ニュースを眺めていたら、こんな記事↓が目に飛び込んできました。まあ、ボクはこの方を知らないので、どうでも良いっちゃどうでも良いんですけどね。歴史系の記事はついつい反応してしまう(* ̄艸 ̄)
「武田信玄の末裔」モデルに“待った” 武田家関係者「信玄公を冒涜する行為」と否定
1.(http://p.tl/LhWx) 2.(http://p.tl/5exF)-Yahoo!ニュース-
たしかに、彼女が「竜芳系(次男の系譜)」ではないのは事実でしょう。もちろん、それ以外にも武田信玄の末裔ってのはいる筈ですけどね。でも、「血を引いてる」ってのと、「その家の人」であるってのとは厳密には違います。
たとえば、養子をとって「家」を残す場合があるし、その一方で、庶子は、実際に血を引いていても、「その家の人」とは認められない可能性があります。大体、調べたら現在の「竜芳系」は信玄の血を引いとらんじゃないか(苦笑)
(記事を読んだ限りでは)彼女は、この辺りのことを理解してなさそうなんで、いかにも、「ニセモノ」くさいけどね。明治以降は名字なんて当てにならないですし。名前だけなら戦国大名って人は結構いますからな(笑)
でもね~…この手の話って難しいと思うのです。というわけで、ここからは自分の話になります(* ̄艸 ̄)
たとえば、ボクは前にもチラっと言ったように、「新田義貞」の末裔ってことに「なっています」。ということは、つまり、源義家(八幡太郎)や、さらにさかのぼれば、清和天皇以前の歴代天皇、その母方である藤原家の歴代当主(の多く)は、みな先祖だということになるのですが…
でも、それが本当かどうかは、ちょっと確かめようがないですし、自分自身でも、かなり半信半疑のところがあります。もうちょっと詳しく話しましょうか。
ウチの母方の家(以下○△家)は、旧真田家臣(沼田藩)です。これは、はっきりしている。藩の史料(=公式の文書)とかにも出てくる。そして、もっと遡ると、山内上杉家の家臣、長野業正(箕輪城主)の傘下にいた「らしい」*1。
(*1.この辺りの経緯は→http://blogs.yahoo.co.jp/flowinvain/26805637.html)
そして、おそらく、この頃(約400年前)から、既に新田義貞の末裔だということに「なっていた」。○△家の家紋は「丸に一つ引両」(新田氏の家紋)ですし、古くからある菩提寺*2の寺紋も同じです。だから、「○△家は、新田義貞流だ」ということに、少なくとも自分たちの中ではなっている。
(*2.ちなみに、沼田第2代藩主で夭折した真田熊之助の墓[供養塔?]があります)
その誇りもある。たとえば、ウチの爺さまの名前は「○源太*3」というのですが、これは、明らかに源氏の嫡流だという意識でつけられた名前です。たしかに、血統からいけば、新田氏は源氏の棟梁の筈なのです(だからこそ、徳川も新田氏流を名乗っている)。まあ、足利に負けてしまったのであれですけど。
(*3.「源太」という名で知られているのは、源頼朝の兄、「悪源太」義平ですかね)
ウチの爺さまは○△家の直系の長男*4でしたが、自身には娘しかおらんかったので、孫のボクが祖父の名を一字もらって特別扱い…って話は前にもしました。だから、「世が世なら源氏の棟梁だった」という意識は、きっと、(21世紀を生きる)ボクの中の何処かにも眠っているでしょう。
(*4.ただし、高祖父は河内源氏石川氏流の家からの婿養子)
-閑話休題-
ここまで話したように、たしかに、○△家は「新田義貞の末裔」だということに「なっている」のです。ですが、ここから先の立証はなかなか難しい。カギを握るのは、○△将監という人です。この人が、新田義貞の血を引き、○△家の初代ということに「なっている」。
だけど、この人の出生を巡る話がまた、霧に包まれているのです。あるところには、「新田義貞の四男」と出ている。またあるところには、「新田義興(新田義貞の次男)の遺児」と出ている。
自費出版された○△将監に関する研究書を、父親が、爺さまの故郷の地で買ってきたのですが(笑)…そこでは、たしか、「義興が足利氏の追討を逃れ、匿われている時に生まれた子だ」ということになっていました(たしかに、その地は「隠れ里」と言っても良いような土地なのですが)。
でも、その一方で、菩提寺の和尚さまは、○△将監について、「新田義宗(新田義貞の三男)の子」であると言ってました。こうなると、もう何がなんだか分からない。どれを信じて良いかも分からない。当事者であるボクですら、「それ本当か?」って、ちょっと疑いたくなってしまう。徳川が新田氏流を名乗っているくらい怪しい(笑)
(まあ、武家の系譜なんて、大体、天皇家に繋がることになってますからな(* ̄艸 ̄))
あ、ただ…○△将監という人は、(新田義貞の子孫かどうかはともかく)実在したことはしたらしいですけどね。例の書物を信じるならば、諏訪大社の記録に名が残っています。かの人は成人して、子も為したけど、結局、(義宗の挙兵に参加したんだったかな?)足利の追っ手をまくことができず、最後は北陸辺りで壮絶に討ち死にしたそうな。そして、その時に故郷の地で匿われていた幼な子が、○△家の祖先なんだと。(ベンベン)
…う~ん…なんだか歴史ロマンを感じる話だなあ…なんか、ちょっと信じたくなってしまいそう(* ̄艸 ̄)
だから、(ちと話が逸れましたが)「誰それの末裔だ」って話は、余程しっかりした史料が残っている家でないと、証明するのは難しいでしょう。その「先祖」が遠ければ遠いほど難しい*5。しかも、史料が残っている家ですら、本当かどうかは良く分からない場合がある(たとえば、天皇家なんてその典型ですけど)。少なくとも系図上は繋がっている、というのは言えたとしてもね。
(*5.逆に言えば、江戸期の大名なんかは辿り易い)
でも、こういう風にも考えられるわけです。遠ければ遠いほど難しいわけですが、その一方で、遠ければ遠いほど、祖先の数は爆発的に増えていく。
700年前の人である新田義貞を、仮に28世代前の先祖ということで計算してみましょう(平均25歳で子をなしたという計算)。そうすると、その世代におけるボクの先祖は、2の28乗で「約2億5千万人」という途方もない数になってしまうのです。この計算は恐ろしくて、たとえば29世代にすると「5億人」、30世代にすると「10億人」が先祖になってしまいます。
もちろん、これは「延べ数」なので、実際には、もっとずっと減ってくるでしょう。たとえば、同じ村内や同族で結婚することなどを踏まえれば、「かぶる」祖先は多いでしょうし、封建制の時代には、異階級間での結婚が禁止されていたことを踏まえれば、祖先が何人いても、(場合によっては)すべて無名の人って可能性もあるでしょう。
それでも、この祖先の数は恐るべきものです。たとえば、1400年前(聖徳太子の時代)の祖先を56世代として計算すると、見たこともない数字が出てきます(笑) こうなると、その当時の日本人で祖先でない人を探す方が、むしろ難しい(かも知れない)*6。
(*6.少なくとも、子を為した人の中では)
ある人は、「日本人はみな家族であって、天皇家はその象徴なんだ」と言っていましたが、この言葉は、こうした側面から考えると、恐るべき真実となります(つまり、あらゆる人の血筋が実際に天皇家に接続してしまう)。
世の中には佐藤とか加藤とか「○藤」という人が多いわけですが、「それは藤原氏にあやかってるだけなので、本当は藤原氏とは何の関係もないんだ」とか、よく言われます。でも、ボクは、藤原氏と何の関係もない人の方が、むしろ珍しいんじゃなかろうかと思ってしまうのですよね*7。
(*7.あ、ちなみに、ボクの名字も母方の名字も○藤ではありません(* ̄艸 ̄))
ただ、武田信玄(の末裔か)は…微妙だなあ…←そこは庇いきれない(笑)