アイドルについての長い話7 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)



 それまでにも「好きな女性芸能人」というのはいました。たとえば、そういう質問をされてボクが答えるのは、ZARDの坂井泉水さん、加藤紀子さん、緒川たまきさん、木村佳乃さん…といった方たちだったでしょう。

 しかし、『ヴァニーナイツ』を通して栗林みえさんを見つけたことによって、ボクは、なにか別の世界があるということに気付いたのです。

 それは何だったのだろう…というのが、いまでも大きな問題で。もちろん、その部分というのが、ボクのアイドル観に大きな影響を及ぼしているわけです。

 まず、他ならぬ栗林みえさんだったということ。

 彼女こそがボクのアイドル観の原型をなす存在。アーキタイプ、タイプゼロ、オリジナルなわけです。「アイドルとはなにか」と聞かれれば、「それは栗林みえのことである」と答えてもいい。ボクにとって「アイドルを語ること」とは、「栗林みえを語ること」に等しい。そんな存在です。

 それでは、彼女はそんなに傑出したアイドルだったのか…いや、それはおそらくそうではない筈です。セクシーさが売りのグラビアアイドルとか、トーク力が売りのバラドルとは違って何か「芸」があるわけじゃない。 歌が上手いわけでもなく、演技が出来るわけでもない。

 Wikiの語るところによれば、精神面にも弱さが見られたと言います(実際、彼女は19才で早々に芸能界を引退しています)。

 それでも、なにかすごく惹かれるものがあった。あの上手くはないけれど妙に切なさを感じさせる歌。(我が家では)受信状態の悪い文化放送の深夜ラジオから聞こえてくる明るい声。ぎこちないけれどまっすぐな演技。

 おそらくボクは、「評価」という基準とは別のなにかがあることに、そこで気付いたのです。まっすぐにこちらを見てくれるということ。必要としてくれるということ。ファンが支えてあげられるということ。そこは、なにかそうしたものが支配する世界でした。

 そしてまた、アイドルが「消えてしまう」ということに気付いたのも彼女からでした。

 いま、ブログやらぐぐたすやらツイッターやらモバメやらで毎日ファンと繋がっている状況を考えれば隔世の感がありますが、当時のアイドルというのは、もう少しだけ遠い存在でした。

 「最近、見かけないな…と思ったら、とっくの昔に芸能界を引退してた…」なんてことは、ままあったのです(事務所のHPから名前が消えてはじめて気づくということもよくありました)。

 そして、1億3千万分の1の確率にまぎれて、もう見かけることもない…。

 卒業アナウンスを聞くことができて、その理由も、卒業後の進路も、(とりあえず)知ることができる。お別れの挨拶もちゃんとできる。そんな48のファンはまだ恵まれているのかも知れません。

 いやむしろ、曖昧なままだった方が、時間の経過とともに気持ちを整理できることが出来るからいいのかな…。いきなり断崖から突き落とされるような気分になるよりはね。

 SNSなどで卒業後の動向を知ることができないというのも、必ずしも悪いことばかりではなかった…と、今になっては思いますね。今は何もかもがあまりにもあからさますぎる…という気が少ししたりもね。

 まあ、どっちが良いかは分かりません(し、分かる必要もあるとは思いません)が、あの頃は、今よりもう少し色んなものが漠然としていました。

 それはともかく…

 栗林みえさんは、引退後、一回だけセミヌード写真集的なもので復帰しました。その辺りもなんだか、いかにも典型的なアイドルだったなという感じがします。

つづく
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