アイドルの二つの身体 2(亀裂) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「アイドルの二つの身体」

 「アイドルとして」という部分と、「人間である」という部分があり、人間的な部分をどうしようもなく引き摺りながらも、それでも「アイドルという価値観」に寄り添おうとするのがアイドルであるというのが前回の話でした。

 アイドルが人間の存在を前提にしている以上、その両者に重なる部分があるのは当然です。これは仕事とプライベートの区別にほぼ相当しますが、必ずしもそれと一致するものでもないのです。たとえば、日常のエピソードだったり、自宅で自主練したりすることも、アイドルという物語に組み込まれます。そうしたことの積み重ねによって、ファンはアイドルの人間的な部分をも好きになったりします。そこのところがまた難しいのですけどね。

 しかし、どこかで(アイドル自身が)線引きをして折り合いをつけなければなりません。そうでなくては、アイドルとは何かということ自体が消滅してしまいますからね。100%アイドルになることは誰にも出来ない以上、両者が混ざってしまえば、すべてが「人間的な領域」に呑み込まれてしまうわけです。

 この線引きが曖昧になって両者が混ざってしまったり、人間的な部分が本来の領域を越えてアイドル的な部分の領域を侵食したり(またはその逆だったり)すると、アイドルとファンとにとって必ず不幸な結果が訪れます。アイドルファンは、なによりアイドルがアイドルだから応援するという側面があるからです。

 ボクの場合は明らかにそうです。ボクが「会いにいけるアイドル」に会いにいかないのは、人間的な関係を結びたくないからです。割り切れる人ならば良いですが、ボク自身はそうじゃない。だからボクは、たとえクラスメイトにアイドルがいたとしても、きっと話しかけることはしないでしょう(ウソかホントか)。

 それはボクのアイドルファンとしての線引きです。ボクは彼女たちのプライベートな部分には興味ないし、彼女たちがアイドルである間だけ、アイドルである部分だけを応援する。夢を共有出来ている時間だけが、彼女をアイドルにし、ボクをアイドルファンにする。辞めてしまったら「ハイ、さよなら」。それがボクのアイドルファンとしてのスタンスです。まあ…実際はそんな単純じゃないですけどね。アイドルファンの中でも、ボクがかなり「原理主義的な考え」を持っているのは事実です。

 まあ、ボクの話はどうでも良いんです。もちろん、人間的な部分を受け入れられるファンが居ることも分かります。でも、アイドルとファンという関係である以上、完全に人間的な関係なんて有り得ない。どこまで行っても最終的には「売り手」と「お客さん」という関係がそこにはある。というより、その関係がなかったらアイドルなんて成立しませんからね。

 よく、「ありのままの私を応援して欲しい」という子が居ますが、そういう意味では、あれは明らかに間違っているわけです。身内や友達でもない限り、アイドルになる部分――言いかえれば売り物になる部分――を持っていなければアイドルファンが応援なんてしてくれるわけがない。

 ボクが思い起こすのは、古代中国の名宰相、孟嘗君(田文)のエピソードです。名家の出で、人材を愛した彼の家には、3000人の食客がいた。しかし、彼が失脚すると、ほとんどの人は去っていった。これを不服に思う孟嘗君に対し、馮驩という人が

「富豪の周りには人が多く、貧乏になるとそれが減ってしまうのは当然のことです。朝の市場には人だかりがあるが、日が暮れると人がまばらになるのは、並ぶ商品が少なくなるからです。食客たちが立ち去ってしまったのも、あなた個人を嫌った訳ではなく、これでは生活が出来ないと感じたからなのです」(wikiより)

 と述べてたしなめた。これを聞いた孟嘗君は、宰相に復帰すると再び食客を呼び戻した…という話です。売り物があればみんな集まってくるし、売り物がなければみんな去っていく、単純なことです。アイドルファンは「お客さん」なんだから、それは当たり前なんですよ。

 もちろん、これはボクの立場です。人間的な部分をも受け入れられる人――言いかえれば、アイドルとしての売り物がなかったとしても残れる人――もいるでしょうし、特に48グループはファンとメンバーとの距離が近いですから、そういうタイプのファンも多く居るはずです。

 だから、(先ほどの話に戻れば)「アイドル」と「人間」との線引きが曖昧になった時に、ボクが不幸だと思うのは、「受け入れられる人」と「受け入れられない人」の間に亀裂が生じるということです。受け入れられないものは、もうこれはどうしようもないんです。だって受け入れられないんだから。

 だから、これはまず第一に、ファン同士の間に亀裂を生じさせます。そして、もしかしたらもっと深刻なのは、ファンとメンバーとの間に亀裂を生じさせてしまうことです。メンバー同士は人間的な関係を結んでいますから、当然、人間的な部分を「受け入れられる人」である可能性が高いわけですよね。

 今回、あまり個人名を出す積もりじゃなかったのですが、典型的なのはたかみなでしょう。みぃたかみなの親友ですから、彼女がみぃの行動を「受け入れられる」のは至極当然のことです。なにがあっても仲間は仲間です。
 
 でも、たかみなは組織のトップなんだから、ホントは「泣いて馬謖を切る」の精神が大事な筈ですがね…誰かがたかみなは政治家に向いていると言っていましたが、ボクはそうは思わんですね。だって、公私の区別がついとらんのだもん…と、ボクはこう言うわけです。

 つまり、ここで亀裂が生じてしまっているわけです。ボクはたかみなキライじゃないんですよ(過去にたかみな関連の記事も書いてますし)。でも、同じ出来事に対する立ち位置が違い過ぎて、こう言わざるを得ない。みぃが何より罪深いのは、そこだと思うんですよね。AKBの至宝であるたかみなとファンとの間を引き裂いてしまった。

 これはSKEにも同じことが言えるでしょう。たとえば、「ウチの子が」とか「我が軍」とか、そういうファンとメンバー全体を取り巻く一体感が、SKEの何よりの武器であり魅力です。だからこそ投票関係は無類に強い。だけど…それが引き裂かれてしまうわけですよね。

 ボクは玲奈が「でもこれがチームEだから、欠けていいメンバーなんていないのです」と言っているので、誰がどうって話は黙る積もりなんですけど、それでも、やっぱりそこも亀裂になっちゃうわけなんです(ボクは今でも玲奈好きですけどね)。

 メンバー同士はそりゃあそれで良いかも知れない。だって、そこは人間同士の関係で成立しているわけですからね。組閣の時に言っていたように、「暖かいチームを目指す」という玲奈の考えも分かる。玲奈を信頼するSKEヲタがそれに従うのも分かる。運営の意向があるってことも分かる。ただ、やっぱりボクには何か引っ掛かってしまうものはあって、もうそれはどうしようもないんですよね。「暖かいとか言ったって、結局、ぬるま湯に浸かってるだけじゃないか」と、厳しいことを言えばそういうことです。

 大体、彼女たちが仲間になったのは、まずアイドルという価値観があったからこそで、アイドルグループが存在しなかったら、たぶん、出会うことも出来なかった。だからこそ、そういうところはきちんとして欲しいですし、きちんと注意してあげるのがホントの仲間なんじゃないかと、ボクは思うわけですよね。

 たとえばルール違反を犯してしまった人をかばってやるのも確かに仲間ですけど、ルール違反を犯した人に自首を促すのもまた仲間(のひとつの形)なんですよ。自首を促すなんて「仲間を売ってるだけじゃないか」と考える人もいるでしょう。でも、その構図って一体、どういう構図ですか。少し頭を回して見れば分かるんですよ。そう考えた時に、ファンは「仲間」の外に置かれてしまっているんです。「かばってやる」のは良い。じゃあ、誰から。それはファン以外にはありえないんですよ。それは亀裂を生んでしまうんです。

 個人的には、過ちを犯すことは仕方がない部分があると思います。そういう子はもう「そういう子」として見るようになっちゃいますけどね。でも、(程度にもよりますけど)ちゃんと悔悛してくれれば、推しは出来んかも知れんけど別に応援はするんですよ。ボクの言い方で言えば、「Virgin Mary」が「Mary Magdalene」に変わるだけです。もはや(史上最強のアイドルである)聖母としては見れないけれど、(悔悛の聖女)マグダラのマリアとしては見れる。格は違うけれども、共にキリスト教の聖人ではあるわけです。

 一方、スルーってことは、すべてをグレーにしてしまうということです。それはボクの議論で言えば、「アイドル」と「人間」との線引きをもグレーにしてしまうということになります。そして、それがそのままずっと続いていくわけですよね。「白黒つける」ってのは、線引きがハッキリしているってことなんですよ。たとえ黒だったとしても、線引きがハッキリしているのなら、また白の方に戻ることが出来る。それはまさにマグダラのマリアの物語なんですよ。あやりんみなるんさっしーみぃ…みんなそうです。みんなランカーですよ、これ。やり直しは利くんです。

 でも、グレーってのはもうどうしようもないです。もうどうしようもないんだこれは、ホントに…線引きが分からなくなるから、どの部分がどうとか、そういうあらゆる議論を受け付けなくなってしまいます。議論ってのは、「白黒つける」ためのものですからね。それに、物語としてもまったくカタルシスを感じられなくなってしまう。だって張るだけ張った伏線を回収せんのですから。

 まあ、そういう状態でも受け入れられる人は受け入れるでしょうし、グレーってのは議論が成立せんですから、表面上は鎮火したようにも見えるでしょう。でもね、ウンザリしてしまうだけなんだよ、それは。鎮火してしまう。相次ぐ内部抗争によってホントに文字通り鎮火してしまうんだ。「我が軍」とか言っていた熱すらもそれは鎮火してしまう。政治家と同じように、とぼければ個人は延命できるかも知れない。でも、それはより深刻な事態、「政治不信」を生むんですよ。

 ひとりの子がグレーになる。仲間がそれをかばう。じゃあ、線引きはどこにあるんだ。どこにもありはしない。結局、すべてがグレーになってしまう。あとは、自分の推しを信じるかどうか、そんなミクロなレベルの話に回収されてしまう。もはや「箱推し」なんて成立しない。そしていつしか、グループとしての熱が失われてしまう。「自己責任」ってのはそういうことですよ。こんな無責任な言葉はないとボクは思います。

 それはグループとして、どっかできちんと担保してやるべきなんだ。「無数にある曇り硝子の向こうに天使がいるかも」と言われて、信じるかどうかはあなた次第。お金を払っても、決して硝子は透明にはならんし、開けてもくれない。なぜファンがそんな苦行に耐えなきゃいかんのか。もちろん、ファンは耐えるでしょう。でも誰が好き好んでそんなことを続けていられるんですか。それ(天使の存在)はきちんとグループとして(ルールなり何なりの形で)担保してやるべきなんですよ。

 天使の存在は幻想に過ぎないかもしれない。でも、幻想を生きるということがアイドルの本質なんですよ。それがつまり、「アイドル」と「人間」との間の線引きを作るんです。それがなかったら、そもそもアイドルなんてどこにも存在しない。