涼宮ハルヒの消失 | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


『涼宮ハルヒの消失』

2009年日本、163分

監督:武本康弘

主演:平野綾

概要
 谷川流原作のライトノベル「涼宮ハルヒ」シリーズをアニメ化した、高い人気を誇る「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ初の劇場版作品。涼宮ハルヒを中心とするSOS団が、今度は劇場版にて予測不能な展開を見せる。総監督はテレビ版の監督の石原立也が務め、ハルヒも平野綾が引き続き担当する。ストーリーはもちろん、人気アニメ「らき☆すた」「けいおん!」などの京都アニメーションが手掛ける、クオリティーの高い演出などからも目が離せない。(Yahoo!映画より)


少し長い話
 なぜ、いま『涼宮ハルヒ』なのだろう。それを、つらつらと考えてみる。直接的な理由は、宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』を(これまた今さら)読んで興味を持ったからだ。でも、それだけじゃない。きっと、それより遙かに根深い理由が、その背後に潜んでいる。

 ボクは自分が何に属する人間なのか分からない。○○大学の院生。それはそうだ。でも、それ以上に、自分がどういう種類の人なのか。それが分からないのだ。サッカーファンではあっても、(「田植え歌チャント」で書いたように)サポーター集団には溶け込めそうもない。AKBファンと言えど、ライブにも握手会にも行ったことがない。ましてや、コールなどは出来そうもない。

 自分の肩書きを言うとき、書くとき、どこか歯が浮いたような気分がする。ボクは、自分が「何か」であることを、「何処かの誰か」であるということを、本能的に忌避してしまうのかも知れない。でも、心の何処かで、ずっと羨ましく思っていた。何かであるということ、何かに夢中になれるということを。ずっとずっと、羨ましく思っていた。それは、映画レビューすら自分語りにしてしまうボクにとっては、気が遠くなるほど彼方にあるもの。いつも心の何処かが冷めている。

 大学に入った時、はじめに仲良くなった男の子がいた。4年間、授業の時はいつも隣に座っていたけれど、ゼミも違うし、学校外での付き合いはなかった。ボクの年齢を知ってからもタメ口でいてくれたこと、「別に大して変わらないでしょ」と言ってくれたこと、とてもとても、言葉では言い尽くせないくらい感謝している。

 そんな彼はアニメ好きだった。その頃のボクは、彼が言う「ラノベ」が何なのかすら知らなかった。ボクが『エヴァ』の話を振った時、彼がこう言ったことを覚えている。「オレが好きなのは、そういうのじゃないから」。今ならば、ちょっとは分かるかも知れない。いや、やっぱりまだ分かっていないのかも知れない。彼はいま、どうしているだろう。何だか、妙に会いたいよ。気付いた時には、いつだって手遅れだ。

--閑話休題--


感想
 展開的にはありがちなものだし、向こうのSOS団の活躍も、もうちと見たかった気もするが、まあ、それはたいした問題じゃない。その繊細な心理描写、丁寧な演出、ボ~っと眺めてしまうような美しい背景。非常に高品質な映画。何より、今作の注目ポイントは長門さん。雪ん子の長門さんは反則でしょ。ボクは感服した。でも、「感服した」なんて言葉、感想としては、余りにも陳腐だ。そう感じたからこそ、ボクはこの文章(少し長い話)を書いた。

 一週間前のボクは、『涼宮ハルヒ』を知らなかった。テレビシリーズから映画まで一気に見てしまったから、リアルタイムで見ていた人たちとは違うかも知れない。それでも、いまのボクは、『涼宮ハルヒ』を知っている。この文章は、いまのボクの文章だ。90年代が『エヴァ』の時代だったとすれば、ゼロ年代は『涼宮ハルヒ』の時代だった。そんな気がする。そう、気付くのは、いつも、ちょびっとだけ遅いのだけれど。

☆☆☆☆☆(5.0)