記号の崩壊 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


先週の美学演習でチラっと思いついたこと・・・



「記号の崩壊」


・第一段階、アートの時代。

<文化の中で「アート」という記号が良いものだとされる。>

この時代、アートという記号は確たる中身があるものだった。

それは、文化の中で構築された価値体系に基づいていただろう。

(あるいは美術館体系と言ってよいかも知れない)

「これはアートである/ない」というのは権威者による価値判断であった。

そして、アートという記号は文化の中で「良さ」を表す記号になった。

これは、アートという記号が「権威」を帯び始めたということを意味した。


・第二段階、破壊の時代。

<アートという記号に穴が開けられる。>

デュシャンが≪≫をアートとして提示したことによって、

アートという記号が指していた中身は粉々に粉砕された。

彼は、文字通り、アートという記号に穴を開けたのだ。

こうして、記号を背後で支えていた体系の権威が葬られた。

ありとあらゆるものがアートでありうるということは、

実際、アートという記号がもはや何も指し示さないことを意味した。


・第三段階、シミュラークルの時代

<穴が開いた記号にありとあらゆるものが注ぎ込む。>

もはや、アートという記号が指し示すものは何もない。

それでも、(記号を支えていた体系の権威は失われたにも関わらず)

依然として、記号としての「アート」の権威だけは残存していて、

いかなるものであっても、「これはアートだ」とさえ言ってしまえば、

それが「良いものだ」とされてしまうという逆の事態が生じる。

ありとあらゆるものが、アートの持つ「権威」を利用し始めたのだ。


・第四段階、ポピュリズムの時代(現在)

<アートによる専制からポピュラリティによる民主主義へ。)

ありとあらゆるものが記号の内に流れ込み、

膨れ上がった記号は自壊作用を起こし始める。


この時代、記号としての「アート」は、

自らの権威を分配しきったことにより、

もはや価値基準としての権威を失っている。

そして、別の価値基準/権威が用い始められた。


その一つがポピュラリティ(人気)である。

興行成績(映画)や販売実績(音楽)が重要になるのだ。

絵画などの「一点物」については、これは「価格」の形を取る。

つまり、より「人気」があるものがより「高い」ものだということだ。

言い換えれば、現代では「人気があるもの」が「良いもの」だ。


かくして、現代はPopの時代なのだ。