハントが熱演する。メガホンを取るのは、『17歳のカルテ』などのトラヴィス・ファイン。血のつながりはなくとも、少年を守るため奔走する主人公たちの無償の愛が胸を打つ。(シネマトゥデイより)
 
感想
 ゆらゆらと動く画面。宙ぶらりんの視線。
 
 周囲の差別意識は、これが1970年代の設定だということを踏まえないと、すっと呑み込めない部分がある。そして、それを踏まえてもなお、これが「あるがままの物語」なのか、「~のための物語」なのか、序盤は判断が宙をさまよう。
 
 それは、これが「実話」か「フィクション」か判断に迷うということじゃない。これが「1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に「着想を得た物語」というのは最初から分かっている。
 
 その上で、この物語は「もし彼がその子供を養子にしようとしたらどうなるだろうか」という、ある種のシミュレーションになっている筈…だと思っていたのだけれど…
 
 映画を見ていても、この物語が「あらかじめそこに仕組まれた設定によって自動的に動いていく物語」なのか、それとも、「あらかじめ決められた意図/目的に向かって誘導されていく物語」なのか、序盤は判断がつかないんだ。
 
 結局、これは後者の作品だったように思う。宙ぶらりんの視線はやがて明確な意思を持って、ある方向に進んでいく。
 
 それはそれで別に良いのだけれど、あまりにそのことが露呈してしまうと、制作者の意図にばかり目が行ってしまって、純粋に物語を受け取ることができなくなってしまう。だから、ラストも本来はズシンと来るはずなんだけれど、重みがいまいち感じられなかった。どっかの時点で、ボクは物語からこぼれ落ちてしまっているんだ。
 
 それを結びつけるものは、「必然性」だとボクは思う。「あらかじめ決められた意図に向かって誘導されていく」としても、そこに「必然性」が感じられれば、見る方は納得する。その部分が、この映画はやや弱い。実話を離れて「if」の世界に入り込んだ瞬間、全体が空中分解を起こしてしまいそうなくらい、物語の諸要素が結びついていないように感じられてしまうんだ。
 
 典型的なのは、母親の扱いで。「母親に見捨てられた」と説明されているけれど、画面からはそこまでの強い響きは感じ取れない(言葉で説明している場面はあるけれどね)。
 
注:ちとネタばれ
 それに輪をかけるように接見室では息子を心配しているような風情を漂わしているから、「あ…意外と良い母親…」なんて思えてしまう。だから、終盤の唐突な展開に「ん?」となってしまうわけさ。
 
 振り返ってみると、あれは母親に緊急監護権(だっけな?)を認めてもらうための接見だったから、その段階で母親を悪者にできなかったという…そんな制作者の意図を感じてしまうんだな。
 
 まあ、世界観はキュートだし、そこかしこに『RENT』のような傑作ミュージカルや、『プルートで朝食を』のような名作映画の雰囲気を漂わせている。
 
 だから悪い映画じゃなくて…って、いっつもこんなこと言ってるな…良いところよりも悪いところに目が行ってしまうというのは…う~ん…(-_-;)
 
☆☆☆☆(4.0)