ブァーッといこうよ | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


ボクはドラキュラ。棺桶のなかで目が覚めるんだ。

夏休みに入った筈なのに、なぜだか気分が落ち着かない。



 最近は「クレージー映画」を見ている。
(東宝及び渡辺プロダクションが1962年から71年暮れにかけて製作した、植木等や谷啓などのクレージーキャッツのメンバーが主演した喜劇映画の総称―wiki)

 以前から「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」のような東宝喜劇は好きだったけれど、「クレージー映画」もやっぱり面白い。

 植木等さんの顔がまた良いんだよね。これは森繁さんにも感じることだけれど、2枚目というわけじゃなくて、良い顔なんだ。最近、ボクはこの「良い顔」っていうのが、映画俳優にとって大事なんじゃないかと思っている(岡田くんなんか2枚目だけど「良い顔」をするよね)。

 「良い顔」ってのが何なのか考える。「美人」ってのは、顔の造形を指している言葉だけれど、良い顔ってのは=善い顔で、これは心根の問題なのかも知れないなと。「わっるい顔するな~…」ってバラエティ番組なんかで言うけれど、あれは明らかに(顔の造形が悪いってことじゃなく)善悪で言うところの「悪い顔」をするってことだよね。

 ま、それはともかく。

 何を書こうとしてたんだっけ…

 そうだそうだ。それでさ、キャラクターがまた魅力的なんだよね。役名に役者の名前が半分入ったりしていて、どの人もみな半分くらい本人のキャラクターなんだ。だからこそ引き出される魅力があるというのかね。

 こう…ドラマって完全に世界観を作らないといけないものもあるけれど、この手の喜劇ってたぶん、半分だけ作りこんで、半分だけ生ものなんだよね。今だったら、コントなんかに近いのかな。
(役者には3つのキャラクターがある。ひとつは演じられる役のキャラクター、役名の世界。もうひとつは、演じる役者のキャラクター、芸名の世界。で、最後にそうしたものを離れた本名の世界がある。植木さんが根は真面目だったという話は、たぶん本名の世界の話。ボクが言っている半分というのは、役名と芸名の世界の半分づつという話ね)

 女優陣も魅力的でさ、また浜美枝さんがチャーミングなんだ。キリッとした表情で意志が強そうでさ。でも、なぜか割りと(一時的にせよ)植木さんにフラれるパターンが多いっていう(^_^;)

 歌も良いんだ。青島さんの歌詞が効いていてね。また植木さんの声が良いんだ。それに、あの時代の人って、よく歌うんだよね。もちろん、現代人も歌うんだけれど、昔の人って、もっと日常生活で普通に歌っている気がするんだ。

 ボクが当時の映画で歌う場面を見ているから、そう感じるだけなのかも知れないけれど、ミュージカルって文化それ自体が、そういう土壌から出て来たんじゃないかって気がする。日常生活そのものが、普通の会話と歌とがシームレスになっているようなね。だから、映画の中で登場人物が歌い出してもさほど違和感がない。

 近ごろ、『アナ雪』のヒットのお陰で、街中やキャンパスでも普通の人が歌う声がボクの耳に届いていた。「もう耳がタコだよ」って人もいたかも知れないけれど、ボクはそういう意味じゃ割りと嫌いじゃなかったな。「映画館で歌おう」みたいな「仕掛け」には興味なかったけれど、日常生活に自然と歌が入ってくるってことは、ボクはそんなに嫌いじゃなかった。なんか、「古き良き時代」って感じが少しだけしてね。

 なによりね、あの時代の映画って、なんか「鷹揚」なんだな…「え?それ大丈夫なの?」みたいな、現代人だったら放送コードを気にして「それ、アウトだろう」って思うような表現も平気で出てくる。それが良いかどうか…ってよりも、「ああ…そういう時代だったんだな」って感じかな。

 「クレージー映画」は、植木さんの無責任男に代表されるように、設定もアウトローでぶっ飛んでるんだけど、やっている内容もぶっ飛んでいるという…(^_^;) その鷹揚さがさ、こう「気にしないでいこうよ」って言葉とともに語りかけてくるのさ。

 48もこんな(底抜けに前向きで明るい)映画やドラマを作ってくれないかな~…って思ってしまうのは、いつものボクの悪いクセ。最近、批判ばかりしている自分に嫌気が差している。そういう風に鬱々していることにも腹が立つ。

 そんな時、「ブァーッといこうよ ブァーッと」って植木さんの声が聞こえてきたんだ。

(くたばれ無責任のマーチ)