もののけ姫とナウシカとラピュタとあれこれと。 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 昨日は『もののけ姫』を放送してたみたいですね。『もののけ姫』くらいになると、多くの人がすでに見たことがあると思いますが、みなと同じ時間に見て、同じ話題を共有するってのは、それはそれでなかなか味があるもんです。

 『もののけ姫』で印象的なのはあのラストシーン。デイダラボッチが倒れたあとの、あの圧倒的な自然の力です。あれはいかにも宮崎さんだなあと思うんですよね。人間のテクノロジーが自然を駆逐するかのように見えるところで、そこに秘められた力が爆発する。まさに爆発的だと言って良いと思うんですが、あの力はね。

 宮崎さんはもちろん、自然に共感している人です。でも宮崎さんにとっての自然は、一方的に守られるような、か弱い存在ではないんですよね。他者の死を司り、その生命エネルギーを吸収し、デイダラボッチへと変貌する…あのシシ神の恐ろしさを自然のなかに見ている。

 でも、その力はまた、駆逐されゆく自然の最後の希望のひとかけらでもあって。宮崎さん自身、どこかでその底力を信じている。『ナウシカ』の腐海がまさにそのようなものですよね。あれは人間にとっては防毒マスクなしには生きていけないような恐ろしいものなのですが、でも、その内に希望を宿している。

 人間のテクノロジーを押し戻していくあの力。

 テクノロジーの粋を集めたような天空の城ラピュタも、あの信じられないような巨木の力に呑み込まれている。結局、あの城はテクノロジー的な部分は崩壊しても、あの巨木が抱えている部分―自然の楽園と言うべきなのかな―は残るんですよね。

 その力はまた、『トトロ』の木を生み出したものでもあって、とりわけそれはあの夢の場面での圧倒的な生命力に表れています。以前の記事でも述べたように、それはまた、『ポニョ』のあの生命力にも通じるものでしょう。

 宮崎さんが作家として優れていると思うのは、そうした内容(自然の力)が他ならぬアニメという表現手段によって表されているからです。『トトロ』の木に生命を与えるものは、『もののけ姫』のラストシーンに力を与えるものは、まさに絵にアニマ(魂)を与えるもの=アニメーションなんですよね。

 そして、生命を与えるその力は、自然そのものが宿している力と、どこかで一致しているわけですよね。