『レ・ミゼラブル』
LES MISERABLES
監督:トム・フーパー
主演:ヒュー・ジャックマン
2012年イギリス、158分
概要
文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説を基に、世界各国でロングラン上演されてきたミュージカルを映画化。『英国王のスピーチ』でオスカーを受賞したトム・フーパーが監督を務め、貧しさからパンを盗み19年も投獄された男ジャン・バルジャンの波乱に満ちた生涯を描く。主演は、『X-MEN』シリーズのヒュー・ジャックマン。彼を追う警官にオスカー俳優のラッセル・クロウがふんするほか、『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ、『マンマ・ミーア!』のアマンダ・セイフライドら豪華キャストが勢ぞろいする。(Yahoo!映画より)
感想
ボクは『レ・ミゼラブル』が好きだ。原作はもちろん、これまでに制作された幾つかの映画/ドラマも見ている。だから、頭の中では、すでに、ある程度イメージが固まっている。その一方で、ミュージカルは見たことがない。ここには、ボクが乗り越えなければならない段差がある。
ボクにとって、『レ・ミゼラブル』は、シラーの延長線上、もっと言うとカントの「無関心性」の延長線上にあるものだ。カントは美的判断の無関心性を唱えた。美を捉えるためには、それ以外のいかなる要素も捨象されなければならないということだ(ボクはこれに異を唱えたくて、関係性という点から美を記述しようとしている)。
これを善という次元に転移させたのがシラーであった。シラーは、「絶対的利他」こそが善が善であるための条件とした。つまり、自分を捨て去ることが善へと到達する道なのだ。そこにおいて、美と善とが一致する地平がある。美もまた、無関心であること=自分を捨て去ることで到達できるものだからだ。彼はこの考えに従って、いくつかの戯曲を描いた。
そして、シラーすら到達できなかった水準で、これを描き切ったのがユーゴ-だ。それこそ、まさに『レ・ミゼラブル』に他ならない。
閑話休題。映画の感想。ある意味では、評が辛くなるのは止むを得ないんだけど、「ミュージカル映画」というジャンルの特性と(ある意味では)限界を感じさせるものだった。
たとえば、こういうことだ。ミュージカルというジャンルの特質上、メインキャストそれぞれに曲を歌わせるわけだけれど、それによって、心理描写が均等になってしまう。
物語上、ジャン・バルジャンの葛藤や、コゼットに対する想いの深さを描き切ることが出来なければ、ユーゴーが描きたかったものを訴えることもできない。その人にとって、それがどれだけ大事だったかを描けなければ、それを犠牲にした上に成り立っている利他性が際立たないからだ。だから、これを相対化してしまったことによって、物語全体が総花的なものになってしまった。花は(それぞれ、自ら)咲くことを欲する。
ミュージカルになって抽出されたものもあれば、捨象されたものもある。その明らかなもののひとつが歌の功罪だ。音楽という芸術ジャンルは、他の芸術ジャンルに比して、社会/文明に対して批判的なスタンスをとることが少ない(と云われる)。社会学者のHans-Joachim Braunは、このことに関して、「芸術ジャンルとしての審美的な条件」(誰も不協和音には惹かれない)を挙げている。
(確かに、絵画ならば悲劇的な場面や醜いもの不快なものを描いても、それを快に変えてしまうことができるけれど、音楽の場合はそうはいかない。音楽で不快なものを現したら、鑑賞者にとっても、それは不快なものでしかない)
かくして、ミュージカルの中では、あらゆるものが花となる。(色ではなく、陰影こそが詩的なものだと言ったのは、誰だったっけ…それはともかく)あらゆるものが花となり、陰影が消え去った。ここでは、闇すらも(音楽の中で)咲き誇る。
高らかに謳い上げるラストシーンでは、映画と舞台の違いも感じた。あれが舞台であれば、拍手喝采であろうし、またそうした機能(お客さんを立ち上がらせる機能)もあるんだろう(あまり、そういう穿った見方はしたくないけれど)。でも、映画の場合には、そうはいかない。どこか遠くの世界で謳い上げられる歌。ボクは、なにか、置いてきぼりになったような気がした。
それは何より、身体というものに関わっている。 身体というものの強さ。その聖性と言ってもいいし、アウラと言ってもいい。かけがえのない身体が現前にあるということ、それが、映画には、どうしても欠けている。
(ボクは『レ・ミゼラブル』のミュージカルは見たことがないんだけれど、ジョン・ケアードが演出した舞台『キャンディード』は生で見たことがある。ケアードは『レ・ミゼラブル』オリジナル版ミュージカルの演出だった人だ。そこで感じたのは、やはり身体というものの強さ/聖性だった)
確かにアン・ハサウェイは素晴らしいし、彼女が歌う「I dreamed a dream」は、ホントに名場面だと思う。でも、その一方で、「これが実際の舞台だったら(どうだろう)…」という感覚は最後まで抜け切らなかった。ミュージカルに忠実だったことによって、その影を最後まで引きずらざるを得なかった。これは、映画化が決まった時からの宿命だったのかも知れない。
舞台の雰囲気をそのまま移植した結果、犠牲になったものは他にもある。たとえば、バリケードの場面。あれは、明らかに舞台サイズだし、狭い路地や、セットの雰囲気が色濃く残った街角…。 何だか少し肩透かしを食らったような気分がした。ところどころに感じられるイギリス人特有のシニカルな視線も含めて、やはり、ボクはこれは、二重化された『レ・ミゼラブル≒レ・ミゼラブル』だと思う。
でも、素晴らしい。最後に褒めて終わりたい。(退屈な場面もあるんだけれど)とにかく、息を呑んでしまうような場面がいくつかある。先述したアン・ハサウェイの場面もそうだし、革命前夜に皆で歌う「民衆の歌」の場面も圧巻だ。歌の力というのは素晴らしいものがある。それだけでも見に行く価値はある。…でも、完璧じゃない。
☆☆☆☆★(4.5)
(余談だけど、アン・ハサウェイが役作りの参考にしたと言っているスーザン・ボイルのオーディションを、今さら見て、これまた今さら感動してしまった…(^_^;)>)