transparence | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「transparence」

 ボクらのコミュニケーションを結ぶ媒体は透明なものでありえるだろうか。媒体それ自体が自らの意志を持ち、自らの言葉を語り始めたとして、ボクらにそれを区別する術はない。それは、見かけ上、「相手」が話しているのと同じに見える。

 こうして、媒体が(不透明になり)「相手」と化したとしても、それをさらに媒介する「透明な」媒体が想定されることになる。この連鎖は無限に続く。無限なるものが生じた時、その理論は何処かが誤っているのである。

 この場合、その誤謬は、「媒体の透明性」という概念そのものである。けだし、媒体は不可知なものであり、「媒体の透明性」なるものは、まさに、媒体の不可知な性質によって維持されているのである。

 これを克服するために、2つの方向で努力がなされることになるだろう。ひとつは外的世界の内化。たとえば、(未だSF世界のものである)インプラントの端末などがこれに当たる。あるいは、メガネから拡張現実へと連綿と続いてきた、身体の拡張もこれに含めて良いかも知れない。そして、もうひとつは、内的世界の外化。たとえば、クラウドによる記憶の外化などがこれに当たる。

 こうして、内と外との境界は曖昧になり、そのことによって、自我は世界そのものを克服する。それはまた、自我が無意識に求むるところのものであるだろう。