「すべて写真になる日まで」
概要
岐阜県徳山村で生まれ育った増山たづ子は戦争で夫を亡くした後、村で農業のかたわら民宿を営みながら暮らしていました。1957年、この静かな山村にダム計画が立ち上がり「皆が笑って過ごす天国のガイ(様)」と増山がいう徳山村も推進派と慎重派に二分されます。増山がそれまで使ったこともなかったカメラを手に取ったのは、徳山ダム計画が現実味を帯びてきた1977年、ちょうど60歳の時でした。「国が一度やろうと思ったことは、戦争もダムも必ずやる」と縄文時代以前から続くという村のミナシマイ(最後)を前に、せめて残せるものを残そうと愛機・ピッカリコニカで故郷の村をすみずみまで撮影して歩きました。(展覧会公式HPより)
感想
「ファウンド・フォト」だとか、「ヴァナキュラー写真」だとか、この写真群が現在の写真史において重要な位置を占めるという理由づけは、いくつも考えられるのだけれど、ここには何かそうしたものを寄せ付けない圧倒的な強度がある。
写真というのはそもそも、「かつてそこにあった」ものが写っているわけだけれど、ここでは「写っているものが全てダムの底に沈んでしまった」という知識によって、その効果が劇的に強まっている。桜の木も、使い古された橋も、蝶が留まる花々も、すべてダムの底に沈んでしまった。ボクはこの写真を見ながら、二つの光景を同時に頭に浮かべている。なんというドラマだろう。その二つの距離。そのあまりの落差にボクはただ呆然とする。
消えゆくふるさとを前に、無我夢中で写されたような写真たち。なにか、その執念のようなものがまたボクを圧倒する。生きた証そのものがそこにあるような、撮影者の生き様、あるいは人生が宿っているような…被写体からそれらが照り返ってくるような、ここに生きた人でしか撮れない写真。巧いとか巧くないとか、センスがあるとかないとかそれ以前に、こういう写真にはただただ圧倒されるしかない。
写真はインデックス(物理的接触による記号)だ。撮影者の目が触れたものが、ボクの目に触れてくる。無数に切り取られた普通の人生。その凄まじさ。何ら特別な技術がなくとも、こうして心に強く触れてくる。こういうもののためにこそ、写真は生み出された。そんな気さえしてくる。高尚な「芸術」なんぞ絵描きたちにくれてやれ…と。
ここは、無数の遺骸―写真―が収められたなにか霊廟のような場所だ。それも、ひとつひとつの遺骸―写真―が歌っている。花々が歌っている。それは儚くも悲しげで、どこか優しく、そして途方もなく力強い歌だ。
こういうものの前では、ボクはただ黙って目を瞑るしかない。
増山たづ子
『すべて写真になる日まで』
2013年10月6日(日) – 2014年7月27日(日)
IZU PHOTO MUSEUM