人は何を見て感動するんだろう。
総選挙を前にして、各メディアが様々な物語を作ろうとしている。しかし、物語はいつだって事象としてそこにあるものだ。
その物語に気付かなければ、目の前で起こっている事象の真の意味やその価値にも気付くことはない。――画面が明るくなった瞬間、あいちゃんが映った――その時にボクが感じた感情は、きっと、その物語を知る人でなければ共有することは難しい。
吹き荒む風に舞っていった、幾つもの花びらたち。彼女たちが、これまでどれほど理不尽な目にあってきたか。そんな中でも、ダークサイドに陥らず、どれほどけな気に頑張ってきたか。
右手に固定器具をしたくまちゃんがそこに居ること。正規メンに昇格した子たちが来てくれたこと。別の道を選んだあいちゃんやゆかみが来てくれたこと(そしてまた感じるほんの少しの切なさ)。りょうはやりおん、あづきやゆぅゆの名前もクレジットしたかおたんの想い。まぁたんのペンギンTシャツ。
この画面の中には、たくさんの物語が詰まっている。
いま、ボクには見えているものがある。ボクが小説家だったら、それは小説になる。詩人だったらそれは詩になるし、音楽家だったらそれは歌になる。だけど、ボクにはなにもない。こういう時、何ものでもない自分をもっとも恨む。
ボクはただの目に過ぎない。だけど、目に過ぎないボクにも分かっていることはあって…それは、見ている人はちゃんとこうして見ているということ。
正しい努力をしている人はちゃんと報われなければならない。「この子たちをなんとかしてあげたい」。物語を見ている人の胸に芽生えたそうした感情が、やがて彼女たちを押し上げる原動力になっていく。
たしかに、それはまだ微かで、多くの人に知られている物語ではないかも知れない。だけど、その物語が正しければ、それが正しい物語ならば、それは人々の心を揺さぶり、いつかいつか大きな花を咲かせる。
かおたんは「わたしが研究生として居ることがマイナスに働いているのかなとも最近考える」なんて悲しいことを言っていたけれど、そんなことはないんだ。かおたんの発信力は大きな助けになっている。それは、この物語を知られるための、とても有効な方法なんだ。
(「動画ぐらいでしか研究生のみんなに貢献出来ないからさ(>_<)」って言ってるかおたんの心意気にボクはまた心を打たれる)
研究生公演が出来ないから、空ちゃんの卒業公演も目途が立たない。そんな状況で、彼女たちが精一杯なにか出来ないかと考えて作り出した、この手作りの卒業公演をボクは忘れない。
P.S.
空ちゃん、おつかれさま(*^_^)b
空美夕日ちゃん
卒業公演(仮)