今回の話は、一切の説明を省いているので、ことの経緯を踏まえていない方には何のことやらサッパリだと思いますし、(ボクの価値観を)理解できない方には、まったく理解できない話だと思います<(__)>
『偶像のかなた3』
欠番
「Lucifer」
こういうことに関するボクの考え→(http://blogs.yahoo.co.jp/flowinvain/31079586.html)は以前も書いてますし、そのままスルーして、前々から考えていた14期生岡田奈々ちゃんの記事でも書こうかなとも思いましたが…
また、ボク個人に関しては、Twitterに書いたこと→「AKBグループ全体のボクの推しが山田菜々ちゃんになりました<(__)>」が全てなんで、これ以上なにを言う必要もないかなという気もしましたが…
でも、他でもない人のことなので、やっぱり書いておくことにします。↑にも書いてますけど、正直、個人的には、ほとんど何の感情も湧かないです。たぶん、ボクは長いことアイドル・ファンを続けていて、こういうことに対する防衛本能が発達していて、何かあっても、ほとんどダメージがないようにしておくクセが、自然と身に着いているんでしょうね。
それは、アイドル・ファンの悲しい習性とも言えそうですが、ボク自身が、『HUNTER×HUNTER』で言うところの「変化系」の性質を、有しているせいなのかも知れません。すなわち、「大切なものが一瞬でゴミに変わる」。ボクは冷たいのかも知れませんが、でも、事実そうなのだから仕方ありません。この問題を論じている多くの人が忘れていると思うのは、まさにアイドル・ファンのそうした素朴な心情です。これは「許す-許さない」の問題ではないのです。
一連の騒動で、色んな意見を耳/目にしました。一方で、「そんなことは許せない」という強制(共有化圧力)があり、またその一方で、「年頃の女の子に、そんなことを強制させるのは酷い」という別の強制(共有化圧力)がある。でも、ここで多くの人が理解していないと思うのは、これは、道徳や倫理の問題ではないということです。ここで(敢えてこういう言葉を使いますが)裁判に掛けられているものは、「人間としての何か」などではもちろんなく、また「女の子/女性としての何か」でもなく、「アイドルとしての何か」なのです。
これは道徳や倫理の問題ではなく、契約、あるいは宗教の問題です。ボクは「アイドル」というものは、「ファウスト」みたいなものだと思っているのですが、つまりこういうことです。ファン(=悪魔メフィスト)は、ある女の子(=ファウスト)を、アイドルにしてあげる代わりに、彼女から人生の一部分を貰います。若いだけで大して何の取り柄もない女の子に対して、「アイドル」という何だか訳の分からない力が与えられるのは、その「契約の力」です。もちろん、(容姿にしろスキルにしろ)何らかの取り柄がある女の子もいます。しかし、それは「アイドルとしての武器」には成り得ても、それ自体は「アイドルであるための条件」には成り得ないのです。
だから、繰り返しますが、ここで裁判に掛けられているものは、「人間としての何か」ではなく、また「女の子/女性としての何か」ではなく、「アイドルとしての何か」なのです。「有罪」ならば、(望むと望まざるとに関わらず)契約は破棄され、彼女たちに人生が返される代わりに、彼女たちからアイドルとしての力/聖性が奪われます。
これは、AKBにおいては余りにもドラスティックに起こるものですが、それ自体は、もともと、アイドルという観念の中で、暗黙の内に了解されていたものです。総選挙にせよ、恋愛禁止のルールにせよ、AKBの原理は、可視化(今まで暗黙の内に了解されていたものを露わにすること)の原理です。そして、いまここで、可視化されているものは、(自分勝手な)「ファン」の願望、あるいは信仰でしょう。
ある友人は、以前、「渡辺麻友を推してる人って、なにか女性に対して完璧なものを求めている(女性に対して夢を見ている)気がするからイヤだ」と言っていました。それはそれで良いのです。彼女の価値観に対して、ボクが批判する何ものもありません。でも、こと、アイドルという観点から考えた時には、彼女は、「普通の女の子の原理」を、そのままアイドルに適用するという間違いを犯しています。アイドル(偶像)というのは、それ自体が理念的な存在です。それは文字通り「偶像」であり、「普通の女の子の原理」とは別の原理で駆動するものです。それは、その観念それ自体の内に「完全性」といったものを含んでいます。彼女がやり玉に挙げた渡辺麻友こそ、まさに「完全無欠なアイドル」と呼ばれる存在なのです。
アイドル・ファン(≠タレントファン)であるということは、そうしたある種の完全性を信奉することに他なりません。あるアイドルが(アイドルとして)過ちを犯した。彼女は、それでもまだ、「マグダラのマリア」にはなれるでしょう。でも、2度と「聖母マリア」にはなれないのです。それは、実際にどうかという問題ではないという意味でも示唆的です。聖母マリア(Virgin Mary)が実際にそうかどうかというのは、信仰の問題なのです。「信仰を失った偶像」は、ただ風雨に曝され朽ち果てていくのみです。神や精霊をありありと存在させるのは、信者の力に他なりません。ピラミッドやパルテノンは、いまや、あらゆる意味で死者の神殿なのです。
アイドル(信仰)というのは、一種の宗教です。宗教だからこそ、社会と軋轢を生じるし、また人を惹きつけることが出来ます。気持ち悪かろうが何だろうが、ぼくら(アイドル信者)には力があるし、またその力を望む女の子もいます。偶像の地位を降りたければ勝手に降りれば良い。でも、(場合によっては)もう2度と力が与えられることはないのです。その力は、(何度も言いますけど)契約、あるいは信仰(を受け入れる契約)の上に成り立っているからです。その契約/信仰は力を与えます。それは「夢」(を追いかける力)と呼ばれるべきものです。
ゆえに、「アイドルとしての個人」を応援している人は誰もみな(本人の自覚とは無関係に)その個人そのものを応援しているのではなく、その個人の「アイドルとしての夢」を応援しているのです。
だから、ボクは、彼女が坊主になったこととか、まるで意味が分かりません。別にそれは本人の勝手ですけど。問題は全然そういうことではないのです。それは、「アイドルとしての何か」を、「女の子としての何か(=髪)を切ること」で、取り戻そうとしているという点で、大きな間違いを犯しています。そして、それはまた、そのようなことで取り戻せるものでは(全然)ないのです(「マグダラのマリア」は、どう転んでも「聖母マリア」にはなれないのです)。
人間としては、反省したという気持ちを(何らかの形で)表わすということは理解できます。また、前田敦子さんが、「何があっても味方」と言うのも、友だちとしては(当たり前ですが)まったく間違いではありませんし、その心境は(痛いほど)良く理解できます。人間として、女の子として、あるいは友人として、咎めるべき何ものも、ここにはないのです。
別に彼女は犯罪を犯したわけではありません。これから先の人生まだ長いのだし、自分の好きなように生きたら良い。「タレント」活動を続けたいのなら続ければ良いし、それは誰も止めやしません(生きる残るだけの「能力」があれば、生き残っていくでしょう)。でも、ボク(ら)は、もうそれに力を貸すことが出来ない、というだけのことです。
少しだけ悲しいことがあるとすれば、ボクらに引き留めるチャンスすらもらえなかったということかな。正直、女の子としての幸せを追い求めたいなら、誰も止めはしないよ。でもね、泣いて後悔するくらいだったら…まだボクらの利害が一致していたのだったら…ルビコン川を渡る前に、「あっち側の世界=普通の女の子の世界」に行ってしまう前に………と思います。少しだけね。
いずれにせよ、すべてはもう終わったことです。「AKBグループ全体のボクの推しが山田菜々ちゃんになりました<(__)>」