「後から訪れる」
動画をキャプチャー/撮影するってのは、要は空間的な自由度がゼロになって、時間だけを自由に選択できるということだ。つまり、時間という問題が前景化する。
だけど、思うようなタイミングで撮れるかというとそうじゃない。身体的な反応は光の速度に追いつけない。「いま!」って瞬間を撮ろうとしても、シャッターが切られた時には、その瞬間はもう過ぎ去ってしまっている。
だから、コンマ何秒か先を予測して撮ろうとするんだけど、実際にどのような画が撮れるかは、結局、シャッターを切る瞬間まで分からない。「いま!」って瞬間と、シャッターを切った瞬間がシンクロしていたかどうかは、その一瞬後になってみないと分からない。
それ(今)は常に後から訪れる。
目は全ての光景をその網膜に焼き付けていく。ゆえに、写真は目の芸術だと云われる。目に焼き付いた光景を写し取る芸術なんだ、と。でも、それはきっとそうじゃない。それは基本的にはいつだって「手」遅れの芸術だったんだ。
デジタル時代になり、その技術はCCD/CMOSで光電変換された信号(動画)の切り取り(画像)に過ぎなくなった。原理的に言えば、デジカメは全ての光景を動画として記録して、そこから任意の瞬間を切り取ることができる。「過去へ遡行して」撮影できるカメラ機能(アプリ)はまさにその原理を用いている。目に焼き付いたものを全て切り取れるように、と。
人は、「時よ止まれ」と写真をつくった(そして、デジタルの海を遡行していく)。