物語論:破 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


物語論:破
(ボクは、その物語に)

 前回はファン全体を駆りたてる「大きな物語」の話でした。しかし、実際には個々の「小さな物語」の方が選挙に影響を与えます。そこで、今回は「小さな物語」の話をしようかと思ったのですが…

 今さら、あやちゃんが「不遇」だったって話や、こあちゃんが辛い目にあってきたって話をしてもしょうがないかなって…それは、もうこの2週間で繰り返されてきた話でしょうし。ファンは『シンデレラ』の魔法使いのように、虐げられてきたシンデレラをお城にデビューさせるという物語を作る。それもどうも型にはまった語りになってしまいそうです。
  
 それに、「小さな物語」というのは、ファンとの関係性をも含むものです。それぞれのファンに、それぞれの推しとの「小さな物語」がある。それは、そのファン自身が語る以外に、他の誰にも語れるものではありません。そして、ボク自身の「物語」は、すでに語ってしまいました↓
「ぼくらの戦い3:あるファンの肖像」

 だから何を語ろうか…



「斬」

 ファンとの距離感…。アイドルには、タレント寄りのアイドルと、アイドル寄りのアイドルが居るってのは、あまり良い話じゃないかな…。タレント寄りのアイドルってのは、「芸能界」にどっぷりと浸かってしまっていて、その中での力関係で生きていくことが出来る。いくらバカをしても、「お仲間」が擁護してくれる。ファンに頼る必要なんてない。

 でも、本来、アイドルってのは、そういうものじゃない。アイドルってのは、タレントと違って、ファンがあってこその概念なんだ。ファンの存在が、ただの女の子をアイドルにする。だからこそ、ファンは「アイドル」を支えてあげなければならないと感じる。

 ファンに押し上げられていた筈が、いつしか「タレント」になり、手のひらを返す。「自分らしさ」や「個性」という美しいテーゼに紛れて、「アイドルであること」の意味が薄れてしまう。「いつから48グループはタレント集団になってしまったのだろう」。その疑問は、きっとファンの間に反発力を生む。

 結局、これは、ファンが、メンバー個人に寄り添うのか、それともアイドルという理念に寄り添うのかという問題に繋がる。グループ全体の将来を考えれば、「個人」と「理念」が衝突した場合、優先すべきなのは明らかに後者だ。その理由は簡単で、メンバー個人との繋がりはメンバーが辞めてしまったら失われるのに対し、理念はいつまでもグループに寄り添い続けることができる。

 だから、グループ全体の将来を考えれば、メンバーに不祥事があった時でも、メンバーごとに判断を変えてはダメだ。メンバーとしても、自分と親しいメンバーだからといって擁護してしまうとすれば、その人はもはやアイドルという理念を捨てていることになる。人間関係で理念が曲げられるのならば、それは公私の区別がついていないんだ。

 有名な「泣いて馬謖を斬る」という逸話がある。蜀の丞相であった諸葛亮は、寵愛していた部下の馬謖が命令違反を犯して敗戦したとき、泣く泣く馬謖を斬った。いくら愛する部下でも、いや、愛する部下だからこそ、罪を許してしまっては示しがつかない。だから、彼は馬謖を斬らざるを得なかった。

 もちろん、48グループでは「出直し」が認められている。一度、「罰」を受け、それで復帰するのは自由だ。だけど、それは、罪を「罪ではない」と言うのとは決してイコールではない。罪が罪でなくなる時、それは、すでに理念がねじ曲げられているんだ。そんなものが認められるくらいなら、ボクは48グループを去る。


  
「破」

 …でも、ボクには葛藤がある。茶髪論争の記事でも、黒髪を支持しながら、最後のところで踏み切れなかった。ボクには常に、もう片方の側に引っ張られる何かがある…

 入ってきては、また去っていく。彼女たちは、アイドルという場にあってのみ「アイドル」だった。目の前を通り過ぎていった数多のアイドルたち。ボクが通り過ぎてきた、数多のアイドルたち。その交点の刹那にあってだけ、わずかに交差してきた時間

 振り返れば、累々と築かれてきた想い出たち。彼女たちがアイドルであった季節、わずかに共有してきた時間。懐かしむ間もなく時は過ぎ、ボクはまた前を向く。過去を懐かしんでいる間に、また現在が過去になってしまう。アイドルは、時の儚さを映し出す。気がつけば、しゃわこも小木ちゃんもくーみんも萌乃も居ない。アイドルであるということは、時間と戦うということ。

 ボクは、いったいどちらの味方をすれば良いのか、分からなくなってしまう時がある。彼女たち個人か、それともアイドルという理念か。それは結局、総選挙でのボクの迷いに繋がっている。

 選挙では、芸能界に支えられる存在「タレント」ではなく、ファンに支えられる存在「アイドル」に徹した子の方が強い。そのことは、グループの方向性に対するファンからの強烈なメッセージになっている。それは、AKBが為した民主化のたまものだ。

  「タレント性がない」と言われ続けてきたさっしーは、「こんな自分がこの場所に立てるのはファンのおかげだ」と、「自分よりファンが凄いんだ」と、いつもそう言っている。たしかに、「罪」は犯したけれど、そういうさっしーの考え方は、「タレント」ではなく、まさに「アイドル」としての考え方を示しているようにボクは思う。

 博多に飛ばされて、そこで腐らずに頑張ったさっしーは、速報1位に飛び込んできた。魔法使いが、虐げられていたシンデレラを助けたいと望んだように、選挙では分かり易い「物語」を持っている子の方が強い。ファンは彼女たちに力を貸したいと望む。それはまた、速報でのチームEメンバーの大量ランクインにも結びついた。

 苦難の状況でも頑張っている子を応援したいというファンの気持ち。そして、そういう子こそが報われて欲しいというファンのメッセージ。それが選挙では現れてくる。

 だからボクは、選挙で民意が反映されることを、一種の正義のように捉えているところがある。選挙では「民意」が反映される。だからこそ、「アイドル」として頑張ってる子の方が選挙では強い。それはひとつの理屈として認めるとして…


 じゃあ、実絵子さんは…?


 実絵子さんは、あんなにけな気に「アイドル」してるのに、あれほど「物語」がある人もいないのに。SKEの1期生で最年長で、だけど、選抜にも、総選挙の圏内にも入ったことなくて…でも、いっつも全力で…ファンとチームをとても大切にしていて…アイドルであるということに誇りを持っていて…

 そんな実絵子さんが壇上に立つようなことがあれば、それはきっと、もっとも美しいドラマのひとつになる。だけど、速報で圏外になってしまった以上、ここから巻き返すのは、現実的にはきわめて厳しい。実絵子さん自身は「諦めていない」と言っているけどね。

 たしかに、実絵子さんには、どこか自己完結してしまうような、決して人に弱みを見せないようなところがある。きっと、ファンにすべて預けてしまった方が「アイドル」としては強いんだろう。 

 それじゃあ、実絵子さんは「人」として素晴らしいけど、「アイドル」としては、そうでもないということなのか。いや、ボクはそうは思わない…ボクはそうは思わない。実絵子さんは正真正銘の「アイドル」だ。じゃあ、なんで選挙で勝てないのか…

 きっと、誰もが思う理由がひとつあると思う。でも、ボクはその言葉を使いたくない。だって悔しいじゃない。そんなことで勝てないと認めてしまうなんて、悔しいじゃない。

 いったい、何を言っているか良く分からんくなってきたな…

 選挙でランクインするということは、とても大きなことだ。とくにそれが民意の結果であればなおさらだ。でも、「それだけがすべてじゃない」という気持ちが、いつもボクの中のどこかにある。最後の最後のところで引っ掛かってくるのが、実絵子さんと茉夏の存在なんだ。

 ボクは今回、(ランクインの可能性がある)きょんちゃん支援に傾注したけれど、最後の最後の2票は実絵子さんとるみるみに投じた。それが死票になっても悔いは無い。



今回の登場メンバー:あやちゃん(柴田阿弥)、こあちゃん(小林亜実)、しゃわこ(秦佐和子)、小木ちゃん(小木曽汐莉)、くーみん(矢神久美)、萌乃(仁藤萌乃)、さっしー(指原莉乃)、実絵子さん/みえぴー(佐藤実絵子)、茉夏(向田茉夏)、きょんちゃん(磯原杏華)、るみるみ(加藤るみ)