『漂流』
明日で終了する東博の「大神社展」に行ってきた。会期終了間際なだけあって、人混みがすごい。足早に駆け抜ける。相変わらず、こういう人混みは苦手だ。
続けて、学会のために東大まで歩いていく。思ったより遠い。道すがら、やっぱり少しだけ身構えてしまう。誰だって、初めて東大に行く時はそうじゃないか…。
門が近づくに連れ、それらしき若者たちの姿を見るようになる。見た感じは、思ったより普通…というか、そんなの当たり前なんだけど。でも、東大の門をくぐって出てくるだけで、「やっぱり頭良いんやろうな~」とか思ってしまう。正直、少し羨ましい。
大学の中に入っても、雰囲気はウチの学校とそんなに違わない。う~ん、なんだろうな…。ボクは、少しだけ、むしろ東大生とかの方が自分と波長が合うんじゃないかと思っていた。でも、きっとそれは、独りよがりな幻想なんだ。
ウチの学校は好きだし、居心地だって別に悪いわけじゃない。でも、どこかで、「学校用の人格」を作って、それを周囲に噛み合せている気がする。
学会のあとは、一駅先の秋葉原へと向かう。この街に来るのも久しぶりだな…今のボクの目的といえば…最近、それしか書いてないから分かると思う。とは言え、劇場に行ってきたわけではないのだけれどね。
久々に見た秋葉原は、なんだか雰囲気が変わっていた。妙に制服姿の子が多い。昔から変わってないような連中も居る一方、もっと若い世代も流入してきているような、そんな印象がある。
少し裏の路地に入ると、メイド服姿のかおたん(松村香織)みたいな子が山のように居て、客引き?…なのか、チラシを配ったり、話しかけられるのを待っていたりしていた。「そうか、かおたんはこういう文化から出てきた子なのか…」と、なんとなく分かったような気分になる。あの気の強さと、萌えキャラのギャップ。自己主張と自己プロデュース能力。そこにあるのは、ひとまわりして、「私はこうして生きていく」というありのままの姿。
目を合わせないように、足早に駆け抜けていく。通りを見回すと、昔のまま残っている店も多い。そんななか、ある中古CD/DVDショップに入ったら、一階と二階がAKB関連で埋め尽くされていて、少しビックリした。
そう。ボクがこの街に居た頃は、AKBはなかった。いや、少なくとも最初の頃はなかったし、まだAKBが大きくなる前に、ボクはこの街から去った。
店内の一角にある生写真コーナー。ボクはもともとアイドル好きだし、こういう光景には違和感ない筈なんだけど、でも、なんだか新鮮。街の景色に浸透しているという実感。なんかテンションが上がってしまう。きょんちゃんは…780円か…ショートカットverだったら買ってたな。ななたんの生写真は『げいにん』のDVDで引き当てたから持ってる。
DVDとかCDのようなデジタルデータが主流になる中で、生写真というものの価値が残っているということ。同じ画像は、きっと、ネットで検索すれば見つけることが出来る。ネットでは見つけるということと、手に入れるということが、ほとんど同義だ。だけど、やっぱり生写真は欲しい。ボクだってそうだ。それって、なぜなんだろう。
これは、写真論という文脈で、充分、検討に値する課題かも知れないな…。というか、次の発表にコソっと入れ込んでみたりして。美学ゼミにいながら、ボクがやっているのは美学じゃない。かといって、純粋な写真論でもない。サブカル系社会論とも違う…ボクは一体なんなんだ…まあ、好きなことやってるんだから、世話ないか。
一通り中古ショップを回っても、収穫はない。まあ、当然か。駅へと向かう途中、AKBカフェ&ショップを見つける。そうか…これは、こんなところにあったのか…店の前に貼り出された選挙ポスターに人が群がっている。ボクはそっと、店の中に入ってみる。
アメリカ…?
いや、なんだろうな…観光地のお土産品売り場のような。そんな印象。思ってたイメージよりも、遥かに客層が幅広い。なかには、ウチの大学に居そうな連中も居るけど、でも、ここはボクの場所じゃない。そんな気分で店を出る。
昔から気になっていることがある。この街で、ボクはどういう風に見えていたのだろう。ちゃんと融け込んでいるのだろうか。以前、同級生に「アニメ見るんですか!?」と驚かれたことがある。どんなイメージなんだ、ボクはいったい。
洋楽好きだったボクがアイドルに走ったのは、ちょうど20歳のころだった。それでも、あのころは、秋葉原より渋谷の方が空気が合うと思っていた。それは…ある種のミエだったのかも知れん。
昔から不思議なんだ。よく何系と分類されるけど、ボクは何系なのか。みんな、ちゃんと自分が何系だとかいうアイデンティティを持って生きているんだろうか。それとも、先に何系という分類があって、そこに無理やりにでも自分を当てはめているんだろうか。
人はいつ、自分が何系だというのを見つけるんだろう。それとも、いつまでも見つからないからこそ、「自分探し」なんてものが流行るんだろうか。なんだか、それもひとつの形にはまっているような気がして…ボクはいったい何なんだ…という疑問が頭の中に渦巻いている。
「自分らしく」と人は言う。だけど、自分らしさが分からない人だっている。「自分は○○ではない」という形式でしか、自分を捉えられない。それで結局、最後まで何にも当てはまらなかったら、ボクは、ただ流れ続けるだけの根無し草。