「茶髪論争…(政治編)」
序
とうとう、ななたんが髪を染めちまいました…。まあね…色々と言いたいことはありますが…スタベン制度の話でそれどこじゃなくなってますな(^_^;)>
ま、それは置いておいて…これまでの記事では茶髪自体がどうなのかという論点で書いてきました*(記事下リンク参照)。今回は周辺的なことについて書くことにしましょう。
1.
正直、ボクは茶髪に絶対反対というわけではないのです。何度か書いてきたように前に好きだった子は茶髪でしたし。だから、ある意味では説得次第で「転向」する可能性だってあるわけです。アイドルにとって大事なのは、そうやってちゃんとファンと向き合うってことでしょう。
政治の問題に置き換えれば、ボクの言いたいことが伝わり易いと思います。総選挙の例で分かるように、48グループには政治の要素があるからです。ここに、ある町を二分する問題があるとしましょう。今回の場合、これが茶髪か黒髪かという問題になります。そして、メンバーを町長、ヲタを町民(選挙民)と考えてみて下さい。
政治家(この場合は町長)というのは、種々の利害関係を「調整」するのが基本的な仕事です。たとえば、茶髪か黒髪かって問題を調整しようとすれば、「黒よりの茶髪」で妥協点を探るとか、そういうことです。
それでも、どうしても相容れないことってのは出てくるわけです。そもそも「黒よりの茶髪」ってのは、それ自体が茶髪なわけですから、町長はそこで既に茶髪派の側に判断していることになります。それはつまり、ある意味では黒髪派の側を切り捨てていることになるわけです。
ただそれでも、それが生死に関わる問題だ(茶髪は死んでも嫌だ)と考えている人でもない限り、それだけで町を去ってしまうという町民は少ないでしょう。なぜなら、その町に何がしかの愛着を持っているからこそ、そこに住んでいるのでしょうから。そして、ボクもまたそうした内のひとりです。
そういう人が町を捨てるのはどういう時でしょうか? これはハッキリしています。民というのは、行政から見捨てられたと感じた時に、その土地を捨てるのです。まして、ぼくのような人は他所の土地に別荘(2推し)を持ってますから、簡単に去っていくことができます。そして、もはやその町に税金を払うこともなくなるのです。
町長がどちらかに判断するのは仕方がない。すべての人が100%満足いく解決なんて存在しないでしょう。大事なのは、そこで零れた人たちへのケアなんですよね。そこは根気強く政策の意義や意図を説明していく必要がある。「政治は、あなたたちのことを見捨てません」と…ね。賛成派だけ固めればそれでオッケーとはならんですよ、それは。
「インフォームド・コンセント」や「説明責任」とは言わんです。事前にすべて説明せよとは言わんですよ。事後的にせよ、ちゃんと政策の意義や意図を説明し、すべての町民に理解を求めていく必要がある。たとえ、それで反対派の考えは変わらなくても、そうした姿勢を継続して見せていくことが、反対派に対しても「あなたたちを見捨てていませんよ」というメッセージになるんです。
賛否両論のある問題だと分かっていながら、「なにをしても賛否両論ある」と突き離し、「『無難』は卒業します」と宣言してシャッターを閉じる(少なくともボクにはそう感じられました)。それのどこに「町民」が入りこむ隙間がありますか?
2.
彼女は以前も「どんなときも私らしく、周りに惑わされることなく暮らしたい」と、そうした趣旨のことを書いてきたことがあります。ボクは、その傾向にずっと警戒感を覚えていて、「アイドルにおける私らしさ」という記事も、まさにそれに反応して書いた記事でした。
「なにをしても賛否両論ある」「どんなときも私らしく、周りに惑わされることなく」…でも、政治って観点からすれば独裁主義ですよそりゃ。もちろん、誰だって自分自身の問題については独裁制なんです。髪を染めようが何だろうが自分の自由だって思うかも知れない。
でも、忘れちゃいけない。彼女は「アイドル」なんです。アイドルってのは、どんなに優れた人物であっても、自分一人では成立しません。歌手とか画家と違い、アイドルってのは常に「誰かのアイドル」であり、ファンが居なければ、そもそも存在すらしないんです。だからこそ、ボクは町長と町民の関係に喩えたわけです。町長ってのも町民がいなければ成立しません。
それでも、たとえ独裁制の町だって、その町に魅力があれば住みつく人(ファン)はいるでしょう。なかには独裁制の方が好きだって人もいるかも知れない。でも、こういうたとえが許されるならば、独裁制ってのは脆弱なものです。それは君主に対する兵士たちの個人的忠誠によって支えられている。君主が優れていれば、それなりに戦えるでしょうが、結局のところ兵士たちは君主の考えに盲従するだけです。そこには発展もない。
それに対して、民主主義ってのは、個々の町民が町の問題を自分自身の問題と捉える。「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、個々が町の問題を自分自身の問題として考えることで、よりよい道が見つかる筈でしょうし、町民は自分自身のために進んで町を守るようになるでしょう。
単に上の言うことを聞くだけの「臣民」に支えられた国家と、それぞれが主体的な「市民」に支えられた国家とのどちらが強いかと言えば、それは明らかに後者なんです。これは歴史的に見てそうです(アイドルという観点に立ち戻れば、AKBも後者の原理にしたがって成功を収めました。それは「総選挙」に端的に示されているでしょう)。
民主主義では多種多様な意見が許されますから、すべての問題で全員の意見が一致するなんてことはありえません。時には、町長の下した決断が住民から強固な反対にあうかも知れない。町長としてはそれは時に面倒で厄介に感じるかも知れない。賛成意見だけが心地よくて、そのため、独裁制という安易な結論に走ってしまうかも知れない。
もちろん、民主主義であっても、(日本のような)間接民主制であれば、最終的には町長が決断を下さざるを得ないのは同じです。ボクは、アイドルが自身に関わるすべての問題を多数決によって決めろなどとは言いません。完全に独裁主義である絶対君主制から、立憲君主制/制限君主制や元老院制度、議会制度など、直接民主制までにはさまざまな段階があるでしょう。
それでも、ボクはやっぱりちゃんと住民には向き合うべきだと思うんです。少なくとも、町長(アイドル)である限りは…ね。