「ウソをつくこと」
今年のボクのテーマは「ウソをつける人」になること。なんのこっちゃという話だけど…まあ、それなりに理由はある。
ちっちゃい頃はボクもウソをついた…「ウソ」っても色々あるわけで、スネ夫的な…というより、むしろウソップ的なウソと言ったらいいのかな、「ホラ話」ってのに近かった。
「オレなんてな~、UFO見たんだぞ」、「いやいや、オレなんてネッシー見た」みたいに、仲間内でバカ話をするのが楽しくて、別にそれがホントかウソかなんてことは問題にすらならなかった。いまでもユースケ・サンタマリアを大好きなように、基本的にボクは、そういうノリが好きな部分があるんだ。
だけど、そういうノリは分かってくれる人じゃないと通じない。ユースケの話なんて10中8、9はいい加減なのに、それを真に受けて「え!」っと驚く人を見かけることがある。そういう反応をされるとユースケ自体が困ってしまう(笑)
子どもの頃、ボクもそれで困ったことになったことがあった。別に誰かに不利益を与えたわけじゃないけれどね。そんなことがあって、いつしかボクはウソをつかなくなった。
学校に行かなくなってから(それはボクのウソとは全く関係ないんだけれど)、何者でもなくなったボクは、自分のアイデンティティを確保する必要に迫られた。その時、ひとつ心に決めたことがあった。それは「正しい人になる」ということ。たとえばすごく細かいことだけれど、「絶対に信号破りをしない」とかそういうこと。
屈原の「漁夫辞」に共鳴したボクは、世間の濁りきった水に染まらずに、徹底的に清流であることでアイデンティティを確保しようとしたんだ。だから、絶対にウソをついてもいけなかった。そうして、いつしかボクは潔癖症になっていった。ボクは「ウソをつけない人」になった。
それはひとつの副作用を生んだ。人には言いたくないことや答えづらいこともあるだろう。特にボクは学校に行ってなかったからなおさらだ。だけど、ボクはウソをつけないから、ゴマかすことも出来ずに、「言えない」としか言いようがなかった。質問されたくないから、あれほどお話し好きで饒舌だったボク*はやがて無口になっていった。
*(小学生の時の通信簿はいつも「おしゃべり好き」だと書かれていた。授業中でもずっと話してたから←それはイカン)
月日は経って、大学生ともなれば、相手の方が気を使ってくれて、答えにくい質問は避けてくれる。だから、あまり気にしないでも済んでいられる(時にはストレートに切り込んでくる人もいて、逆にボクはそういう直截な人は心地よくて好きだけど)。ただ、なんだろうな…それなりに神経をすり減らすこともあって、テキトーに流せるところは、もっとテキトーにやっても良いのかなと。
とか思ってたのだけれど、ここんところ、平気でウソをつく人間を何人も見ていて、う~ん…やっぱり、ああはなりたくないな…と( ..)φ
…な~んてね。この記事全部ウソでした。
え? エイプリルフールでウソをついて良いのは午前だけ? 知らんがな←テキトー人間(* ̄艸 ̄)
さて、どっちがウソでしょう(笑)