怒られる話2 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 残念ながら、この「戦(いくさ)」は負け戦です。気付くのが遅すぎた・・・この戦いは、そもそも「理」の戦いではなかったということ。

 クジラ(やイルカ)の個体数、生態系に与える影響・・・彼らの知性、他の動物との境界線・・・文化としての捕鯨、歴史上の経緯・・・武器改良による致死時間の短縮・・・じつのところ、それらは、まったく関係なかったのです。

 この戦いは、「感情」による戦いでした。いつの頃からか、彼ら(多くの西洋人)はクジラやイルカを「仲間」として認識してしまった。そして、ぼくらは彼らの「仲間」を殺し続けている。ただ、それだけの問題に収斂されてしまったのです。

 「仲間」を殺されて怒り狂っている人間に、いくら「理」を唱えたって無駄なことです。そのことに気付くのが遅すぎた・・・(中略)どう考えても、この「戦」は勝ち目がありません。今の状況で降伏した方が、傷が広がって降伏するよりも良い。僕はそう思います。

『怒られる話(捕鯨に関するetc.)』(抜粋)2011/3/3


 先日、日本の調査捕鯨は条約違反だという判決がICJ(国際司法裁判所)から下されました。↑の記事は三年前に書いたものですが、今見返してみて、ボクの言うことって、だいたい、いつも当たってるんだよな~って(* ̄艸 ̄)

 ただ結局、ここに書くだけじゃ何も変えられなくて、ボクの自我が際限なく肥大していくだけなんですがね…

 AERAがなかなか手厳しいことを書いていましたが、結局のところ、水産庁が「文化だ」とか色々とキレイごとを言いながら、漁業関係者の既得権益を守るために裏で色々と策動していたのが見透かされてしまったんですよね。

 それにナショナリズムまで持ち出されて、「シーシェパード怪しからん。調査捕鯨を守るんだ」という空気が(保守を中心に)醸成されていった。そうして多くの人が、自分たち日本人が(国際社会から)どう見られているか、ということから目を背けてしまったのです。

 さて、こんな話を持ち出したのは、別に「ボクが偉いんだぞ」って言いたいわけ…ですが(笑)

 コホン…それはともかく、わが国は、また同じ過ちを犯そうとしているのではないかと思うのです。それは何かって従軍慰安婦の問題です。ボクはここで従軍慰安婦の存在や、あるいは韓国が言っていることが「正しいか正しくないか」という議論をする積もりはありません。

 (ボク自身保守でありながら)「調査捕鯨」でボクの読みが当たったのは、「正しいか正しくないか」という議論を切り離して、単純に「勝てるかどうか」という観点から判断していたからです。
(それと、The Guardianの日本欄に目を通していたから…毎週のようにアップされる血みどろのクジラの写真と記事を見ていれば、この問題が英米でどれだけ注目を集めているか、どう見られているか、誰でも分かったでしょう。たとえば判決前日のコレとか、判決当日のコレとか―閲覧注意―。日本のメディアでこういう写真が使われることはほぼありません。それ自体が水産庁のメディア戦略だったのでしょうけれど、そうして国民の目は背けたとしても、国際的にはこういうイメージがどんどん流布していたわけです)。

 「従軍慰安婦」…あるいは「南京大虐殺」もそうですが、みんな勘違いしていると思うのは、これが「理」の勝負だと思っているということです。事実(ファクト)を積み重ねれば、いつかは国際社会が理解してくれると思っている。でも、そうではない。

 ファクトはもちろん、勝負を決定づける一因ですが、それがすべてではありません。もちろん、科学のように自然が「答え」を与えてくれるものならば、「理」で勝負するのは絶対的に正しい(まあ、中には何をどう間違えて科学者になったんだか、「情」に訴えかける人も居ますけど…おっと口がスリップしたぞ)。

 でも、自然が「答え」を与えてくれる科学とは違い、政治や外交は(司法さえも)、結局「人」が決めるものですからね。むしろ、(とりわけこういう問題では)「情」とか「印象」の方で決まってしまう部分も大きいのです。

 「従軍慰安婦は存在したけれど、Sex Slaveなんて、そのような言葉に該当するものではなかったし、30万人虐殺なんてことも(当時の南京の人口から言っても)あり得ない」。たしかにそうです。でも、もはや、実際にどうだったか、なんてことは問題ではないのです。そこを読み違えてはいけない(もちろん、調査/研究を積み重ねていくことは重要ですけれど)。

 「従軍慰安婦は強制ではなかった」とか、「謝る必要はない/いや、もう謝った」とか言っている時点ですでにイメージは悪い。実際にどうだったか、というのはあまり関係なくて、単純に「謝らないヤツ」って映ってしまうわけですよね。そして、それこそが彼ら(韓国/中国)の戦略です。

 ボクら(わが国)は、それに乗ってしまってはいけない。まともに受けてしまってはいけないのです。たとえば、「一般論としてそういうこと(彼らが主張するようなこと)は良くないですよね」とか言って、うまいこと受け流さないと。それが事実としてわが国がやったことであるかどうかはそこで言う必要はありません。

 「侵略戦争」も「植民地政策」も容赦無く糾弾すれば良いのです。「Sex Slaveなんて言語道断だし、30万人も虐殺するのは悪魔の所業だ」とか言っていれば良いのです。あくまでも抽象的な一般論としてね。わが国がやったことは何だったのか、実際はどうだったのか、それはファクトの問題として学問に任せてしまいましょう。

 そのふたつ(そうした行為自体をどう考えるか、実際にわが国がやったこと/やらなかったことは何だったのか)は切り離して論じる必要があるのでしょう。今のままでは、わが国があたかもそうした行為自体を肯定しているように映ってしまい兼ねないからです。そう映ってしまった時、この戦は負けです。

 国際社会においても、ちゃんと見てくれる人は見てくれる。でも、世の中そんな良心的な人ばかりではありません。自分の身は自分で守らなければならない。自らのイメージは自らの手で守らなければならないのです。

 そんな下らないことを考えたのでした<(__)>