アニメ徒然:重力をめぐる想像力2 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


アニメ徒然:重力をめぐる想像力2

「ヤマトとガンダム」

 「宇宙戦艦ヤマト」と「機動戦士ガンダム」…70年代に制作されたこの2つのアニメ。ともにSFアニメ史に大きな足跡を残していますが、両者の間には大きな断絶があります。

 それは、ひとつには物語が「単線」であるか「複線」であるかという違いです。ヤマトの場合は、ヤマトの行動が地球とガミラスの命運をすべて握っている。そういう意味では、ヤマト以外に重要なものはなにもない。だから、ヤマトのストーリーを聞かれたら「ヤマトがイスカンダルにコスモクリーナーを取りに行って地球に帰ってくる」と簡単に言えちゃうわけです(内容がないって意味ではないですよ)。

 ガンダムはそうじゃない。アムロたちホワイトベースはたしかに重要なんだけれども、それとはまったく無関係なところで戦局が一変する出来事が起きていたりする。物語が常に複線で走っていて、鑑賞者にはその内の一本しか見えない。他の線は背後に隠れている。だから、ガンダムのストーリーを聞かれても「アムロがガンダムに乗って…色々ある」としか言いようがない(笑)

 もうひとつの違い、それが重力の問題です。ヤマトの世界では、重力って概念はさほど重視されていないように見えます。冒頭の遊星爆弾も「落ちる」というより「ぶつかる」という感じがする。ヤマトが発進する場面でも、ドーンと地球を発進して、そのまま宇宙まで行ってしまう。その「境目」があまり感じられない。宇宙でも(翼を畳むだけで)そのままの勢いで航行していく。あれは、まさに「宇宙戦艦」なわけですよ。

 それに対してガンダムというのは、重力そのものがテーマになっています。「コロニー落とし」という言葉がガンダム世界の重力を雄弁に物語っていますよね。モビルスーツの挙動も宇宙と地球ではまるで違う。宇宙では自由に飛び回って戦うのに対し、地球ではブースターでどーんと飛び上がって、そして「落ち」ながら戦う。

 地球の論理と宇宙の論理は違うんだ、というところにガンダムのスタート地点はあります。そしてそこに、「ニュータイプ」という考えが生じる契機もあるでしょう。逆説的に言えば、重力(地球)というものを意識したことで、無重力(宇宙)が浮き彫りになったとも言える。そういう意味では、あれはまさに「重力に魂を引かれた」人々の話なわけです。

 それをさらに押し進めたのが「機動警察パトレイバー」です。あれはもう重力の世界しかないわけですよ。あんな巨大ロボットが空を飛べるわけないじゃんっていう。それに伴って、物語自体も地に足の着いた物語になっているわけですよね。

つづく