写美雑感2014夏 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「世界報道写真展2014」

 ボクが気になった写真は次の3点。

Moises saman

 一見、なにげない作業場。窓から降り注ぐ明るい光が映画的な画面を作っている。日曜の昼下がりに、何かペンキ塗りの準備でもしているお父さんのようにすら見える。が、実際はシリアの反政府組織のために爆弾を作っているところ。それを知った後、この写真の持つ意味はまるで違ってくる。それでもまだ、画面そのものは変わらず明るいままだ。その落差にボクは慄く。


John stanmeyer

 隣国ソマリアの安い電波を拾いに海岸に集まる人々。今年度の大賞を受賞した作品であり、もう一目でそのクオリティが伝わってしまう。まるで『未知との遭遇』のような美しい画面と、その光景が持つ「意味」。この写真は、ポエジーとジャーナリスティックな視点を両方兼ね備えている。


Kunrong chen

 スポーツ部門。真上から撮られた画面は、まるで松江泰治の写真のように、静的で客観的な画面を構成している。基本的に躍動感や選手の表情を捉えるスポーツ写真にあって、こうしたマクロな視点を提示したことが面白い(時々、ヨーロッパのサッカー中継で見かけるけれどね)。グラウンドの直線的な構成と、選手や地面の不均衡さが、妙味を生んでいる。



「岡村昭彦の写真:生きること死ぬことのすべて」

 岡村昭彦。ベトナムで撮影された初期の写真は、妙に冷静で客観的だ。それは、中立的だということも言えるかも知れないし、そういうところが評価されたのかも知れないけれど、今日に生きるボクの目から見ると、あまりに突き放したような描写で、引き込まれるものが少ない。

 むしろ、アイルランドに移住してから撮った、北アイルランド紛争の写真の方がずっと良い。特に70年代以降のものは、視線がずっとナチュラルで、暖かみのあるものに変わっている。

 まあ、ボクがベルファストに馴染んでいるということもあるのかも知れないけれどね。「あ…この場所、あそこの場所だ」。ストリートビューとは言え、何日もそこで過ごし、街のあちこちを探索した経験というのは、やはり何か(鑑賞姿勢に)影響しているのかも知れない。



「フィオナ・タン:まなざしの詩学」

 フィオナ・タンは映像作品だから見るのに時間がかかった。分かるような分からんような…考えさせようとしているのは分かるんだけれど、考えようという気分にはならなかった…そんな感じ。それ以前に、クーラー効きすぎで会場が寒すぎなのよね。面白いところもあったけれどね。



 最近、写美の企画展があまり良いものだとは思えない。どの展覧会も、あまりに網羅的な気がするんだ(そう、写真展なのにパースペクティブがないんだな…)。