イジメというのは閉鎖的で風通しの悪い社会で生じます。そのため、個人的には、48グループではイジメが生じにくいと思っています。メンバーの年齢層が幅広く、価値観が多様ですし、ファンとの距離が近いため、メンバー同士の関係性が、ブログやぐぐたす、モバメや握手会、公演MCなどで、なんとなくファンに見えてしまいます。「中で何が行われているか分からない」ということが、AKBにおいては生じにくいのです。
もちろん、年頃の女の子の社会ですから、そういうのがゼロだとは言いません。実際、そういうことはあるのかも知れない。でも、そういう一般論と、「◯◯が◯◯をイジメている」って具体的な話とは、まるで次元が違います。いま起きているのは、そうした一般論に基づいて、ひとりの女の子が具体的な罪に問われているという事態です。つまり、「イジメはあるだろうから、これもイジメだ」という形式の弾劾なのです。
この件で特徴的なのは、文脈を見ずして、ただ一枚のgifに基づいて議論が展開されているということです。とりわけ、AKBという文脈を離れたところで「まとめられた」場合、適切に説明できる人が居ないため、議論はいよいよ1つの方向へと流れてしまいます。しかし、出来事の意味というのは、文脈によってまるで違ってきます。そのため、この記事では、出来る限りの文脈を提供することを目的にしています。
1.公演
48グループは、ほぼ毎日、公演を行っています。公演は各チームごとに決められており、現在のAKB研究生は「パジャマドライブ公演」を行っています。これはもともとチームBのために作られた公演であり(B3rd)、いわゆる「お下がり公演」と呼ばれるものです。
公演は曲とMCから成り立っているのですが、ライブとお芝居の中間みたいなもので、全体を通したストーリーのようなものがあります。それは、お芝居の筋のようにハッキリしたものではありませんが、全体を通して見た時に感じられる物語性がそこにはあるのです。
『キスして損しちゃった』は、「パジャマドライブ公演」において、もっともシリアスな『命の使い道』を受ける曲であり、その雰囲気を引き摺っています。この曲自体にもストーリー性があり、序盤の「私の唇を返せ!」という恨みのこもった歌詞から、やがて「一度のキスならセーフ」「虫に刺されたみたいだわ」と、自分を取り戻していくのです。
そして、この序盤の振り付けにおいて、メンバーがメンバーを突き飛ばすフリが2度(2箇所で2度、計4箇所)あります。恨みを込めた「演技」をするわけです。
茂木忍ちゃんは、もともと一度目にメンバーを突き飛ばすポジション(A)でした。そこで突き飛ばされるポジション(B)には、村山彩希ちゃんか湯本亜美ちゃんが入るのが通常です。そして突き飛ばされた(B)は、また別のポジション(C)の子を突き飛ばします。ここには北澤早紀ちゃんか佐藤妃星ちゃんが入ります。
ポジションというのは、舞台における役に相当するもので、その公演を通して定められています。たとえばその日に(A)というポジションならば、その日はずっと(A)に定められた動きをすることになります。メンバーは毎回、同じポジションで出演するのが原則ですが、現研究生公演はチーム定数よりメンバーが多いので、ひとつのポジションに複数のメンバーが定められています(ダブルキャスト)。
また、現研究生公演では、(他の仕事や怪我で生じた欠員の穴埋め以外にも)ポジションを代えることがあります。おそらく、お客さんを飽きさせない工夫なのですが、複数のポジションを覚えなければならないため、これは結構大変な筈です。こういうことを自発的に出来ることも、現研究生公演が評価されている理由です。
問題になった9月13日は、茂木ちゃんが新ポジションに挑戦した日でした。それは、一度目に突き飛ばされ、二度目に突き飛ばす(B)のポジションです。一方、この日、(B)に突き飛ばされる(C)のポジションには、いつも通り佐藤ちゃんが入りました。
さて、ここで問題が生じました。それはイメージの共有の問題です。演技というのは、ある程度において演者間のイメージの共有で成り立っています。エア・キャッチボールなどが演技のワークショップで用いられたりするのもそのためです。
突き飛ばすフリは、元々のB公演において、そこまで強いフリではありませんでした(この例がよく動画で流されます)。しかし、現在の研究生たちは、より歌詞の世界に入り込んで「演技」をします(それが、現在の研究生が「最強チーム」と呼ばれる所以です)。それに応じて、押すフリも茂木ちゃんや相笠萌ちゃんは、より強く押すようになっています。
もちろん、いつも同じ強さで押すわけではありません。「舞台はナマモノだ」と言われるように、その日のテンションなどによって、力の入れ方もまた様々に異なってきます。それでも、普段(B)に入っていた村山ちゃん湯本ちゃんは、上手く(A)茂木ちゃんの力を受け流すことが出来ていました。つまり、「大体、この程度の力で押す=押される」というイメージの共有がお互いに出来ていたわけです。
ところが、茂木ちゃんが新ポジション(B)に入ったことで問題が生じました。それがイメージの共有の問題です。(B)は(C)を押すわけですが、普段(B)に入っている村山ちゃんや湯本ちゃんは、それほど強く押すタイプではないですし、もともと、押す振り付け自体が、二度目に押す(B)のフリよりも、一度目に押す(A)のフリの方が強いのです。
一度目の方は、(A)に押された(B)が舞台の端から中央まで飛ばされていき、そこで逆位置から飛ばされてきた(D)と背中合わせになるフリ(gif参照)になっているのに対し、二度目の方は、(B)に押された(C)は1、2歩くらい飛ばされて、また何事もなかったように踊り出すフリになっているのです。
そのため、普段、二度目に押されている(C)の佐藤ちゃんは、強く押されるというイメージを持っていませんでした。彼女は、1、2歩飛ばされるくらいのイメージを持っているわけです。一方、茂木ちゃんは普段、一度目に押しているので、5mくらい飛ばすイメージだったのです。そこにおいて、2人が抱くイメージの間に違いが生じていました。
本来ならば、この手の問題は、リハーサルなどで洗い出せる筈ですが、公演は毎日行っているため、毎回リハーサルが出来るわけでもないでしょう。そして、あの場面が訪れるのです。
あの日、茂木ちゃんは、普段一度目に押しているイメージで強く押してしまった。本人の言葉を借りれば「そういうフリだったのを、力加減がわからないままやってしまった」ということになります。そのため、予想外の力を受けた佐藤ちゃんは転びそうになってしまったのです。当然ですよね。1、2歩だけ飛ばされる程度のイメージで受けにいったのに、5mくらい飛ばされるような力で押されたのですから。
これは、「力加減がわからないまま」だったと言っているように、茂木ちゃんのミスでした。それを示すように、26日(イジメだと騒がれる前日)の公演で、再び(B)に入った茂木ちゃんは、力をセーブして押しています。そして、佐藤ちゃんもまた1、2歩だけ飛ばされて踊り出すという、普段の演技に戻っているのです。それは、あの13日の公演での「失敗」によって、2人のイメージが共有できたということに他ならないでしょう。
大体、(C)は押された直後に歌割りがあります。転んでしまったら、そのパートが飛んでしまう。舞台監督やスタッフが見ているなか、その子を転ばせようとするのは、イジメだとしても理屈に合いません。通常カメラ3台の他に、定点カメラが常に舞台全体を映しているため、舞台上で起こったことは全て記録されていますし、生中継でも流れます。だから、あれは単に茂木ちゃんのミスなんだというのがボクの理解であり、彼女がミスを犯した理由はこれまで述べてきた通りです。
2.悪意
しかし、9月27日、あの13日のgif(直前の26日のgifではないところがミソです)によって「【悲報】茂木忍が入ったばかりの後輩15期生をどつく」というスレが立てられ、一気に拡散していったのです。それも、何の文脈もつけられずにです。何も知らない状態であの画像を見た人は、一も二もなくイジメだと「確信」してしまうでしょう。そして、その思い込みを修正するのが困難になってしまうのです。
この件でタチが悪いのは、振り付けだということが分かっているにも関わらず、「フリにかこつけたイジメ」という言説まで出ていることです。そこで取沙汰されるのが表情云々って話ですが、先述したようにあの曲の序盤はシリアスですから、そういう表情の演技をしなければなりません。だからボクから言わせれば、そんな言説はまるっきり無意味です。どんな気持ちだったかなんて、最終的には本人にしか分からないことですから。
たとえば、あるドラマで、「殺したいほどアイツが憎い」という演技があったとしましょう。もちろん、これは演技ですから、本来ならば役者同士の関係性とは無縁な筈です。でも、演技だと言っても、その憎しみはどこからか持ってこなければなりませんから、相手のキライなところを思い浮かべて演技することだってあるでしょう。だけど、そんなことを問い詰めて何になりますか。そんなことは本人以外には分かりませんよ。
そんなことより大事なのは、むしろ文脈です。出来事の意味というのは、文脈によって様々に変わります。しかるに、この問題を論じる多くの人は、ちゃんと文脈を提供しようとしないし見ようともしない。文脈を抜きにネット上で拡散されるgif。それに踊らされて吊し上げに加担する人々。イジメってのは何なのか…悪意があるのは一体だれか…
ある人々は「信者がアイドルを信じたいのは分かるけれど」と言います。信じるという言葉には、典型的には神を信じるというように、目に見えないものすら信じるという含意があります。そのため、信者は時に盲目であるという批判を受けます。たしかに、ボクらにそういう面があることは否定しません。
実際、AKB信者にも、どんなことを見ても聞いても、まるで耳を貸さないような人がいるのは事実でしょう。これまで、ボク自身そういう例を見て来ましたし、そういう人たちがいるのは否定しません。
でも、今回の件では、見ようとしていないのは一体、誰でしょうか。
また、ある人々は、「黒だと思っているものを白にすり替える」のはこういうことかと、『半沢直樹』の台詞を引いていました。だけど、半沢がやっていたのは、調査をして真相を明らかにすることではなかったのですか。
今回のことに関しては、すべてがまったく反転させられているのです。
今回、ボクらが一貫して言っているのは、「とにかく見て下さい」ということです。「調べれば分かるから」と。隠し事なんて一切していないし、目を瞑ってもいない。公演はdmmに一カ月分アーカイブされているんだから、誰でも調べようと思えば調べられるんです。ここまでボクが書いてきたものなんて、誰でも容易に裏が取れます。
たしかに、そのために(一公演につき)525円払うのは少々ハードルが高いかも知れません。でも、ボクらの根拠はそこにあるんです。批判をするなら、それくらい見て下さいと。見た結果として様々な解釈があり得るのはボクは否定しません。でも、500円だか3000円(月額)だかを払うのを惜しんで、ひとりの女の子をイジメだと吊し上げるのは、果たして本当に正義なのでしょうか。
ネット世界においては、ある話題が「炎上」すると、誰にも手の付けられない勢いでどんどん進行してしまいます。そこでは数がすべてで、しかもより感情的に訴えかけた方が強い。事実かどうかより、面白いと思った方が受けてしまう。たまに正しいことを言っている人がいても、圧倒的な数の波に呑み込まれてしまう。
この世界ではすべてが反転しています。黒は白に、白は黒に。ギロチン、粛清、赤狩り、吊し上げ。いつの時代も人間のやることは大して変わりません。気付いた時にはいつだって手遅れだ。