『正しくあるために1』
「タレント性がない」と言われ続けてきたさっしーは、「こんな自分がこの場所に立てるのはファンのおかげだ」と、「自分よりファンが凄いんだ」と、いつもそう言っている。たしかに、「罪」は犯したけれど、そういうさっしーの考え方は、「タレント」ではなく、まさに「アイドル」としての考え方を示しているようにボクは思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/flowinvain/32843529.html (2013/06/07『物語論:破』)
1:終わりの始まり
さっしーは変わったのか、元からそうだったのか…それとも、ボクの見る目が変わったのか…それは分からないけれど、彼女の考え方は、最近のAKBを取り巻くひとつの状況を象徴しているように思う。それは「メディアへの回帰」。
宇野くんが指摘しているように、総選挙でのさっしー圧勝の裏には、メディアに数多く露出している「タレント」としての力があった。これまでのように、劇場や握手会などAKB内で地道に積んでいく実績よりも、メディアという圧倒的な力を生かして、まるで黒船のように到来したのがさっしーだった。巧みに問題の焦点をずらし、悲劇のヒロインを演じたから、例のスキャンダルは結果的にプラスにさえなった。
さっしーのメディア重視の意識は他ならぬ総選挙で見られた。これはたしか濱野くんも指摘していた。彼女はそのスピーチにおいて、タモさんと約束したとかで「いいとも~!」と叫んだ。さっしーをあの場に連れて行ったのは、果たして誰か。投票したファンなのか、それとも…投票したファンに影響力を及ぼしたメディアなのか…。たしかに、「いいとも」に出たことでさっしーのファンが増えたことは間違いない。
ボクは、さっしーが間違いだとは言わない。さっしー個人がこうした考え方をもっていたとしても、別にそれは自由だ。実際、さっしーが総選挙で勝った背景として、メディアの力は無視できないだろう。でも、もしさっしーが、自分のやり方だけが正しいと言い出したならば、ボクはそれには納得できない。「さっしーがそのやり方で成功した」ということと「48がそうあらなければならない」ということ、この二つは本来は別の問題である筈だからだ。
それを知りたければ、あっちゃんの次の言葉を思い起こせば充分だ。「私の事は嫌いでもAKB48の事は嫌いにならないで下さい」。
一方のさっしーは、最近のラジオでこう述べている
「周りの芸能人やメンバーを見ていたら、みんな性格が芸能人で、絶対に周りに流されないし気にしない。芸能人だったら周りのこと気にしないでいいやと思ったら一気にどうでもよくなって、今まではネットとか見て『はぁ』って思ってたけど一切見なくなった」「ネットで自分の評判をチェックするかしないかが選抜メンバーとそうじゃないメンバーの違いなんだろうなって最近気付いた」
この意見は「芸能人」と「アイドル」を混同しているという点において完全に間違っている(なんらかの芸=特技で勝負できる芸能人と何の芸も持たないアイドルは違う)と思うけれど、ここで問題にしたいのはそこではない。問題なのは、この発言は「選抜メンバーになりたければネットを読むな」という教唆として読みうることだ。
「踊りが出来なくてもいい」とか、「ネットの意見なんか聞く必要はない」とか、自分はそうして勝ったのだからと…。まるで「成功者」が語る自己啓発本のような口ぶりじゃないか。3年経ったら消えてしまうような、そんな自己啓発本が世の中には溢れている。
それらの多くが普遍的なものでありえないのは、自分個人の体験をなにか絶対的なものとして語ろうとするからだ。だけど、世の中には様々な成功の仕方があって、こうした自己啓発本はそうした実例のひとつに過ぎない。それらはどんな状況でも適用できるものではない。試しにそれを書いた人間のその後を調べてみればいい。
もちろん、ひとつの例として、それらはあってもいい。そういう考え方をして(とにもかくにも)成功したというのは、それはそれで貴重な例となる。だけど、それを全てに適用しようとすれば、それは間違いのもとになる。
さっしーだって、あれだけ頼りにしていた「いいとも」があっさりと終わってしまう。何よりメディアは飽きっぽい。ヒーロー/ヒロインを創り上げ、持ち上げておいて、なにかあれば、掌を返したように一斉に叩きだすのがメディアだ。そもそも、そういう気まぐれなメディアにゆるがせられない地盤が必要だったからこそ、劇場主体のAKBシステムが出来た筈だろう。
とは言え、繰り返しになるけれど、ボクはさっしーが「間違い」だと言いたいわけではない。さっしーがそれで成功したのならば、それはそれで評価すべきだし、実際に選挙で勝ったんだから、それについて文句があるわけではない。
ただ、それはあくまで一例に過ぎないとボクは言いたいのだ。踊りで成功したって良い訳だし、劇場や握手会で頑張って成功したって良い訳だろう。もちろん、そこには効率の問題が出てくるわけだけれど、さっしー圧勝だって、ただ単にメディアの力だけではなく、その裏には、贖罪としての「左遷」と、それからのHKTにおける功績を48ヲタが評価したという側面もあった筈だろう(実際、ボクだって今年の冒頭から選挙前にかけて、そうした趣旨の記事を書いている)。
こうしたファン意識は、48を駆動させてきた原理と関連している。だけど、近ごろの48ではこうしたファン主導のダイナミズムを縮小させていくような方向性があるように思う。さっしーの「選抜になりたければファンの意見なんか気にするな」ってのは典型的な例だけど、これは何もさっしー特有の考えではない。