『柘榴坂の仇討』
2014年日本、119分
監督:若松節朗
主演:中井貴一
概要
『鉄道員(ぽっぽや)』など数多くの著作が映画化されてきた人気作家・浅田次郎による短編集「五郎治殿御始末」所収の一編を映画化した時代劇。主君のあだ討ちを命じられた武士の不器用な生きざまを通し、幕末から明治へと時代が激変する中、武士として、人としての誇りと覚悟を持って生きる侍たちの姿を描く。監督は『沈まぬ太陽』などの若松節朗、音楽を映画音楽の巨匠・久石譲が担当。『壬生義士伝』などの中井貴一が主人公を熱演し、阿部寛、歌舞伎役者の中村吉右衛門ら実力派が共演する。(シネマトゥデイより)
感想
1.武士の誇り
歴史を扱った小説で彼がやっているのは、いかに現代的思想をその中で語るかということ。その時代に生きた人なんざ、彼にとってはそれを語るための道具に過ぎない。『日輪の遺産』はまさにそういう話だったし、これも同じ。
この映画、ボクはほとんど何の予備知識もなしで見に行った。見始めてから、「あ…これ、桜田門外の変の話か…」と思ったくらいでね。それでも、始まって早々に、この映画がどういう結末を迎えるか分かってしまった(誰の原作かは知っていたから)。
そして悪い予感は見事に当たり、「どうせこうするんでしょ…」とボクが思った方向に決着がついた。まあ、それがこの作家のやり方だし、それを観に行ったボクが悪いんだから仕方ないのだけれど…ただ、これで「武士の誇り」がどうとか言わないで欲しいよな、と。
たとえばさ…この映画では、水戸浪士は切腹を許されたことになっている。それって大嘘だよね。たしかに勝手に自刃した人はいたけれど、捕まった人はみな斬首。だって、大老暗殺なんて、まぎれもない幕府への反逆なんだから。
幕閣の中心を、それもその政策が気に食わないという理由で殺しておいて、それが幕府に「国士」だと認められるなんてことはあり得ない。そこが赤穂浪士とは違うわけ。彼らは吉良を襲ったけれど、それは幕府に対する反逆ではないとみとめられて切腹になった。
なんでこんな話をするかと言えば、その感覚が武士だってこと。同じ大名暗殺でも、かたや斬首でかたや切腹だっていうね。これが封建主義社会の厳密な秩序の上に乗っかっている価値観だというのを忘れちゃいかんわけさ。
この手の過ちを犯す作家は多いのだけれど、その違いも分からない人に「武士の誇り」がどうとか語って欲しくない…と、ボクはいつも思う。「武士」というものを、勝手にねじまげないでくれよ、と。
2.リアリズムとリアリティ
作品における「リアル」には2種類あるとボクは思っている。便宜的にそれを「リアリズム」と「リアリティ」と呼び分けることにしよう。まず、「リアリズム」というのは、その作品が「別の何かに基づいている」ということ。
たとえば、当時の日記を散々っぱら調べて、桜田門外の変の首謀者である関鉄之介が捕まった日の、その天気まで作品に取り込もうとした吉村昭の徹底的な考証なんてのは、リアリズムの極致と呼べるかも知れない。
それに対して、「リアリティ」というものがある。これは、平たく言えば「あたかもありそうだ」ということ。
リアリズムを追求することで生まれるリアリティってのは確実にあって、吉村昭の歴史小説もそうしたリアリティに満ち溢れている。だけど、リアリズムというのはリアリティに必須な条件というわけではない(じつはリアリズムとリアリティというのは歴史と詩の関係にあるんだけどね)。
そのもっとも典型的なのが…もちろんシェークスピア。リチャード3世の研究が進んで、巷間言われているような悪逆非道の人物ではないことが分かっているけれど、それでもシェークスピアの『リチャード3世』の方が、なにか本物のように思えてしまう。本当にああいう人物が居たように思えてしまう。あれがリアリティ。
日本だったら、なんと言っても藤沢周平の時代小説がそれに当たるだろう(だからボクは吉村昭の歴史小説と藤沢周平の時代小説ばかり読むわけだ)。
さて、この映画。『柘榴坂の仇討』はどうだろう。この映画がそもそもリアリズムでやっていないことは分かる。桜田門外の変が描かれているとは言え、井伊直弼以外の登場人物は、主人公を含めてみな架空の人物なわけだからね。
それでは、リアリティの方はどうか。
序盤の華、桜田門外の変。参考のために吉村版『桜田門外の変』を見てみると、最初に直訴を装った森五六郎が斬り込み、それから(森か他の誰かは不明だけれど)浪士たちへの斬り込みの合図のピストルを一発、駕籠に撃ち込んだとある。
そして、このピストルの一発によって井伊大老は致命傷を負った。これはちゃんと記録が残っていて、吉村の記述はその記録に「基づいている」。
井伊大老の遺体は、藩医岡島玄達がしらべその結果、太腿から腰にかけて弾丸が貫通していることが判明した。~中略~この貫通銃創で井伊大老は致命傷に近い重傷を負い、乱闘中も駕籠の外に出られなかったのである。
吉村昭『桜田門外ノ変 下』新潮文庫pp.122-123
ボクはこれを最初に読んだとき、目からウロコだった。普通、桜田門外の変と言うと、浪士がバッと斬り込んでいくイメージだけれど、最初のピストルですでに井伊大老は致命傷を負って動けなかったんだ。意外だけれど、すごくリアリティがある。リアリズムの追求がリアリティを生むという好例だろう。
翻って『柘榴坂の仇討』…暗殺の場面だというのに、なんだか妙にテンポが緩い。
(この先、結末に関わらないネタバレあり)
しかも、主人公は奪われた下賜の槍を奪い返しに追いかけて行ってしまう。そうして、のんびりと一騎打ちしている間に銃声が鳴って…って、まあ、そりゃあ主君は討ち取られてますわな。
う~ん…なんと言うか。一応、その下賜の槍が大事という伏線は張ってあるんだけど、そもそもその前に襲われるという密告が来ているから、その効果が相殺されてるんだよね。
だのに、何も考えずに追いかけて行ってしまう。見ている人はどうなるか分かっているから、もう「志村うしろ!」状態なわけ。もはやコント(リアリティのあるコントというのは、もちろんあり得るのだけれどね)。
リアリズムである必要はないけれど、登場人物――それも主人公が――意図せずバカだってのはリアリティという観点からしてもマズい(これはもちろん、井伊大老には死んでもらわなきゃ困るし、主人公には生き残ってもらわなきゃ困るという、作家の都合によるもの。だからボクは浅田次郎が嫌いなんだ)。
それにね…殺陣がショボイ。ヌルイと言った方が良いかな。別にスピード感がある必要は必ずしもないけれど、緊迫感がないのはダメ。ただのチャンバラごっこをやっているように見えてしまう。
3.作りもの
ストーリーに限らず、この映画にはリアリティを感じられないところが多い。作り物感がするというかね。冒頭15秒でボクはこの映画に見切りをつけた。光が嘘くさい。照明は照明さんか撮影監督の責任だろうけれど、おそらく監督の責任も大きい。最初に全体のルックを決めているのは監督の筈だからだ。
じつは、ボクはこの監督の作品は結構見ている。『夜明けの街で』『沈まぬ太陽』『ホワイトアウト』…みんなダメだった。なにより、この監督の映像は古臭いんだ。『夜明けの街で』のレビューで、ボクはこう書いている。
もうね、とにかくね。昭和かと。それも狙ってるんじゃなく、ただ単に監督のセンスが古い。懐かしのトレンディドラマかと。昼メロかと。
もちろん、意図的に古臭くすることはある。だけど、この監督の場合は無防備にそうしてしまっている気がする。
たとえば、この映画では、建物の四隅を正面からキレイに切り取ったような、安定した構図が多く用いられている。さながら小津か…ってなね。でも、ハンディカメラの登場を経て、さらにCGによるハイスピードかつ揺動的な映像に多くの人が慣れてしまった現代、そうした構図を用いるというのは、巨匠の時代とは別の感覚を呼び起こすだろう。
それは、「この映像は作りものだ」という感覚。
もちろん、この「作りもの感」を上手く利用している作品はある。たとえばウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』。この作品はシンメトリーの構図と赤が強調された画面で、まるでオモチャのような、作り物感いっぱいのシュールな映像表現がなされていた。でも、それは主題と深く結びついていたんだ。
オーストリア=ハンガリー帝国の脆弱な絢爛、その後の共産主義の四面四角なシニカルな滑稽さ。そして、ピンクパンサーのようなチープな間抜けさを持った…どこかほろ苦くて懐かしい物語。そんな雰囲気を表すために、あのオモチャのような映像が必要だったんだ。
では、この『柘榴坂の仇討』でそうした「作りもの」の映像にする必要があったか。ボクはないと思う。だって、もともと嘘っぽかった物語が、なおさら嘘っぽく見えてしまうから。その「嘘っぽさ」は、監督が意図していなかった筈のものだとも思う。だって、「仇討」が嘘っぽく見えてしまったら、ドラマとしても本末転倒だろうから。
CGの雪も嘘っぽくてたまらなかった。とくに秋元宅の場面でそれが顕著だった。室内から見る雪の不自然なほどにゆっくりとした落ち方。どういう物理計算しとるんだと…。
それから、屋外のカメラが室内を覗いた時の雪の降り方もね。これは合成が不自然。奥に部屋があるから、降る雪の奥行き深度がそんなあるわきゃないんだけど、なぜだかすごく奥まで降っているように見える。でも合成しているから、それが部屋の手前の空間に降っているようにみえるわけ。すごく変な空間。
『SPEC』や『魔女の宅急便』(実写版)…日本のCG合成技術がショボいのは分かっているけれど、なんかガックリしちゃうね。
それからボクは雪をずっと見ていた…夜の場面にハッキリと映る雪…やっぱり噓くさい。ハラハラと舞い落ちる雪…は、どこにも着地しない。もちろん、CG。それに対して、衣装に貼りつく雪は、いきなりどこからともなく現れる。これはたぶん、実際の雪…というか物質。そのふたつが繋がってない。
(物語の鍵を握っている)雪中に一輪咲くツバキも…いかにも美術さん、という感じ。
映像で唯一良かったのは、ピカピカに磨き上げられた黒い人力車の泥除けに、青い空と流れる雲が、微かに映り込んでいたことくらいかなあ…あれは良かった。意図的かどうかは知らんけれど。
ああ…あと久石さんの音楽はさすがだった。
4.ゆりあ
ゆりあは…かわいかった。…ってだけの感想じゃシンプルすぎるか…。そんなに出番も多くないし、ま、とりあえず門は叩きました、という感じかな。
(浅田×若松コンビなんてボクが酷評するの当たり前なんで…<(__)>)
☆☆★(2.5)