マーケティングとジブリと48 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 秋元さんとジブリの鈴木Pとの対談が記事になっていました。そこで秋元さんのこんな言葉が出ていました。

、「マーケティングしてる限りはダメ。マーケティングからは何も生まれない。誰かの思いや、ひょんなことから生まれる。それがどれだけあるかだと思う」

 これ自体はボクも賛成です。W杯やJリーグを見ていても、マーケティングというものがどれだけ害悪なものであるか痛感します。ボクがいまの邦画やドラマをボロカスに言うのも、まさにマーケティングが理由なわけですしね。

 あらかじめ見えている需要に答えるようにしていたら、結局は食い合いになってしまう。それを避けるために棲み分けを行う。そうして、誰も冒険をしなくなる。そんなことをやっている内に、コンテンツそのものの質が下がってしまう。

 それはエンターテインメントに限らず、日本企業全体に見られる傾向でしょう。そして、それこそが、日本企業が衰退した最大の理由だとボクは思っています。

 だから、あたらしい需要を開拓しなければならない。たとえば、アップルがiPodやiPadで新しい市場を開拓したようにね。「AKB商法」と揶揄されるような新しいビジネスモデルを切り拓いた*48のプロデューサーには、それを言う資格があるでしょう。
(*ボクはその点を高く評価しています)

 ただ…最近、冒頭に掲げたような言葉が単なるエクスキューズになっているというか、拡大解釈されているというか、なんかそんな気がするんです。最近、ファンの反対を押し切って的を外した策ばかりを打っていますよね。

  ボクから言わせれば、消費者の需要を新たに「クリエイト」することなんざ出来ないのです。もともとそこにあったけれど、表面化はしていなかった需要を見つけて、それを「掘り起こす」ことは出来てもね。

 「想い」というのが大事なのは、そうした点から考えることが出来ます。「自分が欲しいものは他人も欲しい」っていうね。「想い」は潜在的な需要をキャッチするための、ある種のセンサーとして機能するわけです。SONYのウォークマンがそうして出来たというのは有名な話でしょう。

 ここで思い起こすのは、対談相手のジブリ鈴木Pが、あるインタビューで言っていた言葉です。宮崎さんの口ぐせ。それは「お客さんの顔が見えない」。宮崎さんは、お客さんの顔が見えないと、まるで進めなくなっちゃうらしいんですね(お客さんの顔が見えると一気に進む)。あれだけの天才が、それだけ常にお客さんのことを考えている。

 それは単なる「マーケティング」とは異なる次元のものです。あくまでも彼が考える「お客さん」という意味でね。でも、そうした(仮想)対話が必要だというのは重要な示唆を与えています。何かを作って売る時には、自分のやりたいことだけではダメで、そのすり合わせが必要なわけですよね。そうして潜在的な需要が掘り起こされる。

 そこへ行くと、対照的なのが高畑さんでしょう。あの人はもう「作家」になっちゃったわけです。自分のやりたいことだけが頭にあって、採算もスケジュールもなにも関係ない。だって、『かぐや姫の物語』なんか、8年作ってたでしょう、あの人。結果として予算も50億以上かかってしまったわけですけれど。

 そうして出来上がった「作品」は、一部の人からは高い評価を受けるものの、「商品」としてはまったくお話になりません。製作費を50億以上かけた『かぐや姫の物語』は、興収25億くらいという話です。まあ、そういう人がいても別に良いんですが、普通はそれじゃやっていけません。よほど理解のある人が横にいない限りね。

 高畑さんの場合は、盟友の宮崎さんが居て、その2人を上手く乗りこなす鈴木さんが居て、それで成り立っていたわけですよね。ジブリというのは、宮崎さんが稼いで、その分を高畑さんが使う会社…というのは、よく語られる冗談です。

 だからこそ、宮崎さんが辞めてしまえば、そのビジネスモデルは成り立たなくなってしまうわけでしょう?

 48に話を戻すと、最近、秋元さんの高畑さん化が進行しているのではないか、とボクは思っています。あれだけ大々的に発表しておきながら、まるでスケジュールを守る気配がない新公演なんて、まさにそれを象徴していますよね(それで「クリエイティブ」がどうとか言っているのも、商売という観点からするとマズイ傾向です)。

 ここには、プロデューサーと作家が一体になってしまっている…ということの問題点もあるでしょう。秋元さんが高畑さん化してしまったいま、宮崎さんと高畑さんを上手く乗りこなした鈴木Pのような存在が48にも必要なのかな…とかね(窪田さんの役割ってのはボクは良く分かってません)。

 48はシステムが圧倒的に強いですから、宮崎さんや鈴木Pが居なくても何とかやってこれたわけですけれど、いまや、そのビジネスモデルの根幹である握手会が不安定な状況(1.例の事件の影響、2.過密な日程、3.過疎化)にあるわけです。

 しかも、秋元さんは「マーケティング」を否定する割りに、なぜか48はマーケティングの総本山みたいな電通と組んで、的外れな企画を次々と打ち出してはズッコケていく…。ファンが「これで大丈夫なの?」と聞きたくなる気持ちは、そりゃあ当然じゃなかろうか、とボクは思うのですよ。

 そこでボクが言うのが、「民主化」ということなんですよね。

 そもそも、48のファンは単なるお客さんなんだろうか…それはボクの実感とは少し違います。単なるお客さんだったら、その商品が欲しくなかったら買わないだけです。でも、ファンというのは、それとは少し違う側面を備えている。

 ボクが思うに、48のファンというのはむしろ同志に近いのですよ。少なくともその方がボクの実感には近いです。一緒に頑張ろうと思うし、沈みかけた船でも支えたいと思うし、ある程度の犠牲だったら背負ってあげようと思う。逆に、単なるお客さん=消費者として扱われると疎外感を覚えて冷めてしまう(かも知れない)。

 だから、一般的な意味での「マーケティング」はあまり意味がありませんし、もちろん今の秋元さんのように「作家」の意志だけがあっても仕方ありません。そうした48ファン層が持つエネルギーを有効に活用するためには、もっと別のやり方が必要だと思います(一般層なんざ、こっちで盛り上がっていれば勝手に興味を持って付いてくるものだとボクは思っています)。

 そこで重要になってくるのが、メンバーの存在です。メンバーにもっと権限を与えろと。なぜなら、メンバーはそうしたファンの心理も良く分かっているわけで、宮崎さんじゃないですけれど、常にファンとの対話*を…それは現実的なものも仮想的なものも含めて…やっているわけです。
*(宮崎さんの例でも分かるように、「対話」というのは、一方的にファンの意見を聞く…というのではなく、両者のすり合わせです。ボクはそれがすごく大事だと思っているのですよね)

 トップが高畑さんになってしまったいま、そうした宮崎さん的な対話の力が必要なんじゃないですか…というのが、ボクの考えですかね。