偶像のかなた 8. 白間美瑠 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


『偶像のかなた 8』

白間美瑠
(NMB48/チームN/総選挙-位)

「Bastian」


 バラエティ番組には、学力テスト系の企画ってのがあるわけです。大抵の場合、アイドルたちの「おバカ」な回答をいじって笑いを取るわけですが、でも、そこで扱われる「常識」やら「教育」やらも、ただ慣習化して陳腐化する時があるなあ、と思うのです。

 それは、約一年ほど前に発売されたNMB48のシングル「ナギイチ」の特典DVDに収録されていた学力テストの折りのことです。ここで次のような問題が出されました↓(空欄の穴埋め問題)



太陽は「1.  」から昇り「2.  」に沈む



 これ、分かりますか?ちなみに、答えは「1.東」「2.西」だそうです。

 え?当たり前だろうって?でも、ボクは納得いかんのです。いや、別にヒュームよろしく、「昨日までは東から昇ったとしても、明日また東から昇るとは限らん」とか言いたいわけではありません(* ̄艸 ̄)

 この答え(を含んだ文)が真であるとしても、それは、ある体系(座標系)の中でのみ真なのです。だから、この問いが成立するためには、その体系が指示されていないといけません。しかるに、この問いには、視点(つまり、どの座標系なのか)が設定されておらんのです。

 言い換えましょうか?要は、(地球とは自転が逆の)

金星では、太陽は「1.西」から昇り、「2.東」に沈む

 でしょ?ってことです。だから、答えが「1.東」「2.西」であるためには、問題文が

地球上では、太陽は「1.  」から昇り「2.  」に沈む

 でなければならない筈だということです。たぶん、センター試験くらいだったら、この問題文は(批判が出そうなので)アウトでしょう。でも、まあ、所詮、バラエティ企画だからという考えもありますけどね。

 ボクらは地球上に住んでいるわけだし、言葉というのも地球上で作られたものです。だから、何も書いていない時には、暗黙のうちに地球上の視点が了解されると考えても良いのかも知れません(そんなこと、どこにも書いちゃいないのですが)。

 つまり、何も書いてない時には、当然「ボクらにとって」でしょう?…ということです。それは百歩譲ってヨシとしましょう。でも、そうなると、もっと分からなくなることがあります。それは<みるるん>(白間美瑠)の答えが不正解にされたことです。彼女は、

太陽は「1.下」から昇り「2.下」に沈む

 と答えたのです。はっきり言いましょうか。これは真理です(笑)(-地球でも火星でも同様という意味で-)

 ボクらは先ほど、客観的な座標系を否定して、主観的な「ぼくらにとって」という観点でのみ、「1.東」と「2.西」という答えを了承したのでした。すると、この<みるるん>の答えを否定する根拠は何もなくなる筈なのです。

 さらに、こんな問題もありました。



地球は「1.  」しながら太陽の周りを「2.  」している



 これは、座標系が指示されている点で、先ほどの問題よりは客観的だと言えるかも知れません。しかし、我らが天才<みるるん>は、そんなことで挫けやしません。彼女の答えは、

地球は「1.ぐるぐる」しながら太陽の周りを「2.ぐるぐる」している

 というものでした。え~…<みるるん>、正解です(笑)…しかし、(本当の正解とされている)「1.自転」「2.公転」ではないということで、彼女の答えは不正解とされたのです。

 言ってみれば、彼女の答えは「詩人」のそれです。いつから、辞書の答えが正解で、詩人の答えが不正解だということになったのですか。しかも、<みるるん>の答えは、科学的に不正解というわけではないにも関わらずです(言葉の意味上、不充分ではあるかも知れませんが)。

 こうなると、これはもはや理科の問題ではなく、ただ言葉の使用法に関する問題です。そして、その観点からのみ正否が与えられるということは、単に、その使用法の権威付け(押し付け)に他なりません。

 自分の頭で(ちゃんと)考えたことは否定され、単にその使用法に則っていない(ルールを守らない)というだけで「おバカ」呼ばわりされる。これでは、自分の頭で考えるなと言っていることに等しい。そして、その人は理科や物理や天文、ひいては勉強そのものが嫌いになってしまう(かも知れない)。これはホントに下らないことです。

 もちろん、これは教育現場の話ではなく、あるバラエティ企画の一コマなので、これを敷衍して何かを述べるというのは、少々、行き過ぎなのかも知れません。でも、冒頭で述べたように、「常識」や「教育」も、こうしたレベルに堕してしまえば陳腐なものとなるということくらいは言えそうですかね。

 思い起こせば、エンデが「果てしない物語」に描いたのも、まさにこうしたことによる危機でした。主人公バスチアン少年は、「自分で話を考えだしたり、これまでになかった名前やことばをつくってみたり」するので仲間外れにされ、学校に足が向かないのです。ここでの学校は、詩人を既成概念(固定観念)の内に取り込むという役割を担わされています。

 そうして、詩人は滅びゆく種族となるのです。もちろん、<みるるん>は、仲間外れにされているわけではない(筈)ですが、ある意味で<みるるん>は現代のバスチアン少年なのかも知れません。

…なんてね←じつは学力テスト企画好きな人(* ̄艸 ̄)



(NMB48 春の学力テスト前編 3-4)