STAND BY ME ドラえもん
2014年日本、95分
監督:八木竜一/山崎貴
主演:水田わさび
概要
藤子・F・不二雄原作で国民的アニメであるドラえもんのシリーズ初となるCGアニメ。『friends もののけ島のナキ』などの八木竜一と『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどの山崎貴が共同でメガホンを取り、原作中から「のび太の結婚前夜」や「さようなら、ドラえもん」といった名作といわれる複数のエピソードを基に展開する。珠玉のストーリーもさることながら、ミニチュアで制作した背景にCGのキャラクターを重ねるなどこだわり抜いた画作りや演出も光る。(シネマトゥデイより)
感想
運命は変えることだってできるんだから。ぼくらはそのためにきたんだ。
『ドラえもん』第一巻より
1.
たとえば、ボクは「クレヨンしんちゃん」は大好きで、『オトナ帝国』は大嫌いだ。この映画は、それと同じ匂いがした。
ボクの大好きなドラえもんが、ボクが嫌いなノスタルジー趣味の山崎監督によって映画化(しかも彼は、ボクが嫌いなもうひとつのクレしん映画『戦国大合戦』を実写化している)。その上、タイトルが、これまた懐古趣味たっぷりの『STAND BY ME』。もうイヤな予感しかしなかった。
(じゃあ、観に行くな…って話だけれど、空いていた時間にやっていたのがこれしかなかったもんで)
だから、このレビューも客観性を欠いたものにしかなりえない。まあ、もともと「独断と偏見のレビュー」なんだけれどね。こういう映画に関しては、ボクはもう評価以前の問題なんだ。
2.
…と、書いておきながら、先に先回り(危険が危ない)しておくと、この映画は最後にエクスキューズが用意されている。
ボクは『ルパン』のレビューで、
映画の始めか終わりにカチンコを1カット映すだけで良い。そうすれば、外にもうひとつ枠が出来て、この映画を「いい年をしてルパンごっこに興じる大人たちの青春群像劇」として回収できてしまう
と書いたのだけれど、この『STAND BY ME』はまさにその手法を使っている。エンディングロールのNG集で、この映画全体が「作られたもの」だということを明確にしているんだ。
これは原作ファンに対するエクスキューズでしかないと思うのだけれど、あの『ルパン』のように、あれだけムチャクチャやっておいて、「これでもルパンです」と居直られるよりは100倍もマシ。この映画はまだ、原作と原作ファンに対する誠意を持っているように見える。
だからこれは、結局「ドラえもんのフィクション」(フィクションであるドラえもん世界におけるさらなるフィクション)だから別に良いんだけれどさ。それを踏まえた上で、なにかを言うとしたら…
3.
正直、『オトナ帝国』の出来のよさはボクは認める。あれが「クレヨンしんちゃん」だとは1mmも思わないけれどね。ひろしの回想場面は涙なしには見られん。
それに対して、この映画『STAND BY ME』は、そもそも映画としても出来がよくない。泣くのがいい映画だとは別に思わんけれど、泣かせようとしているのが見え見えで、涙なんか1mmも出やしない。
わざとらしい懐かしさ演出。のび太の部屋の棚なんて、まるで「懐かしものディスプレイ」のよう。そして、その棚は(まるで見世物のように)大きすぎるのに、肝心の窓は小さすぎる。あの窓こそが、のび太がタケコプターで数々の冒険に出かけた窓なのに。
あれがのび太の部屋にはボクは見えなかったな。まるで民俗資料館の昭和期を紹介するショー・ルームだよ。そうした懐古趣味なんて、本来、子供には無関係なんだ。
4.
そして、アニメとしてどうか…ってのも微妙なところ。
アニメは「風」であるというのは、おそらく宮崎さんが良く分かっていたことだ(彼のオリジナル映画が、「風の谷のナウシカ」で始まり、「風立ちぬ」で終わっているというのは、そのことを雄弁に物語っている)。
この映画は妙にソリッドでヌルヌルとしている。もちろんそれはその通りで、3DCG作品だから当然なんだ。ただ、なんと言うかな…。アニメってのはポーズとポーズで見せていくもので、その間を動画(in-between)で繋いでいく。だからリズムが一定じゃないわけ。
この映画もその辺のところを意識しているように感じられるところはある。あるけれど、全体的に動きがヌメーっとしていて、妙に生々しいんだ。
だから、時には流線を用いたりするような、あの漫画やアニメ特有の軽やかさ。あれが全然この映画からは感じられない。この映画は「風」ってよりは、むしろドロっとした液体。同じ3DCGでも、20年前の『トイ・ストーリー』の方が遥かに「風」だったよ。
大人になったら何になろう?
「ぼくは、だんぜん、がき大しょうになる!!」野比のび太
(『ドラえもん』第2巻より)
5.
何より気になってしまうのは、この映画における「のび太」が大人になろうとしていること。果たして『ドラえもん』って、そういうものだったろうか。
永遠に繰り返されるような小4~小5の季節。先生にはいつも廊下に立たされ、ママにはいつも叱られる。傍らには大人の世界があって、でもそんなものを振り切るように、彼らは「空き地」に繰り出す。
みんな友達で、みんな喧嘩して、そして仲直りして、好きな子はいても将来のことなんか何も見えてなくて、恋愛なんて生々しいものは遥か遠くのもので、ただただ、目の前のキラキラを追いかける。
将来なんてあまりにも茫漠としていて実体がない。目の前のことが全てで、ママに自宅謹慎くらっても抜け出して遊びに行っちゃうし、仲間が困ってれば宇宙の果てまで助けに行くし、勉強してても眠たくなったら昼寝しちゃう。
ドラえもんの道具を使うのだって全然躊躇しない。それを使ったらどんな悪い影響があるか…なんてことは二の次だ。そしていつも失敗する。だけど、反省なんて全然しなくて、何度も何度も同じ失敗を繰り返す。
でも、子供ってそういうことじゃないの。大人の論理とは別の論理で生きているもの。それが子供だ。それはボク個人の思想的なものも入っているだろうけれど、少なくとも『ドラえもん』の世界では、子供は子供の論理で動いている。
『STAND BY ME』はそうじゃない。これは大人から逆算された子供だ。ここでは、子供というのは大人になるためのステップでしかない。物語展開と主人公の成長が結びついた典型的なビルドゥングス・ロマン(教養小説)。
へい…『ドラえもん』で「教養」なんて止めてくれ。『ドラえもん』で良い「点数」を取ることが良いことだなんて言わないでくれ。「のび太」を大人の論理に取り込まないでくれ(放っておいたって、いつか時はくるんだ…)。
子供の特権ってのは「より良い未来を掴み取る可能性がある」ことじゃない。「可能性が未来に向かって無限に開いている」という、そのこと自体が子供の特権なんだ(その特権をのび太から奪わないでくれ)。
そして、この映画が犯した罪のひとつは、そうして大人へと進む「物語」を構築するために、ドラえもんの自由意志を奪ってしまったこと。
この映画では、ドラえもんが「成し遂げプログラム」なるものの強制によって「のび太」と一緒に暮らしていることになっている(そうして成し遂げられたら、帰らなくちゃいけない)。劇的効果を作るためにドラえもんの人格が否定されてしまっているんだ。『ドラえもん』を大人の論理に引き摺りこんでしまっている。
これがこの映画のすべてを物語っている。
ただ…何回も言うけれど、NG集の挿入によって、そうしたすべての批判が無意味なものになっている。だから結局なんだ…この映画自体があまり意味ないんだけれどね。
6.
公式HPに「すべての、子ども経験者のみなさんへ」と書かれている。だからこれはもともと大人向けの映画なんだ。
この映画のもうひとつの罪は、子供からドラえもんを奪ってしまったこと。実際、映画館にも子供はひとりも居なかった。
☆☆☆(3.0)