「遠いものの遠さ」
SKEのリクアワ。
ボクが手持ちの全票を突っ込んだ曲は10位だった。まあね。トップ10に入ったなら良かったかな。
そして今回、話題になっていたのが卒業生の登場。なんかね~…すごく不思議な感じがした。ページを更新すると、見慣れた、そして懐かしい名前が現れる。
「あ…来たんだ…」
もちろん、字そのものは、いまでも見かけるわけだけれど、いま、その参照先はブランクになっている。いや、参照先が現/存在じゃなく過去の想い出になっている。そんな感じ。
だけど、この2日間、その瞬間、その赤文字の向こうには、実際の現実の生の時間のその子がいる。それはなんとも言えない不思議な感覚で。そして、その参照先はかつてのものとは違って…ある種の外部としての現在を参照している。
その現在をボクは現在として消化できなくて、そこにいる人たちは現在として消化している。そしてボクはいつか、その現在を過去として消化する。その過去は永遠に現在になることはない。そこには、過去と現在との無限の距離がある。
いつもは、遠くにあるものの近さを感じるのだけれど、ここ数日は、なぜだか遠くにあるものの遠さを感じたな…。
そういうのがイヤだった…というわけではないのだけれどね。
(たとえば、クラブ創設100周年記念の試合とかで、かつての選手だったじいさんたちがスタジアムの中心に並んで、その人たちの現役時代のプレーを見たこともない何万人ものサポーターがスタンディングオベーションを送る。そんな光景はとても羨ましく思えるし、48もそんな風になって欲しいと思う)
「選抜」
選抜はね~…まあ、別に←冷たい(笑)
くまが外れたのはとっくに分かってたし、だからこそ、「ふわっとしたくまちゃんの話」とか、「現状確認」とか書いてたわけで(まあ、抜かれたら抜きかえしゃあ良いんだ)。
個人的には、いま、えご天を推せばグッと行くのにな…と思うところもあって、その辺の「風」の読みがね…SKEはどうなんだろうなと。ただ、それを言い始めたらキリがないし、ボクが間違っていることもある。
それより気になっているのは、選抜の選考に「説得力」がなくなってきていること。
ボク自身は(以前にも書いたように)『不器用太陽』選抜が気に入っているのだけれど、それでも、TVで披露するときには、やはり人数の多さが気になった。2分程度しか時間がないのに、20人も映さなきゃいけないから、カメラが激しく切り替わる。
『不器用太陽』はバラードだから、そのスローな曲調と激しいカメラの切り替えがいかにもマッチしていなかった。それでなくとも、やっぱり20人は多すぎる。だから、次の選抜は人数減も止むを得ないかな…と思っていた。ところが、蓋を開けてみたら、22人選抜。なんと増えていたんだ。
このインフレ傾向は良くない傾向だな…と思う。ファンも、そしておそらくメンバーも、選抜の選考に納得できていないから、運営側が、いろいろと妥協して枠を増やしてしまう。それは、運営が指導力を失っている証拠。これはAKBでも見られる傾向だ。
明確な選考基準を提示できないから、選抜の選考に説得力がなくなる。とりわけ、48の場合は、「選挙」という誰が見ても明らかな基準がつねに隣にあるわけだからね。それを無視していたら説得力がなくなるのは、それはもう当然の帰結。
じゃあ、そういう状況でどうするか(総選挙直後のシングルを除けば、それ以外の選抜基準があっても良いとはボクも思っている)。説得力のある選抜選考のシステムを構築することが、いまの48の課題かなと_φ(・_・
ホントは素直に「あんみおめでとう」「ソーダちゃんおめでとう」って言いたいんだけれどね。
p.s.
ゆかぴ、おめでとう(*^_^)b