注:この記事では大真面目にくだらないことを書いてます<(__)>
「佐藤実絵子というフェティシズム」
1.記念公演
昨日行われた、SKE48の劇場デビュー5周年記念公演。SKE48総勢69人が披露したのは、「Partyが始まるよ」だった。
もともと、これはAKB48が行った初めての公演(A1st)だ。当時のAKBは10代のメンバーがほとんどで、セットリストもそれに応じて、どこか幼い雰囲気がある。それは衣装も同様で、この公演の制服衣装は、数あるAKBの衣装の中でも、とりわけ幼く見える。
48グループへの入門編として、多くのメンバーを育てていったこの公演。SKEも例外ではなく、彼女たちの劇場デビューがこの公演だった。久々に「Partyが始まるよ」の衣装を着たメンバーたち。スタート当時のメンバーで残っているのは一期生7人だけであり、珠理奈を除く全員がすでに20代に突入している。
なかでも48グループ最年長の実絵子さんが着る制服…玲奈は公演中のMCで、「スカート、ひらり」の制服衣装を着る自分たちに対し、「なんか、すごい犯罪っぽい…」と言っていたけれど、まさにそんな雰囲気だった。
もちろん、彼女たちは普段から制服衣装を着ているんだけど、そうした衣装は誰でも似合うようにシックにデザインされていることが多い。同じ制服でも、『Partyが始まるよ』の桜色、『スカート、ひらり』の赤チェックの制服は、まったくそれらとは雰囲気が違うんだ。
でも、それは似合わないとか何とかそういうレベルの話じゃなく、実絵子さんの制服姿にボクは何かフェティッシュなものを感じた。それは否定すべきものじゃなく、むしろ最近のAKBが失っていたものがそこにあるような感じだった。
2.AKB48におけるフェティシズム
いまや、飼い慣らされてしまったようなAKB48。もともとは、もっとずっと「背徳的」な雰囲気を持っていた。初期の歌詞には「援交」を思わせる描写が数多く出てくる。実のところ、AKB48は、彼女たちと同年代の子が常に担ってきた、90年代後期からの「援交」文化(現象と言うべきか)と切り離せない。
「援交」ってのは要は「売春」だから、それを主題にすることについて嫌悪感を覚える人も居る筈だ(ボクだってそうしたものを肯定しやしない)。ただ、それを言い始めてしまうと、たとえば売春婦たちを描いたロートレックやドガ、果ては浮世絵すらも否定せざるを得なくなってしまう。
もちろん、いつの時代にもそういう「道徳的」介入はあって、たとえばミケランジェロが描いた裸体に、あとから下着を「着させた」ローマ教皇の例もある。その社会的許容も時代によって様々で、会田誠なんかは、意図的にその(社会的)許容範囲を少しだけ向こう側に乗り越えてみせることで、鑑賞者を挑発する。
「国民的アイドル」なるものに成りおおせたAKBは、もはや社会に飼い慣らされてしまい、そうした危険な主題からは離れてしまった。けれど、本来、主題というのは時代性と切り離せないものだし、そういう境界線上にこそ時代性が強く現れる。だから、そこと切り結んでいくことで、芸術は表現としてアクチュアルなものになる(だから今のAKBはアクチュアルじゃなく、パロディだ…もちろん、それとは別の時代性を見い出せたら良いわけだけど、それはまだ見つかっていない)。
芸術である限り、そこには何らかの主題の「変換」が伴うわけだけれど、その切り結び方は様々だ。たとえば、私小説のような直接的な切り結び方もあるけれど、危険な主題の場合、直接に切り結んでしまえば、ただの犯罪者になってしまう。それは、芸術として見た場合も、単に緊張感を損なうだけの結果にしかならない。
まして自分たちで歌詞を書かないAKB48の場合は、どうやったって私小説にはなり得ない。むしろ、そこと距離を置くことで緊張感を生む。すなわち、「恋愛禁止」がそれだ。もちろん、「恋愛」と「売春」はまったく異なるものだけれど、AKBの歌詞の世界では、しばしば、そこの境界が曖昧になっている場面に出くわす。とにかく何でも良いから、心の隙間を埋めてくれるものを求める、そんな少女たちの姿がそこには描かれている。それらは、AKBの文脈において容易にスライドし得てしまうものでもあるんだ。
だからこそ、「恋愛禁止」によって、(卑近な言葉を使えば)「清純さ」を確保して、歌い手自身がそれらと距離を置く必要があるわけだ。AKBは、「恋愛禁止なのに恋愛を歌っているのは変だ」という批判を受けることがある。でも、それはむしろ(アイドルだからというだけでなく)主題の側面からも規定されているものなんだ。
たとえて言うならば、お城に閉じ込められたお姫様が市井の賑わいを見て、怯えながらもどこか憧れを抱き、その心情を歌うような、そのこと自体をもって芸術と為すのがAKBにおける「恋愛禁止」の意味なんだ。そこが失われてしまうと、歌そのものに何の緊張感もなくなってしまう。
フェティッシュもそこから生まれる。それはつまり、男と手を触れたことも無い(という建前になっている)少女たちが、「恋愛」や「売春」(言いかえればSEX)の歌を歌うということで生じる、どこか背徳的なフェティッシュだ。そうしたものは、実際の当事者たちに歌わせてしまうと、単なる私小説と化してしまう。そこにAKB的な意味でのフェティッシュは生じない。
かつてのAKBがフェティッシュだったのは、その2つの間の距離から生まれる緊張感ゆえだった。しかし、いつしかAKBは社会に飼い慣らされ、パロディと化してしまった。牙を抜かれて、現実とはまったく切り結ばなくなってしまった。アクチュアルなものではなくなってしまった。
これは、「恋愛禁止」がもはや機能していないということを言いたいのではなく、(もちろん数々のスキャンダルがそうした緊張感を著しく損なっているのは事実だけれど)いまや何の歌を歌っても、どんな歌を歌っても、それは過去のAKBにしか言及し得ないということなんだ。それはもはや現実とは何の関係もない。AKBの制服も、もはやAKB自身にしか言及しなくなっている。
AKBは「見せパン」を穿き、「スカートひらり」させて踊るから、それに慣らされた男子たちが「パンチラ」に興奮しなくなった、という記事があった。そんなことまで、こちらのせいにしてくれるな…って話だけれど、それはおそらくひとつの真実を衝いている。つまり、もはやAKBは、それ自体が文化の一部になってしまい、いくら「現実」に言及しようとしても、そのこと自体がすべて、自身の作り上げた「文化」の内に回収されてしまうんだ。
たとえば、いくらこじはるがドラマで「パンチラ」をしようが、ボクはそこには何のフェティッシュも感じない。それはもはやそういうものとして見てしまうからだ。ワカメちゃんの「パンチラ」が、『サザエさん』という世界観の内に回収されてしまうのと同じこと。それはもはや、単にそういう「デザイン」であると感じてしまうから、何の緊張感もそこからは生まれない。だから、そこには何のフェティッシュも感じないし、背徳的な印象もない(ワカメちゃんの「パンチラ」にも興奮する人がいるとかいうのはまた別の話)。
3.佐藤実絵子というフェティシズム
前置きが長くなった。そこで実絵子さんの話だ。結婚適齢期を迎えたアラサ―の実絵子さんが、花盛りの時代をSKEに捧げてアイドルしているということ自体が一種のフェティッシュなんだけど、話は単にそれだけじゃない。
チビッ子で最年長で、オモチャみたいな動きと大仰な喋り方。そんな実絵子さんを見ていると、ボクらは時に忘れてしまうんだけど、じつのところ、実絵子さんはとてつもなく女子力が高い。るみるみに言わせれば「世界はまだ実絵子の素晴らしさに気付いていない」。
美人で、料理が得意で、頭が良くて英語も得意で、シンガーソングライターとして活動していたように、即興で曲を作って、キーボードを弾きながら歌うことまで出来る。しっかりしていて性格的にも穏当だからスタッフ受けも良いし、メンバーにも信頼されている。じつは、ちょっと近寄りがたいくらいに完璧なのが実絵子さんなんだ。
「良い女」ってのとは少しニュアンスが違うな…むしろ武家の奥方というのかな、そういう、町民には絶対に手の届かないような雰囲気が漂っている。逆に隙がなさすぎするから、もっと弱みを見せた方が人気が出るのかも知れないけれど、でも、そこが実絵子さんの良い所なんだ。
K2公演でのはるたむと実絵子さんの「親友」コンビが面白いのは、チーム最年少で若さに溢れ、(陽P選抜にも選ばれたように)「弾ける」ような肉体を持つけれど、どこかポンコツなはるたむと、チビッ子で華奢な割りに筋肉質なんだけど、最年長で「女子力」の高い実絵子さんという、「魅力的な女性像」の対照的なタイプがそこで絡むからだ。
そんな隙のない実絵子さんが着る制服。(はるたむが言うところの)「高校13年生」の実絵子さんにとって、それはいわゆる「コスプレ」になってしまうんだけど、アイドルでもやっていない限り、そういうのにもっとも無縁そうな実絵子さんがそれをやることに意味がある。
なぜなら、48グループの現役メンバーである実絵子さんの「コスプレ」は、コスプレそのものではありえないからだ。実絵子さんと同世代の(普通の)女性がやれば、それはコスプレになってしまうんだけど、実絵子さんがやる限り、それはコスプレそのものではありえない。(「コスプレ」とコスプレそのものと)その2つの間には最初から距離がある。
(他の誰より)そういうのとは距離が離れている実絵子さんがやることで、そこには緊張感が生まれ、背徳性を帯びる。そうして、それはAKB的な意味でのフェティッシュになり得る。それこそ、かつてAKBが纏っていたものだ。まさに玲奈が言っていたように「犯罪っぽい」ってことにこそ意味があるんだ。
逆に、いかにもコスプレをしそうな人がやっても、それは単にコスプレそのものとして回収されてしまうだけだろう。それはただのプレイであって芸術(わざによって何らかの変換を伴うもの)ではない。
実絵子さんは、今回、初めて着る「スカひら」衣装(公演に出演する16人中7人だけが着る衣装だから、当時は着たことがなかった)に慣れるために、稽古場からずっと着ていたらしい。それはとても実絵子さんらしいエピソードなんだけど、そういう意味(フェティッシュという意味)ではむしろ、慣れない方が良かったかも知れない(笑)
いまやAKBの制服はAKB自体にしか言及しない。現役のJKやJCのメンバーが着ても、それは単に衣装でしかないし、過去のAKBのパロディでしかない。まして、今のAKBの大部分を構成しているのは、AKBに入りたくて入ってきた子たちだから尚更だ。
そんななか、実絵子さんは「コスプレ」であることによって、逆説的に「現実」に言及してみせた。OLや大学生の飲み会芸や果ては性産業まで、現にAKBの制服はコスプレとして用いられているという、その「現実」に。
実絵子さんは、それら単なるコスプレを、「真のアイドル」である自らが演じることで、背徳的なフェティッシュとして提示してみせたんだ。ボクはそれを「芸術」と呼ぶ。
今回の登場メンバー:実絵子さん(佐藤実絵子)、珠理奈(松井珠理奈)、玲奈(松井玲奈)、こじはる(小嶋陽菜)、るみるみ(加藤るみ)、はるたむ(二村春香)