原理主義的 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


『原理主義的』

 民主党政権を見ていると「原理主義的だな~」と思うことが良くあります。まず言葉ありきで、それだけがどんどん前面に押し出されてくるのです。「脱官僚」「コンクリートから人へ」「最低でも県外」「マイナス25%」「原発ゼロ」etc...

 ボクは、これら個々の理念が正しいかどうかはここでは問題にしません。むしろ問題にしたいのは、これらの言葉の扱われ方。つまり、それらの言葉があたかも絶対善であるかの如く扱われることです。これは原理主義的な発想です。

 たとえば、イスラム原理主義のタリバンでは、女性差別や文化財の破壊が行われます。しかし、それらの犠牲はイスラム教教義の前に正当化されます。つまり、原理主義的であるということは、その原理が絶対善であり、「他のモノ」を犠牲としてもその原理=絶対善を優先するということです。

  一方、当たり前のことですが、イスラム教徒であることは必ずしもイスラム原理主義者であることを意味しません。その2つは別物です。たとえば、同じイスラム教でもトルコなどでは、もっと「他のモノ」とのバランスを考慮します。

  (何でもかんでも政治のせいにしたがるーこれに関しては言いたいことが山ほどあるのですが)現代の日本もまたバランス型であり、政権の力が弱い国家です。したがって、政権が原理主義的なことを唱えても、「他のモノ」を代表する勢力の抵抗にあって挫折するのがオチです。

 たとえば、小泉政権。あれも「郵政民営化」「構造改革」など、原理主義的な側面を備えた政権でしたが、小泉さんという強力な指導者を失ってからは簡単に挫折しました。あれは小泉さん個人のパーソナリティに支えられた原理主義的政権だったのです。

 一方、長期の低迷(というよりボクは単に日本はそういう国になったんだと思っているのですが)によって、国民の多くは原理主義的な解決策と強力な指導者を求め始めています(e.x.橋下さん)。したがって、民主党の原理主義的な発言も、こうした側面から理解しなければなりません。

 自民、民主、維新それぞれに同様の傾向があるわけですから、これは右翼左翼問わない傾向なのでしょう。 かくいうボク自身もまた(橋下さんは支持できませんが)「政権の持続性がないことが現在の日本の問題」だと見ているわけですから、それは同じです。

 しかしながら、これまで述べてきたように、原理主義的であるということは「他のモノはどうなっても構わん」という思想と表裏一体をなしているわけですから、これは、よくよく注意してかかる必要があるでしょう。我々は、人類の悲しい歴史を知っているわけですから。