公演の密度その1 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
 チームE公演初日。
 
 twitterにも書いたように、ボクは「少し弱い」と感じました。より正確を期すならば、とりわけ『Innocence』『ロマンスロケット』『恋の傾向と対策』の3曲において「密度が少し薄い」と感じたと言った方が良いかも知れません。
(この密度というのは曖昧な言葉ですが、のちに説明します)
 
 ボクがこう感じた理由を探ってみると、それは、つい先日まで同じ「手をつなぎながら公演」を行なっていた旧峯岸チーム4のイメージが、ボクの脳裏に色濃く残っていたからだ、ということに思い当たります。手つなはもちろんSKEのオリジナル公演ですが、直近のイメージというのはやはり大きなものがあります。ましてや、「あの」チーム4ですからね。
 
 こうして他のチーム(他のグループ)と比較することが良いことかどうかは分かりません。しかし、ペナントレースも始まったことですし(まあ、あれは余り意味がない感じですけど)、「こういう見方をする人もいるんだ」という、ひとつの視座を提供するくらいの役には立つでしょう。
 
 さて、チーム4公演を見ていると、誰しもすぐに気付くものがある筈です。それは、表情の作り方です。表情というものを、とにかく非常に重視していることがすぐに分かるのです。
 
 公演が舞台である限り、あそこまで表情にこだわる必然性は(本来は)ありません。表情を重視するのは、むしろ映像的な発想のように思えます。
 
 非常に大ざっぱな分け方をするならば、クローズアップを使用できる映像においては、表情や目線などの(より)細かい芝居が、客席との距離が決まっている舞台においては、体全体を使った(より)大きな芝居が求められるわけですからね。
 
 たとえば、ある感情(たとえば動揺)を表すにしても、映像だったら目の動きひとつで表すことが出来るのに対し、舞台でそれを表したければ、体全体を使う必要があります。目の動きなんてお客さんには見えませんからね(たとえ見える距離だったとしても、逆位置で背中しか見えてない場合だってあります)。
 
 もちろん、一口に舞台と言っても様々で、より大きな箱だったら、より大きく体を使わないとお客さんには伝わらないでしょう。そういう意味では、48グループの劇場のような小さな箱においては、表情などの細かい芝居もより伝わりやすく、もともとそこに表情が重視される素地もあると言えるでしょう。
 
 ただ、やはり映像の距離ってのは近いですからね。クローズアップなんて、この距離(ボクはいま掌を顔の目の前に置いています)まで来ますから。こんなの普通は恋人以外には入れない距離です。
 
 したがって、表情を重視するチーム4はより映像的であり、それに比べればチームEはより舞台的な表現だと言えるのかも知れません。これは当然、どちらが良いという話ではありえません。
 
 ただし、ここにカメラ演出と映像の密度の話がつながってきます。
 
 眠くなってきたので、次回につづきます