『独立国家のつくりかた』を読みました…というより課題で読まされました(笑)まあ、保守主義者のボクがこういう本を読んだらどういう反応になるかは容易に想像できると思うので、その点は割り引いてお考え下さい<(__)>
『独立国家のつくりかた』
この著者は良くレイヤー(層)という言葉を使います。社会構造を層化して捉えれば、(たとえば路上生活者のように)今までとは別のレイヤーを見出すことができ、それを拡張することができるのではないかという議論です。(例:ブルーシートハウス→モバイルハウス)
それ自体を否定する積もりはありません。そもそも、レイヤーという言葉を使う限り、それは他のレイヤーと排他的なものである筈がないのです。言ってみれば、彼が提示している生き方も一つのレイヤーに過ぎません。彼が言っていることは単に、「人には様々な生き方がありますよ」と言っているに過ぎないのであり、それは否定する必要もないものです。
「人には様々な生き方がある」なんてことは誰に説教されるまでもない当たり前のことですし、路上生活だろうが何だろうが、やりたければ勝手にやれば良い。社会がそれを認めないならばそれを潰すだけでしょうし、潰されない限りは勝手にやれば良い。別に彼らの生き残り戦略について(それが他人の迷惑にならない限り)僕がとやかく言うことではありません。
つまり、これは単に個人が「勝つか負けるか」、「生き残れるか生き残れないか」の問いであり、その生き方が「正しいか正しくないか」の問いや、ましてや社会論などではない筈です。僕がこの著者に最も疑問を抱くのは、彼がその点を理解していないように思えるからです。彼は言います。「僕たちは何も考えていない」
(以下引用)
(引用終わり)電気のシステムもゼロから考え出された。100ボルト電源のないところでどうやって電気をつくるか。毎日見ていたガソリンスタンドの廃棄バッテリーをもらってきて図書館で電気の本を読み12ボルト方式を考え出す。こうすれば、インフラと付き合わなくても電気が使える。独自のインフラレイヤーまで構築した。
僕はこうした彼の行動を見ながら、政治や行政に文句を言っても仕方がないと思った。これらの機関が命のことを軽んじていることは、路上生活者への対応を見ていれば理解できる。そもそもの憲法などハナから無視してしまっている。それはもう、どうしようもなく故障した機械なので何を言っても無駄なのだ。
僕は鈴木さんの「生きのびる方法」を見ながら、システムはゼロからつくり上げることは出来ないが、独自の「政治的行動」はゼロからつくり上げることが可能であると感じた。彼の家を獲得する行為は、政治的行動である。そしてそれは同時に哲学である。僕はそれが「生きる」ことであると思う。
僕たちが「考える」ことを拒否するから、政治や行政は暴走するのである。故障するのである。それに気づいても止めることができず「命」を疎かにするのである。それじゃあ、僕たちも路上生活者にならって、自分たちの「思考」を開始してみようではないか。
まず指摘しておきたいのは、「それは同時に哲学である」という言葉がまったく何も意味をなしていないということです。これは何も中身のない記号です。それは彼が「哲学」という言葉の定義を自らの内に持っていないからのように思えます。これに限らず、彼は少し気取った言葉や目新しい言葉を用いたがる傾向があるように感じましたが、それらは何か新鮮な、あるいは高尚風な響きを持たせているに過ぎません。
ともあれ、彼はここで「路上生活者の考え」を「正」におき、「それ以外の考え」を「否」においています。ここにおいて、それまでの彼の主張は全く陳腐化します。なぜならば、先述したように、どちらの「考え」も「生き残るための考え」であり、それは正否ではなく、勝敗で決められるべき質の問いだからです。(ここで言う「勝つ」とは生き残るということです)
つまり、彼はレール上を走るのもレールから外れるのも選択の内だということを忘れているのです。別のレイヤーを見出せという彼自身が忘れてしまっているのです。本来、レールから外れるのも選択(=考え)ならば、レール上を走るのも一つの選択(=考え)な筈なのです。これは勝敗を争う議論なわけですから、「生き残れるならば、どちらを選んでも良い」とならなければならない筈なのです。違う見方を提示しようとしている点は評価できますが、それと同時に別の見方を否定していることで、彼は単なる自分万歳の押し付けピエロに成り下がってしまっています。(彼が「僕たち」と言う時、そこには「君たち」という響きを聴き取らねばなりません)
そしてもう一つ。唐突に出て来る「これらの機関が命のことを軽んじていることは、路上生活者への対応を見ていれば理解できる」という政治/行政への無根拠に等しい批判です。命のことを軽んじている…命のことを軽んじている…それはとても重い言葉です。僕はそういう風に、そんな簡単に言い切ることは出来ません。彼は一体、(実例も挙げずに)何を理解したというのでしょうか。
これはハッキリさせて置かなければいけませんが、政治は常に様々なものを天秤にかけています。むしろ、天秤にかけることが仕事と言ってもいい。たとえば近年では原発再稼働などが典型的な例でしょう。ここは何としても理解してもらわなければなりませんが、再稼働を決めたからと言って(あるいは決めなかったからと言って)それは命を軽視した結果ではないということです。むしろその逆であり、命を重視した結果、どちらがより重いかを判断して(今回は)再稼働という結論に至ったわけです。もちろん、逆の判断はあるでしょう。しかし、いずれにせよリスクはあるのであって、今回、政府は様々なものを秤にかけた結果として再稼働の方が重かったというに過ぎません。秤そのものの判断基準が違う(たとえば利権)という批判はとても容易いですが、実態はそんな単純なものではありません。だからこそ、だからこそ、誰が政治をやっても(多少の幅はあれど)最終的な判断は大して変わらないのです。(例:鳩山さんの「最低でも県外」)
農業に対する政策などでも同様です。たとえば民主党のように何でも保障しようという考えもあれば、自民党のように頑張った人だけ保障しようという考えもあるわけです。いずれにせよ国家の予算には限りがありますから、(多少の幅はあれど)最終的には似たようなところに落ち着くわけですが、ここで問題なのはどちらの考えにせよ命を軽視しているわけではないということです。大切にしたいから過保護にする。大切にしたいから厳しくする。どちらもあり得るわけです。たしかに、(似たようなところに落ち着くとは言っても)個々を見れば政策の違いによって有利不利はでるでしょう。もちろん、ミクロな個々へのケアは大切ですし、僕は現状それが完璧だとは言いませんが、政治というのはマクロな観点を持たなければ判断することは出来ないわけです。
政策の違いによって不利になる特定の集団を取り上げて相手の考えを弾劾するのは(それ自体民主主義の一部でもありますが)既得権益に群がる利益団体と何ら変わらない行為ですし、ましてや、相手と考えが違うからといって「命のことを軽んじている」などという言葉を使うのはフェアではありません。実例も挙げずにそのようなことを軽々しく述べ不特定多数を批判する人間を僕は信用できません。(むしろ、僕にとって政治の問題とは、政治に対する無根拠、あるいは目先のみの批判によって目まぐるしく政権が交代し、国として一貫した政策を取れないことにあります)
もともと、彼が主張しているのは簡単に言えば「人には様々な生き方」があるということです。別にそのことをもって政治や行政をあげつらう必然性は何処にもありません。ましてや彼が提示している生き方は(自らも認めているように)既存のシステムに乗っかったものです。彼が「ゼロから」と言っている廃棄物のバッテリーは何処から作られたのか。本を借りてきた図書館は誰によって運営されているのか。それはまさに、既存のシステムによって生み出されたもの/余剰に他なりません。
たとえば、多くのスラムは都市部中心/周辺に作られますが、それは、そこでは「生きのびる可能性」が増すからです。彼らはそこで生きられている限り、そのことをもって政治をあげつらう必要はありません。なぜならば、まさにその政治によってもたらされた一定の秩序/インフラ/余剰によって彼らは生きのびているのですから。ましてや、ここで彼が言っているのは、(現在の日本では)レールから外れても「生きられる」ということなのです。別に誰であれ政治を批判する資格はありますし、批判するのは全く構いませんが、この本の趣旨からはその結論は生まれえない筈だということです。
したがって、「僕たちが『考える』ことを拒否するから、政治や行政は暴走するのである。故障するのである」という文に関しても、これは単に自分の議論を社会論風に見せたいだけのお為ごかしであり、なおかつ「独裁者は盲従する民の上に君臨する」という古来使い古されてきた言葉の「(まさに)盲従的」な繰り返しに過ぎないと言わざるを得ません。しかもそれは、独自の生き方を提唱しつつ既存のシステムに依存し、多様な生き方を提唱しつつ自らの考えを「正」、他の考えを「否」とする二重の欺瞞によって導かれた結論であることに僕らは留意すべきでしょう。
2012/9/24-flowinvain記
P.S.
そもそも(実際に行動していることは評価に値するとしても)彼が言っていることはさして珍しくもありません。それは少し調べれば直ぐに見つけられるようなことですし、ポール・ポラックなどは遥かに洗練した言葉で同様の趣旨を述べています(→http://blogs.yahoo.co.jp/flowinvain/31560825.html)。
何より腹立たしいのは図書館で貸し出し中だったため、こんな本にお金を払わなければならなかったこと。なんでボクが「ゼロ生活」を訴える彼個人の「生き残り」の手助けをせにゃならんのだ。バカバカしい…←みみっちい(笑)