努力と天性(それでも) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


1.
 チーム8の選抜…というべきなのかな、ドームコンでステージに立つ16名が決まりました(最近、チーム8の話題が多いですが、プリミティブで、もともとAKBがどういうものだったか…ということを考えさせられるんですよね)。

 合宿でコーチを担当した、ダンスの牧野さん、ボイトレの菅井さん、MCの三ツ矢さん。それから48総支配人の茅野さんとAKB劇場支配人の湯浅さんがオーディションを担当して、選抜16名を選出。

 ああいうやり方だと、たとえばダンス枠で何人、歌枠で何人、MC枠で何人…という形になります。ダンスや歌(あるいはMCで重視されていた声の張り方)というのは、ある程度、努力でどうにかなるものですよね。

 それから、「この合宿でどれだけ伸びたか」という点も重要だと強調されていました。つまり、「努力」というものが非常に強調されたオーディションになっていたのです。

 それはまあそれで、別に良いのですが…


2.
 その一方で、誰もがおそらく感じてはいても、ここでは言われなかったものがある筈ですよね。

 それは、「アイドル性」とか「タレント性」といったものです。「性」というのは「生まれつきの性質」(大辞泉)ですから、これは基本的には、努力ではどうにもならない部分…つまり、天性の部分です。

 見ていて、明らかに「ものが違う」という子はいるわけですよ。ルックスと=じゃないところが厄介なのですがね。それでも「あ…この子は何か違う」というのは、なんとなく分かるもんです。

 「玉石混淆」って言葉がありますよね。もちろん、一個の人間存在としては、誰が「玉」で誰が「石」かというのはないでしょう。ただ、「アイドルとして」という限定を設ければ、それは確かにあるんです。

 それをどの程度の精度で見極められるか…という問題はもちろんありますけれどね。ただ、少なくとも「物差し」はある程度共有できる。

 たとえば、ボクがチーム8の「スカひら7」として挙げた7人のうち5人は今回の選抜に入りました(推していた横道ちゃんはセンターを任せられましたし)。

 でも、2人外してるじゃん…って話ですが、その2人は、この8月の劇場公演では各公演のセンターを務めていたんですよね。

 劇場公演は合宿のあとだったので、巻き返したとも考えられるのですが…でもやっぱりそこは、運営サイドが「アイドル性」ってものを冷静に評価しているんだと思うのです(オリジナル曲テレビ初披露時の選抜にも2人は入っていましたし)。

 だって、ボクの「スカひら7」は、他ならぬ「アイドル性」を重視して選んでいたわけですから(選んだ子が重なるってことは、やはりその部分は運営もちゃんと見てるんでしょ…ということです)。


3.
 だから、この合宿で描かれたような「努力は必ず報われる」(by高橋みなみ)という形式の理念がある一方で、現実は必ずしもその通りにはなっていない部分がある。

 ボクは…それを否定したいというのでもないのです。努力だけですべてが決まるわけではないのと同様に、生まれつきの才能ですべてが決まるわけでもない。自分で自分に限界を設けてしまう必要はない。

 石だって根気よく磨き続ければ光り輝くかも知れんですしね(「私だって磨けば宝石になれるよ!」by小石公美子)。

 だから結局、努力するしかないのは当然なのですが…肝心なのは、「正しい努力」をするということですよね。たとえば、漫画家になりたいんだったら、絵が上手くなる努力や、面白いネタを探す努力とかが挙げられるかも知れません。

 でも、アイドル(あるいは芸能界)における「正しい努力」っていったいなんだろう…って、なかなか分かりませんよね。たしかに48では、劇場や握手会(あるいはぐぐたすやブログ)で頑張るという「ひとつの解答例」が与えられてはいます。でも、その頑張り方だって色々だし、答えだってそれだけじゃないかも知れない。

 だからそれをみんな探し続ける。だけど、もしかしたらさ…それはずっと見つかんないままかも知れない。あるいはまた「これで良いんだ」と安心してしまった瞬間に逃げてしまうような脆弱なものかも知れない。

 「正しい努力」ってのが何なのか、それは結局のところ、ずっと後になって振り返ってみないと分からない。「正しい努力は必ず報われる」だろうけれど、「すべての努力は必ず報われる」とはボクには言うことができない。

 あさっての方向に努力している子なんていくらでもいるわけですし、その一方で、まるでひとりだけ高速道路に乗っているかのように、軽々と周りをゴボウ抜きしてしまう子もいる。そしていつしか、その傍らで努力の仕方が分からなくなって心が折れてしまう子だっているわけです。

 現実は映画のようにカタルシス(浄化)があるものじゃなくて、アンフェアや欺瞞が大手を振って歩いてる。「自分で自分に限界を設けてしまう必要はない」とは言っても、人には向き不向きがあって、同じように努力をしても同じように報われるとは限らない。

 「それでも、あなたは努力してくれますか?」というのが、ボクがいま、彼女たちにもっとも聞きたいこと…なのかな。