1.
前回の記事は、ネット時代の観衆は、表現に隙間があると直ぐに注意が逸れてしまう散漫な存在であり、その注意を繋ぎとめておくために、レンズフレアなどの賑やかな表現が隆盛を迎えているという話でした。
もちろん、これは良い悪いという話ではありえません。たとえば故アンゲロプロス監督は、ワン・ショット=ワン・シークエンスを用いた隙間だらけの画作りを行いましたが、その隙間は緊張感と詩情で充たされていました。その映像表現が達成したものは余人が到達できないようなものだったのです。
しかし、「眠らない子にはアンゲロプロスを見せろ」と母国ギリシャで語られるように、本質的に注意力散漫な子どもにとっては、それは時に耐え難く退屈なものに感じられてしまうものです。ボク自身、彼の作品は大好きですが、集中力が必要なので、1年に1回とか、それくらいのペースでしか見られませんからね(あまり良いファンではないんです)。
もちろん、これは極端な例ですが、AKB劇場に比べてカメラの演出をあまり行わないSKE劇場の公演においても、よほど考えてパフォーマンスしないと、モニターの前の観衆の注意が流れていってしまい兼ねません。舞台上と空気を共有でき、目のまえのものに集中するしかない舞台のお客さんと、注意力散漫なモニターの前の観衆とは基本的に異質の存在ですからね。
2.
ここで問題になってくるのは、「隙間」をどうするかという問題でしょう。いくつか考えられることがある筈です。
ここ数日、この記事を書くためにE公演を見返していました。とりわけ例の『Innocence』から3曲は10回以上見返したのですが…やっぱりカメラの演出とかトータル含めて密度が少し薄い(=隙間がある)ように思えます。ボ~ッと他のことを(ボクが)考えてしまっている瞬間があるんですよね。
(余談:ユニット明けMCで、す~ちゃんに「それ知ってる。仲悪いやつでしょ?」って言われたときのこあちゃんのアタアタしたリアクションが好き(* ̄艸 ̄))
ひとつのヒントを与えるのは須田ちゃんです。他の人が1モーションの間に1つの表情を入れているのに対し、須田ちゃんの場合は、1モーションの間に2つ3つの表情―むしろ感情と言うべきかな―を入れているんですよね(もちろん、このカウントは全然正確ではありません。それくらいのイメージという話です)。
だから、カメラ演出の少ないSKE劇場の中継でも、それこそ須田ちゃんを「瞳の中のセンター」においた場合(通常カメラだとそれがやり辛いというジレンマもあるのですが)、その表情/感情の変化によって「隙間」が埋まっているんです。さすが隙があれば入ってくる須田ちゃんだと思いますが(* ̄艸 ̄)
須田ちゃんが所属していた2代目K2は、そうしたワチャワチャした表現が魅力のチームでした。とくに『チームK2推し』では、画面の様々なところで色んなことが起こっていて目が離せませんでした。あれなんて、まさに「隙間」が埋まっていたわけです。
しかし、チームEで、「手つな」で、それをやるべきかと言えば(振り付けの点から言っても)それもやはり少し違うのかなという気もします(要検討)。みんながみんな須田ちゃんのようになる必要もないと思いますし(要検討?)。
別にみんなが須田ちゃんにならなくても、じつはもうひとり、現在休養中のくまちゃんも、おそらく須田ちゃんに似た特質を持っています。ボクはS研の「制服の芽」を高く評価していたのですが、その理由のひとつは(スライド)センターを務めたくまちゃんの存在でした。
ボクはくまちゃんについて語るときに、つねに「表情の変化」を挙げてきました。「まるで万華鏡のように目まぐるしく変わる表情」、「定点カメラだと表情は見えにくいので、くまちゃんを見たい人は通常カメラの方が絶対おススメ」…などなど。
表情に(も)重点があるという点で、須田ちゃんやくまちゃんの表現は、映像向きだと言えるのかも知れません。あるいは、「チーム4っぽい」と言っても良いのかも知れませんが、須田ちゃんやくまちゃんがやっている「表情/感情の変化」と、チーム4が重視している「表情の作り方」はまたちょっと違うとも思います。
(当然ですが)チームEがチーム4を真似る必要もないと思います。そもそも表情(の作り方)を重視するチーム4の表現ってのは、ステージとカメラが近いというAKB劇場に最適化されたものですからね(ゆりあはまだその部分の調整に苦労しているんじゃないかと実は思ってるんです。もちろんダンスに関しては今さら言うことはないっすけどね)。
それはともかく…そうした表情/感情の変化に限らずとも、それぞれがそれぞれの特質に合わせて、なにか「隙間を埋める」努力(たとえばダンスの解像度を上げるとか*)ってのが一方では考えられるでしょう [追記:あるいは花音のピョコピョコした動きもひとつヒントになるかも知れません]。
(*より中間の動きを意識するってくらいの意味です。)
3.
また一方では、別のやり方が考えられる筈です。それはおそらく、「隙間を活かす」努力になる筈です。これはいかにも日本的な発想で、たとえば行間を読むとか、余白に何かを感じるという発想が日本にはあります(≪松林図屏風≫の世界ですね)。
卓越した剣道家の立ち合いのように、微動だにしなくても、その緊張感によって、息を呑んで見守ってしまうものというのはあります。ここでの鍵はおそらく「緊張感」です。隙間を埋めなくても、ひとつひとつの動きに緊張感があれば、観衆を引き付けることが出来る筈だと思うのです。
ただ、アンゲロプロス監督の例でも分かるように、いくら緊張感があっても、それは、分かる人にだけ、しかも集中力を持って見る場合にだけ、分かるという類のものですから、本質的に散漫なモニターの前の観衆に対してはどうかな…という疑問もあるのですが。それでも、ひとつの考え方としてはありえるかなと。
4.
もちろん、「手つな」はSKEのオリジナル公演ですから、今さらどうこう言うこともないのかも知れません。しかし、ああいうチーム(峯岸チーム4)が出てきて、SKEのオリジナル公演でああいう表現を見せたあとには、それなりのレスポンス/アンサーがあっても良いかなとは思うんですよね。
その点から言っても、カメラを通して(とりわけ通常カメラを通して)どう見えたか、というのは分かっておいて損はないかなと( ..)φ
「とは言っても、自分たちは目のまえのお客さんに向けて精一杯パフォーマンスするしかない」(本当はここである文を引用したい…)
おそらく、それは100%正しいと思います。たしかに公演が舞台である以上、基本はそれしかない筈なんです。もしかしたら、ボクはかなり面倒な要求をしているのかも知れませんが、それでも、このチームには期待してしまうんですよね(前に書いたように新チームでは断然にE推しなんです)。
了
P.S.
あ…これを忘れちゃいけなかった…
でもそれが好き(*^_^)b