スラムダンク的/けいおん的 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


スラムダンク的/けいおん的

1.違和感
 HKTのコンサートを見て刺激を受けたかおたん。ひるがえってSKEを考えた時に「昔の勢いがあったSKEを知っているからこそ なんだか今はなんか違うよ感がすごく感じる」と書いていました。

 それはボクも感じることで、だからこうして色々と書いているわけですが…う~ん…もしかして、ボクらは気付かない内に違う物語を読んでいるのかなって気もするのです。

 「犠牲」という記事に書いたのは、あれは一種の思想です。それはある程度において、「ガチ」というAKBの思想とも共通していましたし、体育会系のSKEとはなおさら親和性が高いものだったでしょう。ボクはかつて、この思想に自信を持っていました。

 いくら個性が重視される時代とは言え、いやそれだからこそ、こうした「ガチさ」が48を押し上げた原動力だと思っていましたから。

2.スラムダンク
 「犠牲」を書いている時に、頭から離れなかったセリフがあります。それは、『スラムダンク』30巻、キビシイ練習に嫌気がさした部員がゴリ(赤木主将)に言い放ったセリフです。

「強要するなよ、全国制覇なんて。山王工業に挑戦したいなら、海南にでもいけばいいだろ。ここは神奈川県立湘北高校だぜ。とりたてて何のとりえもない…フツーの高校生が集まるところさ。おまえだって、でかいだけでヘタだから、海南にも翔陽にも行けなかったんじゃねーか。海南だってはるか雲の上なんだ。強要するなよ、全国制覇なんて。お前とバスケやるの息苦しいよ」

 結局、ゴリの世代はメガネ君とゴリの2人だけ(隠れ部員のミッチーを含めると3人)しか残らず、のちに入った後輩たちを含め、本気で全国制覇を信じた仲間たちのみで、全国へと乗り出すのです。

 ゴリが部員たちに妥協して、「全国制覇なんていいや」と言ったら、この物語は成立しません。実際、湘北は全国制覇を果たさないわけですが、それにも関わらず、彼らが本気で全国制覇を信じて全力で戦えばこそ、それは物語として成立します。全力で戦うからこそ、敗北すらも意味あるものへと昇華されるのです(ちなみに、ボクが一番好きなキャラクターは翔陽の藤真健司です)。

 ボクがここで『スラムダンク』を持ち出すということは、SKEを『スラムダンク』として読めと言っていることに他なりません。「犠牲」という記事は、まさにそう言っているわけです。ゴリは正しいんだと。

 ひょんさんは「人生をかけてこの場所にいる」と書いていました。とても強い言葉です。それはたぶん、須田ちゃんかおたんにも言えることなんでしょう。いまでも『スラムダンク』みたいな人はたしかに居るんです。そういう人は、ホントに尊敬に値します。彼女たちは、今でもきっと本気で「全国制覇」を信じている。彼女たちが信じているなら、それはボクも信じてあげないといけない。

 それはそう思うんですが…だけど…心身ともにボロボロになっていくメンバーを見ていると、ボクの心は揺らいでしまうのです。色々なことがあって、色々なことがあるから…上に書いた部員たちの言葉が、以前よりも遥かに強く深くボクに突き刺さります。ボクはもう自分の言葉に自信を持てない。

 SKEのために命を張って頑張ることが、ホントに彼女たちのためになるのか。単に彼女たちがSKEを愛する気持ちや、その忠誠心にすがっているだけじゃないのか。ボクには自信が持てなくなってしまったんです。何が彼女たちのためになるのか、それはきっと、ボクが決めることじゃない。それは彼女たち自身が決めること…。彼女たち自身だけが決められること…。

 結局のところ、ボクらは彼女たちの人生を保証してあげられるわけじゃありません(だからこそ、ここに居るあいだに何かスキルを身に着けさせてあげたいとも思うわけですけれど)。夢が一致していないからといって、それを責める資格なんてボクにはありはしません。

3.けいおん
 「ゴリが部員たちに妥協してしまったら物語が成立しない」。『スラムダンク』においては、たしかにそうです。なぜなら、あれはスポ根ものですから(その意味において、SKEはスポ根ものだったのです)。

 しかし、じつはそれで成立してしまう物語/ジャンルもあります。ここでボクが思い出すのが『けいおん』です。1stシーズン第9話では、『スラムダンク』をちょうど裏返したようなエピソードが語られます。

 新入部員のあずにゃんは、練習を放っぽらかしてティータイムばかりしている「軽音部」に焦れます。他のバンドを探したりもするのですが、結局、もどってきます。劇中、あずにゃんはこう言います。「どうしてだろう…どのバンドもウチの軽音部より上手いのに…どうして(心に響かないんだろう)」。

 ここには、『スラムダンク』とは違った価値観が提示されています。あずにゃんがここで、軽音部を仕切り、バンドコンテストの優勝なんか目指してバシバシとしごき、それでついていけない唯とかを退部に追い込んだとしたらどうでしょう。それは『スラムダンク』としては成立していても、『けいおん』としてはまるで成立していないでしょう。

 「優勝なんか目指さなくても、この5人で居ればそれで良いよね」というのが『けいおん』の価値観であり、その雰囲気を楽しむのが、『けいおん』という物語の読み方です。ここで唯たちに「全国制覇を目指せ」って怒ったって仕方がない。これは「居場所」の問題ですから、「受け入れる」ということが最大の価値なのです。

 まあ、実は、その雰囲気を楽しむために、作品世界の外から課せられているルールってのがあって(たとえば男子キャラが登場しないとか)、じつは何でもアリじゃないんだよってのが肝心なんですが。それはともかく。

4.SKE
 「もしかして、ボクらは気付かない内に違う物語を読んでいるのかな」って冒頭に書いたのは、つまりボクらはSKEを見る際に、『スラムダンク』を読んでいる積もりだったのに、いつのまにか『けいおん』になっていたんじゃないかと。

 いや、完全に切り替わっていれば、こうしたジレンマは生じない筈なんで、その2つの間を行き来している。で、読んでいるボクらはなおさら混乱してしまう。いったい、これは何の物語なんだろうと(ついでに言えば、HKTの楽しさは、より『けいおん』的な楽しさなのかも知れません-要検討)。

 『スラムダンク』の時代の熱さを知っている人たちは、また『スラムダンク』に戻れと言う。しかし一方で、もう『けいおん』で良いじゃんと言う人も居る。ボクの「犠牲」という記事は、前者の(立場からの)叫びだったわけですが、それはもしかしたら断末魔の叫びなのかも知れず。

5.
 ボクは、いまだにS公演を見られていません(メダカは清流にしか棲むことができないのです)。

 だけど、純粋さそのもののような(まるで流川と桜木のような)りょうはさきぽんが無心に頑張る姿勢を見ていると…いや、それから目を背けていると、自分はいったい何なのだ…と頭が割れそうな気分になります。

 ボク自身、この物語をどう読めばいいか分からず、混乱しきっているのです。ずっと見ていたかった物語なのに…。

 なぜだか最近は、AKBの公演ばかり見ている気がします。