だからボクは決断する2(ネヴァーランド) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


注:この記事では「男というものは」という書き方をしますが、それは、男一般というより、「ここで述べている男というものは」というように、それ自体に回収されるものと考えてください<(__)>
(まあ、ぶっちゃけた話、ボク自身がそういうやつってことです(^_^;))



 前回の記事は、大人数アイドルと「ハーレム系」の親和性についての話でした。しかし実際のところ、そもそも「ハーレム系」って、その言葉にふさわしいような内実を持っていないと思うのです。ボクの実感から言えば、その言葉が連想させるような「大人な世界のもの」とは、それは少し違うものです。

 そうした作品では、主人公が(ヒロインの誰かに)決断するということがそのまま、その作品構造の破壊を意味します。したがって、その「決断」は最後の最後まで留めおかれます。時には決断しないまま物語が終わることもあるでしょう。

 この場合、決断しないということが、二股とか三股とか、なにかそうした「大人な世界のもの」を連想させますが、しかしそれは実際には、むしろ逆じゃないかと思うのです。つまり、決断しないのは、大人になりたくないからだ…と。

 こう…子供だったら「みんな仲良し」でやっていけるわけですが、大人の世界はそうじゃないわけですよね。そこは恋愛やらなにやら面倒くさいもので渦巻いている。

 それは、単に男女間の関係だけにとどまるものじゃありません。色んなものが渦巻いている大人の世界…大人な関係に遷移したくないから決断しない。ここでボクは、男というものはみな、本質的にピーターパンであると言いたいのです(ピーターパン症候群という言葉もありますが)。

 そうした「生の現実」から逃げてネヴァーランドへ行ってしまう。ピーターパンです(いいところで邪魔が入るアニメってよく見かけますよね。あれって、物語的な要請もさることながら、男の潜在的な願望が入っていると思うのですよ)。

 アイドルの世界ってのもまた、そうした原理に支えられているところがあります。前回の記事では、48のような大人数アイドルグループにおけるヲタの「決断」とは、「推しメンを決めること」だとしたんですが、実際のところ、「生の現実」に関わるような決断は、最初から遠くに置かれているわけですよ。

 ヲタがアイドルと生の現実の恋愛関係になれるわけではない。ファンタジーではありえるとしてもね。「いや、実際にそういう子(現実に恋愛関係になる子)もいるじゃん」という話になるやもですが(オエ…)、しかし、アイドルの場合は「ファンタジーである」ということ自体にこそ価値があるのだとボクは思うのです。

 なぜファンタジーが大事か分からなければ、『ネヴァーエンディング・ストーリー』でも読んでください(笑)

 48で特徴的な言葉使いがひとつありますよね。彼女たちメンバーは、運営スタッフのことを「大人」と呼ぶわけです。それはメンバーが成人しているか否かに関わりません。つまり、彼女たちはメンバーである限り「子供」であって、それは年齢という「生の現実」に関わらずそうなんです。

 だから48はネヴァーランドであって、ヲタはみな(その人が成人していようがいまいが)そこで遊ぶピーターパンである…だから、メンバーたちがときおり見せる「大人な何か」(生の現実の生々しさ)に対してすごく嫌悪感を覚える(「オエ…」と思う)わけですよね。

 「ヲタ卒」という「決断」をしない限り、ヲタはみなピーターパンである。これテストに出ます(笑)

つづく