紅白 | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


どうも、あけましておめでとうございます<(__)>

 さて、紅白ですが…

 なんか番組の作りがおかしかったですね。演出は身内ネタばかりで詰まらんし、肝心のパフォーマンスもイマイチ。NHKホールは相変わらず音響が悪いし、「歌がここにある」という「テーマ」のせいかバラードが多くて、退屈してしまいました。まったく、バンドが足りんよ、バンドが…って、それは紅白に求めるもんじゃないですね。

 なんか、それ以上に、全体の構成に流れが感じられなかったんですよね。セットリストとして見たときに、選曲の「これじゃない感」が凄かったし、24時間テレビみたいに、ちょこちょこコーナーを挟むから流れがブツブツ切れるし、司会はミスだらけ(噛むだけならまだしも、まともに覚えてすらいない)で変な間があるし…。

 今回、はじめてチーフプロデューサーを担当した山田氏は「紅白歌合戦は一つのストーリーのような番組。視聴率は気にしますけど、全体のバランス、つながりが重要です」とか言っていましたが、いったい、どの口からその言葉が出てくるんじゃと。個人的に、今回の紅白はサイテーでした。

 で、問題の48グループ…NMBはカモネギじゃなかった感がありますし、曲自体も短かったんですが、それでも全員出れた筈なので、その点では良かったですよね。

 一方、SKEは中学生以下のメンバーが、AKBは高校生以下のメンバーが時間帯の問題で出演できませんでした。AKBでは田野ちゃん、朱里、こじまこ、かとれなが(出番の早かった)伍代さんの応援団として出演できたのですが、正直、今回の紅白でいちばん楽しめたのがここでしたな(* ̄艸 ̄)

 SKEはどうだったんでしょうね…。パフォーマンスとしては良かった(しメンバーも頑張った)んだと思いますが、なんか「弱かった」んですよね。物足りなく感じてしまった。前回がインパクト強かったんで、なおさらそう感じてしまいました。

 ネットでは「カメラワークが悪かった」とか書かれてましたけど、それも頷づけましたね。ただ、もっと根本的な問題が存在していて、それはここでも尺の問題です。披露したのはショートverで、実際の尺は2分に過ぎませんでした。とくに『賛成カワイイ』は、ショートverだと盛り上がりまでの流れをうまく作れないので、魅力が半減してしまうんですよね。

 4時間半に渡る番組、「歌がここにある」というテーマで、あれだけ色々と「余計な」企画をやっておいて、正規出場枠の歌手の尺がたった2分、「なにかが致命的に間違っている」。そんな気がしました。

 そして、SKEは8時台後半の登場だったため、中学生メンバーが出られず。またAKBは10時台後半だったため、高校生メンバーですら出られず。これって一体なんなんでしょうね。

 労基法自体はもちろん仕方ないと思うんです。選抜メンバーしか出られないのは他の番組も同じですし、深夜生放送のCDTVでは大人メンしか出られないわけですし。ただ、基本的にグループ全員が出られるという中で、番組構成上の都合で出られない子がいるってのは、なんか「違う」んじゃないかという気がしてしまうんですよね。

 ここでは、「48グループをそれぞれ前半(NMB)、中盤(SKE)、後半(AKB)で使う」という番組構成の犠牲になってしまっている。24時間テレビみたいにエラそうなことを山ほど言っておきながら、こういうことをする。これって一体なんなんだろう…。

 「美は細部に宿る」と言います。ひとつひとつの細かいことを、きっちりきっちりとやっていかなければ、いくらエラそうなことを言ったとしても、本当に素晴らしいものは作れやしないんですよ(24時間テレビ自体、ボクは「ダイキライ」なんです)。

 「出られなかった子は研究生だったり知名度のない子だから良い」とはボクは思いません。「何十人も居るんだから、その内の十人ばかりが出られなくったって同じでしょ」とはボクは思いません。

 彼女たちはみな、この一年共に戦ってきたSKEあるいはAKBの仲間です。ひとりひとりにそれぞれドラマがあるのであって、ただの数字(たくさんいるうちの何人か)として扱われるのは、ボクには耐え難いものがあります。

 たしかに、メンバーや運営が文句を言えないのは仕方ないかも知れない。曲中に振る旗にみんなで寄せ書きして、「気持ちは一緒」というメンバーたちの姿はけな気でさえありました。でも、本来だったら「みんなで出られないんだったら出なくていい」という選択肢はあり得るべきだし、ファンは、もっと言っても良い筈でしょう。

 別に「それで制作サイドを脅せ」と言いたいわけではありません。もともと、ボクはレコ大とか紅白出場とかに大して意義を見い出していないんですよね。それは、それらの選考基準が透明になってないからです。密室で決められるような、そんな前時代的な政治の匂いがするものに、ボクは価値を見いだせない。

 そうしたものを目的にするってのは、「48としては、なにか違うんじゃないか」という気がしてならないんです。「48がメディアの論理に呑み込まれ始めている」とボクが感じるのは、結局、この辺りなんですよね。だから、「みんなで出られないんだったら出なくていい」ってのは、駆け引きの材料じゃなくて、文字通りそう思うんです。

 そして、極めつけにおかしかったのは、やっぱり優子の卒業発表でしょう。たしかに、プロデューサーの許可はもらっていたんでしょう。だけど、そもそもあんな場所で発表すべきじゃないし、プロデューサーにしたって許可なんて出すべきじゃない。

 ファンの立場からすれば、あんなアウェイの場で発表されてしまったわけだし、メンバーの立場からすれば(決してそんなことは言わんでしょうが)「みんなの場」を「優子の場」にされてしまったわけだし、お茶の間からしてみれば、番組そのものを私物化されてしまったように見えたでしょう。

 ボクは、卒業するのは時間の問題だと思っていたし、卒業自体は仕方ないと思っていましたが、あんなことはすべきじゃないと思ったし、正直、「バッカじゃないの!」とさえ思いました。

 「サプライズ」に寄りかかった思考、自分が中心であるという自負、それは「48村」の中では通用するものですが、ああいう場所で通用するものではありません。あれは「48の論理」が外とは違うということを理解していなかった典型的な場面だったように思います。

 このことは、第一に、ああいう卒業発表を考えた(とされている)優子、それを承諾し取次いだ(とされる)秋元氏に責任があります。でも、許可を出してしまったプロデューサーにもまた責任はあるでしょう。それはむしろ、あのことによって番組そのものがおかしくなってしまったということの責任です(それはまわり回って、結局、優子に返ってくるわけですが)。

 このプロデューサーを含め、現在のNHKの制作体制は、結局、「紅白」ってものの意義を分かってないんじゃないかと思えるのです。ロクに原稿も読めない大河ドラマのヒロインに司会を任せ、話題になったとは言え、みんなが見ているわけでもない朝ドラをああいう形でフィーチャーする(SKE/NMBに限らず正規出場枠の歌手の尺があれだけしかないってのもまた、その延長線上にあるものです)。

 NHKが自分の番組をどう扱おうが自由です。でも、そういうことが出てくるということ自体が、これがもはや「国民のもの」ではなくなったということの何よりの証なのでしょう。紅白はまずNHKに「私物化」され、そして優子に「私物化」されて終わりました。

 ま…もともと、「国民のものなんかじゃなかった」と言ってしまえばそれまでなんですけどね。でも、今回ほど明らかな形でその「幻想」が剥がれ落ちてしまったことは今までなかったでしょう。 

 (視聴率が良かろうが何だろうが)今回の紅白はサイテ―でした。48の至宝、大島優子にああいう形で傷をつけ、そして自らもまた「国民のもの」ではなくなってしまった。

 それでもまだ、紅白を目指すんですか…?